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伯爵は復讐を後悔する

 セルジュは一人、白い顔でソファに沈み込んでいた。きつく瞑った両目を右手で覆うその姿に覇気はない。


(……なぜ。なぜだ。どうして)


 疑問が脳裏に浮かんでは明確に形を成さぬまま混ざり合い沈んでいく。

 心の中で長年慈しんできた大切な人に悪意を向けていたという事実がセルジュをひどく打ちのめした。指一つさえも動かせなかった。


 せわしない足音がセルジュの元へ近づいてきた。


「セルジュ様、呼びました。まもなく来るかと。……リュシー様はどんな様子ですか」


 医者の手配を終えたパスカルは気遣わしそうに尋ねる。

 セルジュは重い口を開いて、しばらくただ呼吸を繰り返し、それからようやく擦れ声を発した。


「寝ている。マリーが側に」

「酷いんですか」

「……いや、たぶん、そこまでは。だが……」


 弱々しい声にパスカルは戸惑った。これほど精神的に弱ったセルジュを見るのは初めてだった。


「どうしたんです、死人みたいな顔をして。あなたのせいで重傷を負ったってわけでもないんでしょう? 大丈夫ですよ」

「目が……若草色だった」

「……。えっ、例の人を見つけたんですか!? 今どこに? 誰だったんです!?」


 セルジュはうなだれて、リュシーが寝ている隣の寝室を指した。

 パスカルは息を呑んだ。


「マリーだったなんて落ちじゃないですよね? どういうことですか」

「光が……上からさして、あのときみたいに……それで、リュシーの目の色が……」

「若草色に見えた? 間違いないのですか。確かにリュシー様と同じ薄い金髪という話でしたけど」


 セルジュは沈黙をもって返事した。


 若草色の少女とその父親の貴族を探しているという話は友人や使用人、商人などに何度も話をしたことがある。王城で勤め始めたころなかなか二人を見つけられなかったため友人知人に協力を仰いだのだった。


 が、若草色の少女が木から落ちて胸に怪我をしたことと少女の母親が当時重病だったらしいことはセルジュは誰にも話していなかった。パスカルにさえも、だ。

 貴族令嬢が胸に怪我を負ったなど不名誉な話を言いふらすわけにはいかなかったし、病気は他人に隠すことがあるため気安く口外しない方がよいだろうとの判断だった。


 しかし。


 ――ごめんなさい、セルジュ様。

 ――わたくしのこと、覚えていらっしゃいますか?


