砂漠の商人と水の女神のダンジョン6
「えっと、それじゃあ行ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
ギルは大きな背嚢を背負ったままアンに挨拶を交わす。アンは笑顔で返す。そんな様子をバイツや、他の探索者や宿泊客が眺めている。
「ギル、どっか行くのか?」
「ダンジョンの攻略だとよ。すげぇよなぁ、一つ攻略しただけじゃ物足りないなんてよぉ」
「確かに。もしかしたら、頭のネジが取れちまったのかもな。ダンジョン攻略した時は高揚感で胸一杯らしいからなぁ」
「へぇー。流石若くしてダンジョンを攻略しただけはあるなぁ。命知らずというか勇ましいというか」
「おーいギルー! お土産頼むわ! ダンジョンコアで!」
探索者達や宿泊客はあーだこーだと各々好き勝手に思い思いの言葉を口にする。ギルはそれらに反応せずにバイツの宿屋に背を向けて歩き出す。
「気をつけてねー。部屋はそのままにしておくからー。ちゃんと帰ってくるのよー」
その背中に、アンが呼びかける。それに呼応するかのように他の者達も続く。ギルはそれを背に受けながら目的地へと向かった。
目的地である、ソーベークの街の北門にある馬車の乗り合い所に着くとノエルを探す。ノエルは、三日前ギルの跡をつけていた時と同じ格好をしていたのですぐに見つけることができた。
ギルは、ノエルの傍まで寄ると声をかける。
「ノエル、おはよう」
ノエルは声の方を振り向き挨拶を返す。
「おぉ、ギルか。おはよう。ってなんだその荷物。多すぎるぞ」
「え、そう? 前ダンジョンに潜った時もこんな感じだったけど?」
「それ背負ってダンジョンに潜ったのか? すごいというか、バカというか」
「そんな事言ったって仕方ないだろ。探索者には色々と必要な物があるんだよ。ていうか、ノエルこそ荷物少ない、いや少なすぎる。なんでほとんど何も持ってないんだよ、日帰り旅行じゃないんだぞ?」
「そりゃマジックバッグに収納してるし。入れてやろうか、その荷物?」
「マジックバッ!?」
「うわっなんだよ急に大声出して。びっくりするだろ」
周りにいた通行人や馬車を待っている人達すら注目するギルの大声にノエルが驚く。ギルは途中で慌てて自分の口を手で押さえてる。周りにいた人達は興味が失せたのかギルから視線を外す。
「なんで持ってんだよ。どうやって手に入れたんだよ。マジックバッグってちょっと希少で、値段も高くて、庶民なんて手に入れられないような品なんだぞ!? 一部の高性能のやつなんてオークションで取引されるような物まである、あのマジックバッグですよ!? わかってるんですか!! あなた如き駆け出し商人が持っていて良いものではないのですよ!!」
「なんでどんどん声が小さくなっていくんだよ。口調も変わってるし。だいたい、持ってるものは持ってるんだから、それで良いだろ。文句があるなら入れさせてやんないぞ」
ノエルはちょっと怒った風に言う。
「どっちにしろ今ここじゃそんなこと出来ないだろ。マジックバッグなんて見せびらかしたら誰かが奪おうとしてくるかもしれないしな」
「……そういうものか?確かに高いが買えないほどではないと思うが」
ノエルは首を傾げる。商人とは思えないほど鈍感なノエルのデコにギルは怒りの鉄槌を下す。
「この! 大! バカ! 野郎! 本当にお前商人か! どっかの豪商の息子が商人ごっこでもしてんのか!物の価値を知らな過ぎだろ! どうなってんだ、お前のおつむは!」
「いたっ! 痛い! 強めにつつくな! いたい! いたい! なんでそんなに、怒って、るんだよ」
「マジックバッグをよく入る入れ物くらいにしか思ってない奴がこれから大儲けしようなんて考えてるからだっ!」
おでこをつつかれて涙目のノエルに追い打ちをかけるギル。ギルの指がノエルの赤くなったおでこに突き刺さり声にならない叫びを上げる。よほど痛かったのかノエルはおでこを抑えてうずくまる。
「そもそもなんでマジックバッグに水入れて運ばないんだ。マジックバッグ持ってるなら真っ先にそれ思いつくだろ。なんでダンジョン攻略することになったんだよ」
「あっ」
「嘘だろ、本当に今気付いたのか? 商人に向いてないんじゃないか?」
「ち、違う! どっちにしろそれじゃ焼石に水だ。潤沢な水がないとマジックバッグで輸送した程度じゃ国全体に水を行き渡らせることなんて出来ないし、知ってたよ!」
