幼き頃の記憶(三)
「あー、やっぱり一番奥の部屋はいいわねー。広いし、声も気にならないし」
母は部屋に着くなり、一番奥に置かれたベッドに腰を掛けると、そそくさと着替えを始めた。
ミルティアナはその光景を直視することなく、母のいるベッドをを眺めている。
しかしよく見れば、見ているようでその瞳は虚ろだった。
「いつも通り、分かってるわねミルティアナ」
「うん……お母さん……」
普段の薄汚れたワンピースを脱ぎ捨て、母は煌びやかな下着の様なドレスへと着替える。
その姿はミルティアナにとっては、もう母というモノではなかった。
この光景を、もう何度見てきたことだろうか。
その行為がなんのための、どういう行為かまではまだ理解できていないミルティアナにも、良くないことであるということだけは理解できた。
(……いや……だ……)
悪事に加担するような、母と共に罪を重ねるようなそんな感覚。
今日もまた、ミルティアナにとって長い悪夢が始まろうとしていた――
母が一通り着替えたのを確認すると、ミルティアナは机の上に置かれたお菓子を一つ手にして部屋を出た。
ドアの横に立ち、その時が来るのを待つ。
誰にも来て欲しくない。そんな願いは届くことなく、しばらくすると玄関に客が訪れた。
客は老婆に金を払ったあと、部屋のある奥の廊下を眺めた。
そしてミルティアナの姿を確認すると、一番奥の部屋を指さす。
ここの仕組みはいたって簡単だ。
入り口で金を払った男は、ランダムで女のいる部屋を選ぶということになっている。
中に誰がいるかは、その時老婆は決して口外しない。
つまり本来は、その部屋の中に誰がいるのか分からない状態で客は部屋を選ぶことになる。
しかしドアの前には看板となるミルティアナがいる。
そうすることで、中にいるのがミルティアナの母であるということが、客からはすぐ分かるのだ。
誰の部屋という看板を置いてはいけないルールを、逆手にとった形だ。
「お嬢ちゃんは今日もかわいね。君のお母さんのようになる日を待ってるよ」
男はまるで商品を見るような目つきで、ミルティアナを上から下までゆっくり眺めた。
幼いミルティアナにその言葉の意味は理解できなくとも、褒めているわけではないことだけは分かっている。
「ありがとうございます」
それでもミルティアナは母の言いつけ通り、男を見上げてにっこりと笑顔を作った。
これが約束だから。約束という名の、命令に近いのかもしれない。
「ああ、ますます可愛いなぁ。今から楽しみで仕方ないよ」
男はミルティアナの頬に触れ、頭をなでると部屋に入っていった。
(ううう、いやだよぅ)
なにがではなく、おそらく全てが。ミルティアナにとって、理解することも、今置かれたこの状況も、全て。
「あら、また来てくださったのー? 会いたかったわ」
「当たり前だろ。いつ見ても可愛いな、おまえも娘も」
「やだぁ、ありがとー。嬉しいわ」
鼻にかかるような、甘えた母の声。先ほどの父との口論していた声とは、全く別物だ。
たいして分厚くもないドアのすき間からは、二人の会話が聞こえてくる。
しばらくするとそれは会話ではなく、嬌声から、喘ぎ声へと変わっていった。
ミルティアナはその場にしゃがみ込むと、耳を押さえた。
そして誰にも聞かれぬような小さな声で、歌い出す。
いつか母が歌ってくれた子守唄。
繰り返し繰り返し何度も、母と男の声が、果てて聞こえなくなるその時まで。