 リュシーは少女が木から落ちてセルジュに出会ったことを確実に知っていてそれを再現してみせたのだ。それに胸の傷の位置と形もセルジュの記憶のそれと完全に一致していた。


「パスカル。若草色の彼女は……ふっくらして貴族の子供らしい容貌だったんだ。前のリュシーとは違う、だが今のリュシーとなら」


 ブロー伯爵の死後、初めて近くで見たリュシーは疲れ切って頬が痩けていた。そこにあの若草色の少女の面影はなかった。

 しかし、ここのところの、痩せぎすがマシになり元気になったリュシーをよく見れば――言われてみれば、少女と共通する面差しである。


 セルジュの言葉は要領を得ないものだったがパスカルはその言わんとすることを正確に読み取った。


「そう、ですか。実は僕、先日ブロー家の使用人に手紙を送ったんです。向こうの侍女が若草色はリュシー様の色だと言っていたそうで、どういう意味なのかと」

「なに? お前はリュシーがあの少女だと知っていたのか?」

「いえ、目が違うので別人だと。ただ、なにか関係があるのではないかと探っていたんです。結局わかりませんでしたけど。まさか本人だったとは」


 パスカルは片眉を跳ね上げた。


「うん? でも、ブロー伯爵は例の貴族ではないんですよね?」

「ああ。あの方は良い意味で貴族らしい男だった」


 あの貴族は恰幅が良く、小さな目は理性的に光り、人を従えるような不思議な威圧感はあったもののそれは決して攻撃的ではなかった。

 一方のブロー伯爵は骸骨に皮を張り付けたような顔で、頬は痩せこけ、ぎょろりとした目は落ちくぼみ、下瞼は隈で黒々としていた。一目で狡猾とわかる容貌だった。

 似ても似つかない。


「リュシー様はブロー伯爵をお父様と言ってましたよね?」

「……ブロー伯爵は義理の父親だったのかもしれん。そう考えれば納得がいく」

「リュシー様のお母様の再婚相手だと?」

「たとえば、な。ブローのことだ、あの貴族を陥れて強引にリュシーの母親を手に入れたのかもしれん」


 もしあの執拗なブロー伯爵がリュシーの母親に執着していたならば、病気をこれ幸いとして――たとえば特殊な治療薬と引き替えにして――あの貴族とリュシーの母親を離縁させ無理矢理娶ったとも考えられる。


 もしそうならば、リュシーは義理の娘としてブロー伯爵に囲い込まれ、実はセルジュの復讐など可愛く思えるほどの地獄を見てきたのかもしれない。


 もしそうならば、リュシーがセルジュの目的を知りながらもこの結婚を不幸と思わず、暴言をものともしなかったのも頷ける。


 もしそうならば――。


「なんということだ。俺は……」


 救うべき相手を悪魔の手から救い出すどころか、悪魔の娘と誤解し攻撃した。

 自分のしたことが罪となって大きくセルジュにのしかかった。



***



 リュシーが呼んでいるとマリーに告げられ、セルジュは寝室の扉の前に一人立った。こうしてリュシーの待つ寝室へ入るのは初夜の日以来だった。

 あの時のセルジュは高揚していた。神になったかのような万能感と全世界を手中に納めたかのような満足感さえ覚えていた。


 ところが今はどうだ。


 罪悪感と後悔に苛まれ、そのくせ罪を償う方法も思いつかず、ただ無能であるよりもまだ悪い。胸中にあるのは恐ろしい負の感情のみだ。


 セルジュは大きく息を吐くと、ゆっくりと寝室の扉を開いた。


「セルジュ様……」


 リュシーは寝台で身を起こしていた。初夜と同じように髪を下ろしガウンを羽織っている。だが微笑みはせず、オリーブ色をまっすぐにセルジュに向けていた。

 二人はしばらく黙って見つめ合った。


「……リュシー。体の具合はどうだ」


 ようやく出たセルジュの声は微かに震えていた。

 リュシーはばつの悪そうな顔をした。


「その、実は足を捻っただけなのですわ。あのあたりは地面が柔らかいと知っていて、わざと落ちました。ごめんなさい」

「……。危ないだろう、あんなことをしたら」

「でも、お日様の下で、仰向けになった状態で、あなた様にわたくしの目をお見せしたかったのです」


 セルジュは口を引き結んだ。

 リュシーは沈痛な面持ちでセルジュに頭を下げた。


「なんでもお話します。それがお詫びになるとは思っておりませんけれど」

「詫びねばならないのは俺の方だ」


 セルジュは被害者であるはずのリュシーがなぜ謝罪をするのかと驚き、さらに罪悪感を募らせた。


「あなたがあなた(・・・)であると知らなかったなど言い訳にもならない。なぜ言わなかった? ……すまない、責めているわけではない。理由は明白だな、言っても俺が信じないだろうと思ったのだろう」

「ええ……その、わたくし、あなた様が若草色の目の少女を探していると知っておりましたの。セルジュ様はわたくしたちの間でも人気がございましたから、あのセルジュ様の思い人だと噂になっていて」


 リュシーは少し頬を赤らめた。


「わたくしはあなた様の憎むブロー伯爵の娘ですから、名乗り出ても質の悪い悪戯だと受け止められて、むしろわたくしへの憎悪を深めてしまうのではないかと思いましたの。それに目の色も普段はこれですし、さすがにその……婚姻前に殿方に胸元をさらすわけにもいかなくて、証明が難しかったのです」


 リュシーはますます赤くなった。

 その様子につられてセルジュも少年のように赤くなる。眩い朝の太陽の光の中で先ほど見たリュシーの白い肌が脳裏に蘇る。しかも傷が気になったとはいえ胸に顔を近づけて凝視してしまった。


(馬鹿野郎、赤面している場合か!)