涙目かつ上目遣いでノエルは反論する。なんだか幼い子供が泣きながら怒っているように見えてギルはそこで追及の手を緩める。
「まぁ、そりゃ国を賄えるほどはないだろうけど、商売なんだからそこまでしなくてもいいんじゃないか? それはもう国がどうにかすべき問題じゃないか?」
「そ、それは。お、俺はいずれ豪商になる男だからな! マジックバッグでみみっちい量の水を運んで売るなんてスケールの小さい事は言わないのさ! ははははは!」
ノエルはわざとらしく笑う。本人も無理をしているのかややぎこちない。胡散臭い者を見る目つきでギルはノエルを見る。
「あぁっと! そろそろ馬車が来るぞ! 乗り遅れたら大変だ。さぁ行こう! ほらほら!」
視線に耐え切れなくなったノエルはギルの後ろに回り背嚢を押す。ギルが初めてあった時と同じように顔をすっぽりと覆い隠す被り物から伺えるノエルの顔は赤い。恥ずかしさを誤魔化すためにギルの背をぐいぐいと押してノエルは乗り合い馬車へと向かった。
「はぁ疲れた。ずっと馬車に揺られ続けるのも久しぶりだけど、座ってるだけでも疲れるもんだよなぁ」
馬車から降りたギルは、強張った体をほぐすように伸びをする。長い間座り続けていたためによほど強張っているのか気持ち良さそうに伸びをする。一方ノエルは外套の中で何かしているようでもじもじしている。
「どうした?」
「いっ。いや、なんでもない。なんでもないぞっ」
慌てるノエルをぼーっと見ていたギルが、何かに気付いたようにハッとすると意地悪そうな笑みを浮かべる。
「さては、お尻が痛いんだな?」
「そ、そんなこと、ないっ」
「別にそんな意地になって否定することか?それよりずっと気になってたんだけど、なんでずっとその恰好なんだ?初めて会った時は、俺を尾行してたからなんだと思ったけど。シエラザルドではそれが普通なのか?」
「えっ!? あっ! そうそう、そうなんだ。向こうは体を日差しから守るような恰好をするんだよ! この格好が慣れてて」
ノエルは誤魔化すように笑う。ギルはそれ以上突っ込まずに違う話を振る。
「ふーん。ところでこの街に来たのは良いけど、ここからどこに行けば良いんだ?」
「ん? あぁ。目的地はまだずっと先だ。もう乗り合い馬車はないからここから行商に頼み込んで乗せて貰ったり歩きで移動だな。もう今日は遅いから宿に泊まるけどな」
「そんなに遠いの?」
「あぁ。人目につくような場所にあったらとっくに見つかってるだろうからな。普段、人が近づかないような場所にあるのさ。地図を見るか?」
「うん」
ノエルは背嚢から取り出した地図を渡す。地図にはどこかの地形であろう場所とマルで印が付けてあった。が、しかしギルにはさっぱりわからない。
「これだけじゃ何にもわかんないんだけど」
「ふふっ。そうだな。でも、ここじゃあこれ以上は見せられない。続きは宿に行ってからだ」
「それもそうか。それで、その宿はもう決まってるのか?」
「前に来た時に泊まった所にしようと思うが、何かあるのか?」
「……そこはいくらなんだ?」
「一泊銀貨八枚だ。食事は銀貨三枚辺りからだったか」
「そうか、じゃあまた明日。ここ集合で。解散解散」
ギルはノエルに背を向けてその場を離れようとする。その背中をノエルは慌てて止める。
「ど、どこに行く気だ!」
「安い宿探しに行く気だけど?」
「べ、別にそんなに高くないだろ! 一緒の宿の方が良い! 一緒に泊まろう!」
「高いわ! 十分高いわ! 飯付きで一泊銀貨二枚くらいの宿なんていくらでもあるんだぞ!高すぎるわ!」
「そ、そんな所に泊まれるわけないだろ! 虫とか出たらどうするんだ!」
ギルは面倒臭そうに言う。
「虫くらいでごちゃごちゃ言うなよ、商人だろ? っていうか一緒の宿屋じゃなくても別に良いだろ。明日早朝にここ集合。はい解散解散」
立ち去ろうとするギルは何かに止められて足を止める。正確に言えばギルの背負っている大きな背嚢をノエルが握りしめたため、ギルは仕方なく足を止めた。
「……に行く」
「え? 何?」
ノエルがなんと言ったのか聞き取れずギルは振り返る。ノエルは全身から心細いといったオーラを出しながら声を絞り出す。
「……一緒に行く。一緒の宿に、泊まる……」
まるで捨てられた子犬のようなノエルの姿に、ギルはどうにも強気に出られずに少しだけ妥協した。
