ブラック企業のサラリーマンは定時退社に憧れる
課せられる無茶な業務量、それを勤務時間内に、日々こなしていくのはサラリーマンにとっては憂鬱である。
ワイシャツにスーツ、ビジネスバッグを片手に歩き回る営業職にサービス残業は当たり前。
私もそろそろ転職を考えても良いかもしないと、珍しい定時退社を目前に控え、私は発信音の最中、携帯を片手に惰性的に考えていた。
「お疲れ様です。本日の業務は終了致しましたので、このまま直帰させていただいて……」
上司との通話中、鉄を地面に引きずる音に、私の眉間は不快感に歪んだ。
音のする方を向いてみれば、四人の人影が私に焦点を合わせてこちらに向かってきている。
「すみません。急用が入りましたのでこれで失礼します。はい、お疲れ様でした」
私は通話越しに平謝りを繰り返し、耳元から携帯を離してから、表情を営業で培った笑顔を張り付けた。
「わざわざお越し頂かなくても、お電話さえくださればお伺い致しましたのに」
すると、如何にも体躯だけが取柄そうな男が一歩、私の前に歩み出た。
「別に大した用じゃあねえんだ。ただな、お宅の会社の商品にウチの頭が大層ご不満なんだわ。あれだけの銭入れて、寄こされたのが貧相なチャカなんてあんまりじゃあねえか?」
この組織を相手にするのは良くないと、上司に進言したのにこの様だ。
私は記憶の回想に現れた上司の顔へ、客席から唾を吐いた。
「事前にお渡し致しました書類の内容に納得された上での今回の商談は……」
男はより横柄に、私の弁明を聞くつもりがないのか一方的に捲し立てる。
「分かんねえかな!もっと良いもん寄こせって言ってんだよ!」
威勢だけで押し切れると思っているのか、私の内心は至って冷ややかである。臆して態度が軟化する程、伊達にこの仕事を続けてはいない。
「誠に申し訳御座いませんが、今回の……」
「ごちゃごちゃ言って……」
私の言葉を遮る男の言葉を、金的を蹴り上げることで、私は彼を無言で黙らせた。
だが、少し勢いを付け過ぎたかもしれない。地面に崩落した男の汚い息遣いは壊れたラッパを思わせた。
「申し訳ありません。すでに正規の勤務時間を過ぎてしまいました」
腕に巻いた時計を見た後に、私はおっくうにネクタイを緩めると、後ろに控えていた残りの男たちの各々が一歩ずつ後退した。
「ですので、これからは私個人の……」
こんな仕事を続けていられるのも、私にとっては天職故、なのかもしれない。
「サービス残業です」
全く、定時退社も楽ではない。