 セルジュは脳内で自分を罵って、咳払いをした。


「わたくしの目は太陽の下で仰向けにならないと若草色には見えないのです、ろうそくの光だと弱すぎて。でもセルジュ様が外でわたくしをのぞき込むことなどござませんでしょう? ただ、結婚さえしれいればそうする機会を作れるかもしれないと思って」

「……なるほど、だからわざと俺を挑発するようなことを言って追いかけさせたんだな。外へ連れ出すために」

「そうです」


 リュシーの声が小さくなった。身を縮こまらせてしょんぼりと項垂れている。

 セルジュは頭を振った。


「あなたが罪悪感を抱く必要はない。すべては俺のせいなのだから……あなたは俺とジュスティーヌが実際どんな関係なのか本当は知っていたのではないか? 俺があの女を家に入れたがらないと踏んで挑発に利用したのではないか」

「えっ」


 リュシーはぱっと顔を上げて、なぜか再び赤くなった。


「そう……です、存じておりましたわ。どうしておわかりになったのですか?」

「あなたは言ったな、ブロンダン家へ来たジュスティーヌの馬車は自前ではなかったと。俺たちはあの日ジュスティーヌが馬車に昇降するところを見ていない。もしあなたがあの女のことをよく知らないのならば馬車が自前でないことをも知るはずがないのだ」


 セルジュはジュスティーヌが自前の馬車ではなく貸馬車を利用していることを知っていたため当初聞き流してしまったが、なにか引っかかっていたのだ。

 リュシーは耳まで真っ赤になって上掛けを握りしめた。


「実はセルジュ様に求婚されたときにジュスティーヌ様のことを調べたのです……その、違うんです! 婚約前にうちへジュスティーヌ様がいらっしゃって」

「なんだと、押し掛けたのか!?」

「その、セルジュ様とジュスティーヌ様の噂は耳にしておりましたけれど、ジュスティーヌ様が私たちは真実恋人同士だと明言されたものですから、その、本当に恋人なのか気になって……だって、本当は、本当に恋人同士だったら嫌だなって……」


 リュシーのいじらしさが罪悪感の上にのしかかってセルジュは呻いた。

 よろめくようにして一歩二歩リュシーに近づき、跪いて頭を垂れる。


「俺は……復讐のつもりで全く見当違いのことをしてしまっていたのだな。それも、よりにもよってあなたに! あなたに暴言を吐いた」

「えっ!? その、それはいいのです、仕方ないことですから」

「いいわけがあるか! あなたとあなたのお父上は俺の恩人だというのに! 俺はあなたたちをずっと探していたんだ、だが王城でも見つからなかった! お父上に紹介された先生も俺が王都へ来る前に亡くなってしまって、故郷の街の役人に問い合わせても書類整理がずさんすぎてあなたたちの足取りすらつかめなかったんだ!」


 セルジュは自分を呪うかのように叫んだ。

 10年以上前から募らせた思慕と5年前から重ねられた恨みはいつの間にか番の蛇のように絡み合っていた。


「あっ、あの、セルジュ様」

「すまない、リュシー。謝っても許されることではない、俺は……あなたの苦境に気づくどころか、勝手に憎しみを募らせて、みすぼらしいだの愚かだのと暴言を吐いて」

「く、苦境?」

「リュシー、教えてくれ。あなたはいったいどういうわけでブロー伯爵に捕らわれていたんだ? 本当のお父上はどうした? いや、そうか、お父上がご健勝ならばあなたの苦境を放っておきはしなかっただろうから……」


 リュシーは突然、セルジュの方に身を乗り出した。 寝台から転がり出そうになったリュシーをセルジュは慌てて抱き留めた。


「リュシー?」

「あの、ブロー伯爵はわたくしの実の父親ですわ」


 気まずそうに言うリュシーの背をセルジュは撫でた。


「……そうか。では俺が森で会ったお父上はあなたの養父だったのだな。どういうわけでお父上と引き離されてブロー伯爵の下へ行ったんだ?」

「その、ですから、あれがブロー伯爵なのですわ」

「ん?」

「あのとき森であなたと話し、金貨を与えようとしたのはわたくしの実の父親、あの(・・)ブロー伯爵です」

「……は」


 ひどくきまりが悪そうなリュシーに、セルジュは絶句した。

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