ある夏の日につきまとう
あれはとても暑い日でした。
ええ。忘れたことなんてありません。
蝉の喧騒。唸るような陽の光。
空を行く雲の数でさえはっきりと思い出せます。
私達は2人で、近所の神社にへ向かう途中でした。
特に予定があった訳ではありません。
彼は昼食後の腹ごなしに、神社まで散歩をするのが常で、私も毎日それについて行っていました。
私はいつか観た映画の話なんかをして、彼はそれを聞いているんだか聞いていないんだか分からない様子でのんびり歩いていました。
――今「聞いているんだか、いないんだか、分からない様子」と言ったのは、彼は無口な人で、いつも私の話を聞いているだけだったからです。
それでいて、自分の好きなことは積極的に話して、借りてきた映画を家で観ている時なんて、誰も居ないのをいい事にずーっと喋りぱなしなんですよ。
――とにかく、私たちはある夏の日、近所の神社に向かって住宅街の中を歩いていたんです。
彼の家から神社へと向かうと、道を半ばほど進んだところに、生垣ごしに立派な桜の木が見える家があります。
その日も道に小さな木陰を作っていて――もう花は散り、葉桜になっていましたが――彼はいつも通りその影で涼んでいました。
木陰で汗を拭いたあとは、「よしっ」と一声気合を入れ、再び歩き出すのが常でした。けれど、その日は歩いてきた道をじっと睨んで動き出しません。
あまりにもおかしな様子だったので私は「どうしたの?」と話しかけました。
前述の通りその日はカンカン照りでしたから、熱中症かなと心配になったのです。
それ加えて、なんだかこの頃は顔色が悪かったという事情もありました。
彼は私の問いには答えず、じっと今来た道を睨んでいます。
太陽光によって熱されたアスファルトの地面からは湯気がたっているようで、夏休みだというのに人影は一切ありませんでした。
風も吹いていなかったので、いくら睨んでもその景色が変わることはありません。
空を飛んでいる雲も、道に飛びだした庭の葉も、じっと道を睨んでいる彼も、まるで1枚の絵のように微動だにしません。
一筋の汗が彼の額から頬をつたり、地面に落ちます。
「もう、どこかへ行ってくれないか?」
彼のその一言で、それまで1枚の絵だったものが全てが動き出しました。
サッと吹く風が、葉を揺らし、雲の形を変え、私の髪をなびかせます。
「君と僕とでは住む世界が違うんだ。もう諦めてくれ」
そういった彼は、私のことを一瞥もせずに歩きだしました。
私の引き止める声も聞こえないようでした。
彼はいいとこのお坊ちゃんで、私は農家の生まれです。
彼は高級マンションに住んでいるし、舌も肥えています。
私に家はないし、食事を取ることもありません。
確かに住んでいる世界が違いました。
数日後。彼は死にました。
自宅の自室で死んでいる所を発見されました。
衰弱死だったようです。
私達は今、幸せです。
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