「わかったわかった。銅貨三枚くらいまでなら宿代が高くなっても良いぞ」
「……そこは、銀貨じゃないのか?」
「それはない」
きっぱりと断言したギルを恨めしそうにノエルは見続けた。しかし、ギルはそんな視線を跳ね除けて宿屋が連なる通りを歩き回り予算内で一番良さそうな宿に泊まることにした。
食事を終え二人はギルの泊まっている部屋に集まっていた。ノエルは簡易なベッドに腰掛けていてギルは床に座っている。ベッドの上のノエルは、被り物も外套も脱いでおり機嫌が良いことが顔見てわかる。
「なんか嬉しそうだな」
「ん? あぁ。思ってたより食事も美味しかったし、部屋も綺麗だし。もっと酷いんだと思ってたから。それでお風呂はいつ入るんだ?」
「ないよ」
「え?」
「だから、風呂なんてない」
唖然とした表情で見つめるノエルにギルは率直に返す。
「な、なんで? じゃあどうやって体を洗うんだ? 臭いはどうする!?」
「そりゃお湯やら水で濡らしたタオルで体拭くに決まってるよ。経験くらいあるだろ?」
「え? あ、う」
「本当におぼっちゃんなんだな」
「わ、悪いか?」
「いや。ただ、それだとダンジョンで苦労しそうだなって思って。ダンジョンなんて不便な所だからな。勿論風呂なんてない」
「あっ、そ、そうか。……そ、それくらい覚悟してるっ。大丈夫さっ!」
「それなら良いけど。それより、さっきの地図見せてくれないか。後、なんとかって魔道具も」
「あぁ。ちょっと待ってくれ。……これとこれだ」
そう言ってノエルは、ずっと肌身離さず身に着けている背嚢から地図とダンジョンの在処を指し示すと言っていた円柱状の木で出来た器にガラスを蓋のように張り付けた物を渡してきた。
ギルは渡された魔道具を手に取り色んな角度から見つめる。ガラスの中は時計ようになっていて、文字やら目盛やらが刻まれている。そして、一つの針が真ん中に設置されておりずっと同じ所を指示している。
「んー、この二つでも結局よくわかんないな」
「それはそうさ。その地図は一部の地形しか記されてないし、その魔道具だってダンジョンの位置を指し示しているだけさ。あの手帳が無いと正確な場所は特定出来ないよ」
「じゃあこの二つ見せてもらっても分かる訳ないじゃん。はい、返す」
ギルは興味を無くしてノエルに返す。ノエルは受け取るとそれを背嚢へとしまいながら言う。
「心配しなくても、俺がちゃんと場所は把握してるから問題無いって。それじゃあもう寝るよ。お休み」
「あぁ、お休み」
ノエルはベッドから立ち上がると、部屋の扉へと向かい自分の部屋へと帰って行く。ノエルが部屋から出て扉を閉めたのを確認するとゴンちゃんが声を出す。
「なんともまぁ、怪しい奴だな。隠し事が多すぎる。しかし、隠せていない。大丈夫なのか?」
「まぁ隠し事は多いけど、悪い奴じゃなさそうだし。大丈夫だって。騙されてる訳じゃないさ」
「そうだと良いがな。人の心を、人は読むことは出来ぬ。どんな人間も善良ではない部分を持っていることを忘れるでないぞ、主よ」
「はいはい。これから長旅になりそうだしもう寝るよ。お休み」
「あぁ、お休み」
ギルはベッドに横たわると目を閉じる。これから始まる冒険に興奮して、試練のダンジョンでの出来事を思い返す。試練のダンジョンの事を思い出しながらやがてギルは夢の中へと旅立った。
そして翌日。宿屋のロビーでギルはノエルを待っていた。
「すまない、遅くなった」
ギルの後ろからノエルが声をかける。ギルはその声に反応し振り返る。
「おっす、おはよう」
「あぁ、おはよう」
ノエルは昨日と同じ格好だが、ギルはどこか違和感を感じた。ギルは直感に任せて鼻をひくつかせる。
「ノエル、匂うぞ」
「えっ!? そんなはずはっ、ちゃんと拭いたし香水だって」
ノエルは慌てて自分の臭いを確かめる。
「香水の匂いか。すごく匂うから止めとけ。ダンジョンには鼻が良いモンスターもいるからな」
「えっ、じゃ、じゃあ臭いはどうするんだ……?」
「そりゃ我慢するしかない。気にするなよ、ダンジョン二日目にはどっちも臭くなるんだから」
「い、嫌だっ。そんなの嫌だっ」
「はいはい、ほら行くぞ。ダンジョン攻略するんだろ?」
「いーやーだー!」
駄々をこねるノエルをギルは手を引いて食堂へと向かうのであった。
明日は19時の投稿です。よろしくお願いします