表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/80

8 「大人しく運ばれておけ」

 抱き上げられた浮遊感に、わたしは思わず目をつぶった。めまいが強まって、吐きそうだ、と思った。横抱きにされているわたしの身体が不安定に揺れる。けれど、レイリにわたしから触れるのは嫌だという気持ちが勝って、その揺れにはひとりでなんとか耐えていた。

 レイリのその抱き方が乱暴だとか雑だとかそういうわけではなかったと思うのだけれど、別に丁寧なわけでもなかった。レイリは問答無用という様子で、つかつかと歩き始める。


 人に触れられること自体が、とても久しぶりなことだった。幼い頃にはこうして父親に抱かれたこともあったと思うし、それなりの年齢になってからも母親は何かあるとわたしを抱きしめてくれたのも覚えている。

 けれど父と母がいなくなってからは、誰かに触れることは全くといって良いほどなかった。親密ではない魔力持ち同士で触れることはあり得ないし、そういう相手がいたこともない。レイリのように人間に手を出せば人間に触れることはできるのだろうけれど、わたしにはそんな欲も、人間と親しくしたい気持ちも別になかった。


 レイリは歩みを止めなかった。多分、レイリの抱き方というよりもわたしの身体の委ね方が悪かったのだろう。触れられて強張った身体はどんな受け止められ方をしても落ち着きが悪かった。ただ、少し経てばその落ち着きの悪さにも慣れてくる。レイリの言う通り、棟から少し離れたためか、ぐわんぐわんとしていためまいも少しは収まってきているような気がした。


 

 そろりと目を開けると、視界にまず入ったのは無表情なレイリの顔だった。まるで、わたしがここにいないみたいな、わたしの存在など1ミリも気にかけていないような顔をしている。


 本当に今、こうやってレイリに運ばれるわたしの存在などなかったことになってしまえばどんなに良かったか。


 そう思いながら、わたしはこの現実を見ないようにとまた目を閉じた。目を閉じると、世界が回る感覚は薄まっていて、ただ一定の揺れだけを身体全体で感じていた。



 しばらくの間は、そうしていればよかった。

 暗闇を歩くレイリに強張りながらも身を任せれば、徐々に自分が落ち着きを取り戻していくのも分かった。


 けれど問題は、レイリがそのまま建物へと入ろうとしたことだった。


 扉を開ける重たそうな音がしたと思えばすぐにわたしの瞼の裏にも光が届いて、同時にずっと頬をかすめていたひんやりとした空気の冷たさが消えた。


 ぼんやりとしながら目を開ければ、そこは黒の庭でも唯一、黒が入ることを許されていない白のための棟の中だった。黒の庭を管理するために駐在している白や、外部から来た白が滞在するための場所である。



 もうすぐに部屋にたどり着けることが分かって、最初はレイリの腕の中から解放されることに安堵した。中へと入ったレイリは、ちらりとこちらを見る。無感情な表情は目つきが悪い。具合の悪さが薄れてきたら、今度はそのレイリの瞳への恐怖が現れた。

 わたしは「ここで大丈夫です」と言おうとして、口を開きかけた。けれど、レイリはまたすぐに視線をわたしから前方へと移して、つかつかと先ほどまでと変わらない速度で歩き始める。そしてすぐ、その横顔が全くの無感情ではなくなったことにも気づいた。


「、……レイリ、」


 慌てて口を開いたわたしは、まだ思ったように声が出せなかった。比較的はっきりと名前を呼んだつもりだったけれど、実際に聞こえたのは弱弱しい声だった。そのギャップに、わたしは尚更焦る。

 幸いなことに今はまだこの入口付近に人影はないけれど、このままでは、白達にレイリがわたしを抱き上げているこの状況を見られてしまう。

 そして、そうか、と今更ながらにレイリの言ったことが思い返された。だからレイリは「あんたは俺に手を出されたと周りからは思われるだろうが」と言ったのだ。中に着いたら降ろしてもらって構わないのに、どんな意図があるのか、この人は最初からこうするつもりだったのだ。

 わたしは、抵抗した。


「おろして、」


 絞りだすような声に、またレイリはこちらを見た。白の棟に入ってからは、どこか上機嫌そうな、あのナンパをしていた時に女性に向けていたのと同じ顔を保ったままだ。たぶん、本心の顔ではない。それはどう見ても、取り繕った表情だった。


