静かにその時は近づく
忙しい町長とは、毎日朝ごはんだけを共にした。
とは言っても、いつも食べるのはミルティアナだけ。
町長はミルティアナの斜め向かいに座り、ミルティアナの食事風景をただにこやかに見つめていた。
にこやかに見えるその風景は、ミルティアナにとってはやはり気味の悪いものでしかなかった。
「ミルティアナは本当に、小食だな」
「いえ、これでもここに来て良く食べるようになりました」
あれから十日ほど経っている。毎日三食きちんと食べている上に、おやつもミルティアナは欠かさず食べている。
平均的な十代の女の子よりは痩せているものの、それでもここへ来たばかりの頃と比べると随分丸みをおびてきたようにミルティアナは思えていた。
今まで止まっていた成長が、栄養を摂ることによって急激に動き出したのだ。
「まだまだ。今は抱きしめてしまえば、骨が折れてしまいそうだよ」
「そう、ですかね」
時折、なにかを窺うような、それでいて意味を考えると身の毛もよだつような言葉が町長の口から洩れた。
(抱きしめるって……)
家族にするような、幼い子にするような、そんな意味ではないことはミルティアナにもなんとなく分かっている。
しかし頭で理解するのと、受け入れられるのとはまた別の問題だ。
「そうだ、昨日新しく髪を洗う石鹸が届いただろう。あれはどうだった? 王都で流行し始めた物だというのでさっそく取り寄せたのだが」
「はい、とてもいい香りがして、髪がサラサラになりました」
前の家では、髪の毛は川で洗い流すだけのものであり、ここへ来て始めて石鹸というものを知った。
ふわふわと泡の立つそれで、体や髪の毛を洗うと、とても体がすっきりするのが分かった。
未だシアたちに体を洗われるのは慣れなない。それでも、ここでの生活に不自由さはなかった。
美味しい食事、温かく柔らかいベッド、綺麗な服。幸せに近づくほど、忍び寄る醜悪の影に怯える夜を過ごした。
「そうか、それは良かった」
そう言いながら、町長はミルティアナの長く伸びた銀色の髪を一房取る。
一瞬なにが起きたのか分からないミルティアナは、そのまま固まって動けずにいた。
「ああ、そうだね。いい匂いだ」
町長はミルティアナの髪に顔を近づけた。
(な、なに……)
その掴んだ一房の髪の匂いをかいだあと、愛おしそうに口づけを落とす。
ミルティアナは背筋に冷たいものが走る感覚を覚えた。しかし、されるがままを見つめることしか出来ない。
「ミルティアナ?」
自分でも、笑顔が引きつっているのがミルティアナには分かった。
急いで感情を飲み込み、いつもの笑みに切り替える。
「急だったので、少しびっくりしてしまいました……。そんなに、いい匂いがしますか?」
「ああ。ホントに、食べてしまいたくなるくらいのね」
(気持ち悪い……、誰か助けて……)
ミルティアナが一番分かっていた。助けなど、救いなど、どこにもないことを。
買われるということは、こういうことだと、母の行為が頭の中をちらつく。
「まぁ、お義父様ったら」
にこやかな笑みを浮かべたまま、町長の手に触れ、髪を離させる。
自ら自分の手に触れて来たミルティアナに、町長はとても満足げな笑みを返した。
(いやだ、いやだ、いやだ、いやだ)
「ご主人様、本日はもうお時間の方が」
ミルティアナをここに連れて来た男、執事が申し訳なさそうに町長へ声をかけてきた。
相変わらず、この男だけはミルティアナに対する態度が悪いものの、今回は救われた形だ。
「もうそんな時間か。名残惜しいが仕方ない。では行ってくるよ、ミルティアナ」
「はい。いってらっしゃいませ、お義父様」
その場で立ち上がり、ミルティアナは深々と頭を下げる。町長がこの部屋から出て行くまで、頭を下げ続けた。




