別れの挨拶
三日はあっという間に過ぎて行った。
ミルティアナが裕福な町長の家に引き取られるという話は、この小さな村ではすぐに広まった。
会う人全てからお祝いを言われるたびに、ミルティアナは心がだんだん疲弊していくのが自分でもわかった。
買われていくのに、なんのめでたいことがあるのだろう。
喉元まで出かけた言葉を、押し留め、代わりにいつもの笑みを浮かべた。
あの笑みを作っている時だけは、まるで心に鎧をまとったようになにも思わずに済んだから。
それでも現実は変わりはしない。
ただ、母たちは出発のために、ミルティアナに数枚のワンピースや下着を買ってくれた。
真新しい、姉のお下がりではないそれらは、たとえあの金貨には見合わないものだとしても純粋にうれしい。
もしかしたら姉たちの言うように、ここでの暮らしより幸せなのかもしれないと、ミルティアナが淡い期待を抱くには十分だった。
「ミルティアナ、町に出発する時間になったから早くしなさい」
「……うん。もう用意終わるよ、母さん」
ここまから町までは、いつもの道を通って母と行くことになている。朝出れば、お昼前に着くだろう。
幸い、暑い時期でもないため比較的に歩幅も大きくなり、いつもよりは早く着きそうだ。
それにも関わらず、母は朝一番からずっとそわそわ落ち着きなくミルティアナに声をかけてきていた。
「そう? それなら出発するわよ。遅れたら大変だもの」
(そんなにまで……)
ミルティアナは母を見ながら、心の中で大きなため息をつく。
そんなにまでして追い出したいのか、それともお金が大事なのか。
おそらくはその両方だろうということは、ミルティアナが一番よく分かっていた。
「行こう、母さん」
荷物を持ち、ミルティアナはもう一度家の中を見渡した。
しかし、ミルティアナにとってこの家には思い出と呼べるような思い出はほぼ存在してはいなかった。
「お世話になりました」
そう思ってはいなくとも、ミルティアナは家族と家にそう言葉をかけた。
◇ ◇ ◇
ミルティアナの予想していた通り、町には昼よりかなり前に着いてしまった。
さすがに町長の屋敷を訪ねるには早すぎると判断した二人は、かつての母の店に向かうことにする。
町長の家に引き取られた後、どれほどの自由が許されるのかは分からないが、ミルティアナはもう会えないのならば挨拶だけはと母にお願いしたのだ。
元々、大した接点があるわけでも、仲が良かったわけでもにないが、ミルティアナという存在を知る数少ない人物だったから。
母は時間がつぶれるのなら、何でもいいとばかりに二つ返事でミルティアナの提案を受け入れる。
店の女将である老婆は、今日も入口の定位置に座っていた。
「おやまぁ、珍しいのが来たもんだ。今日はどうしたんだい」
母が歳から客が取れなくなり、ここに来なくなってしばらく経つ。最後に来たのは、春になる頃だっただろうか。
この店に最後に来た日は、母が客が一人も取れずに老婆と口論になり、そのまま寄り付かなくなったような形だ。
普通ならばそんな風に辞めた店に寄り付くのは嫌がるものだが、ミルティアナの目から見ても母はそんなことを気にする様子はない。
「ミルティアナが女将さんに挨拶がしたいって言うから連れてきただけよ。この子、町長の家に養女として引き取られることになったから」
「養女……。まったく、あんたって女は……」
そこ言葉の意味することが分かっているのか、老婆は心底あきれたような表情を見せる。
「もう会えるかどうか分からないので、挨拶にきました。お世話になりました」
「そうかい……、わざわざ来てくれてありがとうね」
ぶっきらぼうで、大した会話などしたことはなかったが、ミルティアナはこの老婆が誰よりも優しいことを知っていた。
部屋に置かれたお菓子。あれをミルティアナのためだけに、用意してくれているのを知っていたから。
家族よりもなによりも、この老婆の方がずっとミルティアナを気にかけてくれていただろう。
「シチューを覚えてるかい? あの時のことを」
「……はい」
「つまりは、そういうことさね。気を付けるんだよ」
「ありががとうございました」
ミルティアナをは深々と頭を下げる。
良いことや、なにか変わったことがある時は、不幸の前触れだと覚えておくように。それが今なのだろう。
(やっぱり……)
老婆がミルティアナの行く先を示してくれた。
淡い期待を抱いたまま町長の家に行く前でよかったと、ミルティアナは自分に言い聞かせながら、店をあとにした。