「下ろしても、まだ動けないだろ」


 小さく囁かれた声は冷たくて、その表情との差に強い違和感を感じた。わたしの身体はまた、強くこわばった。


「……良い、から……!」


 それでも負けじとわたしが食い下がれば、レイリは「頑固だな」とつぶやいてから、すぐ近くにあった扉を手早く開けて、明かりのついていない暗い部屋へとわたしを抱えたまま入った。

 パタンと静かに扉が閉まってから、暗闇の中でレイリはわたしを部屋の中に並べられていた長机へと下ろした。それは、思っていたよりも丁寧な動作だった。お尻が無機物のひやりとした感触をとらえて、わたしはどこか安堵するのを感じた。良かった、これでこの状況を見られずに済む。


 けれど、そう思ったのも本当につかの間。手をついて自分の身体を支えようとしたところで、わたしは自分の身体の違和感にやっと気づいた。身を委ねていた時には分からなかったけれど、全く身体に力が入らなかったのだ。

 レイリの手がわたしの身体から離れていく。わたしは腕に力を入れられず、瞬間、わたしは崩れ落ちそうになった。ガクンと身体が揺れて、わたしは慌てた。机に打ち付けられる、と覚悟して目を閉じれば、けれどすぐにまた先ほどまでに少しは馴染んだものが私の背中に触れた。


「だから言っただろ」


 それは、考えるまでもなくレイリの腕だった。先ほどまでは全く感じなかったのに、今はその腕から温かさを感じた。心臓がばくばくと音を立てていた。危ないところだった。


「中てられた後、しばらくは動けない」


「……」


 わたしはどこかバツが悪くて、何も言い返せなかった。苦手で怖い、できれば関わりたくない人だけれど、今こうして迷惑をかけているのは事実だ。何か裏があるのではないかとか、下心があるのではないかとか、正直そういう風に思っていたけれど、わたしの言葉を無視せずにこうしてくれているのだから、もしかしたら親切心からの行動なのかもしれない。

 

「大人しく運ばれておけ」


 暗い部屋の中、表情ははっきりとは見えなかったけれど、暗さに溶けないレイリの瞳の色は見えた。他の白に見られないとわかっているからだろう、取り繕った表情はしていなかった。けれど、なぜか不思議と怖さも薄れている。まだ心臓が落ち着かず、冷静な自分ではないからかもしれない、と思った。



「行くぞ」


 そう言って、レイリはまたわたしを抱き上げた。けれど、わたしは「待って」とそれを制する。身体が動かないために力でレイリを止めることはできなかったけれど、レイリはその声でゆるりと動きを止めた。抱き上げられたまま、わたしはレイリの顔を見る。近くなった顔には、やや面倒くさそうに眉間に皴が寄っている。研究室にいるときのレイリの顔だ、と思った。


「置いて行って。……動けるようになったら、自分で戻ります」


 わたしのゆっくりとした小さなその言葉に、レイリは一拍止まってから、すぐに「はあ?」と思いきり呆れたような声を出した。

 そして。



「却下。恩を感じてるなら、手を出された(てい)で振る舞って、これから俺の役に立て」



 一瞬言われた言葉の意味が分からなかったけれど、すぐに理解する。先ほど親切心かもと思ったことを、わたしはすぐに後悔した。あの気持ちは撤回する。これはこの男の、何らかの思惑なのだ。わたしを()()()()()()()()()()()という風に周りに見せることで、何かをしようとしている。それがどんなことなのか、そもそも役に立てることなんてないように思えて理解は全くできなかったけれど、何かを企んでいるのだということは分かった。


 助けてもらったから、普通にお願いされれば何かお礼をしようという気にもなったはずだった。けれど、わたしの中に湧き出すのは嫌悪感だった。やはり、信用できない。

 けれど抵抗しようとしても身体は動かなかった。「待って、待って……!」とわたしが弱々しいながらに必死に繰り返しても、今度はレイリは聞く耳すら持たなかった。


 そしてレイリはわたしを抱き上げたまま扉を開けて、つかつかと明るい空間へと戻ってしまった。

 それからわたしに割り当てられた部屋へと戻るまでの間に、多くの白に『触れられても暴走を起こさず、上機嫌そうなレイリに抱きかかえられて運ばれるトウノ』が目撃されてしまったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