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伯爵は復讐を継続する、が 2

5話で終わるとはなんだったのか。予想外に長引いています。

 セルジュは自分に冷静になれとに言い聞かせるが、それは全くの徒労だった。完全停止した頭の中でリュシーの言葉がガンガンと鳴り響く。


 ――わたくしはセルジュ様のもの。

 ――お父様があなた様にどんなことをしてきたか、知っておりますの。

 ――ジュスティーヌ様にもこの屋敷で妻として振る舞っていただいたら……


「それはダメだ」


 喉から転がり出たのはただの本音だった。

 リュシーは目を瞬かせて、こてんと首をかしげた。


「なぜです?」

「ダメなものはダメだ!」


 セルジュは歯を食いしばって子供のように繰り返した。リュシーの手前、あの女を愛していないからダメだとは言いにくい。

 リュシーはなぜか胸を張った。


「大丈夫です、愛があれば乗り越えられます!」


 ぐ、とセルジュは詰まった。

 その愛がないから問題なのである。

 セルジュは自分の脳をこのポンコツめと罵りながらなんとか言い訳を思いついた。


「アレは貴族の妻にはむかん。パーティーで人にワインをかけるような愚かで感情的な女だ」

「わたくしも愚かな女ですわ。感情的でいつも不安定です」

「……。だからお前も形式上の妻でしかないだろう」

「ではジュスティーヌ様のことはどうなさるのです? あの方はわたくしの存在に苦しんでいらっしゃいました。でもきっと、形式上は妻になれずともこのお屋敷で妻として振る舞えるならばきっとジュスティーヌ様のお気持ちも楽になると思いますの。それにセルジュ様も愛に満ちた生活を送ることができますわ」

「そんなもの、認められるか!」


 感情が高ぶるままに叫ぶ。

 怒り、苛立ち、不快感、逆上、それに困惑。自分が冷静ではないとわかっていながらも押さえることができない。


 セルジュとは反対に今のリュシーには動揺のかけらもなかった。


「では、ジュスティーヌ様のことはどうなさるのです」

「どうするもなにも、今まで通りだ」

「セルジュ様はジュスティーヌ様を愛しているとおっしゃいましたが、ここのところあの方の元へは通っておられないのではないですか」

「っ、そんなことは」

「お父様が亡くなってから結婚するまでの間、セルジュ様は毎日私の元へいらっしゃってましたわ。王城では尋常でない働きぶりだったと噂に聞きました。ジュスティーヌ様の元へ通う余裕があったとはとても思えません」

「……」

「それにパーティーでジュスティーヌ様が着ておられたドレスは質の良いものではございませんでした。あれはセルジュ様が贈ったものではございませんね? 結婚した後もセルジュ様はあの方のために時間を裂くことができていないのではないでしょうか」


 リュシーの落ち着いた口調が、セルジュの荒れ狂った気持ちを急速に冷やした。

 セルジュは口に手を当ててリュシーを凝視した。


(……なんだ、この女)


 つい先ほどまでは、支離滅裂で話が噛み合わず、感情的で突拍子もない明るいだけの馬鹿な令嬢だったはずだ。それが今は、事実に基づき推測したことを的確に平静に述べている。ただの馬鹿な箱入り娘のすることではない。

 共通するのは堂々とした態度くらいで、リュシーが突然全くの別人に変わったように思えた。


(まさか――、今までの振る舞いが……もし、すべて計算ずくだったとしたら? 目的はなんだ)


 セルジュとリュシーの視線が真正面から交わった。


「ジュスティーヌ様は今、大変な我慢をなさっているのではないでしょうか。にもかかわらず、今のまま放っておくというのはあまりに酷ですわ」


 いつものキャアキャアと騒ぎ立てる話し方ではなく、リュシーは強い口調ではっきりと言い切った。

 リュシーの長く濃いまつげの下から、オリーブ色の目が異様な輝きを帯びてセルジュを見つめる。

 セルジュは剣呑に目を細めた。


「酷だと? あんなことをした女を、実質上であれ形式上であれ妻にするわけにはいかないのは当然だろう。第一、ジュスティーヌを妻にすると言ったことは一度もない。ほのめかしたこともない。私の妻になりたいというのがあの女の望みであろうとも、私にはそれを慮る義務もない」

「……」

「関係があったのは事実だが出しゃばってくるようならばあの女はもう不要だ。むしろ障害物だな」


 リュシーは珍しく眉を顰めた。


「そういう言い方はよろしくありませんわ。女性は物ではありません」


 セルジュは右の下瞼をぴくりと動かした。

 頭は冷静なままだったが怒りは募る。


「お前はやはりあのブローの娘だな。ジュスティーヌとの関係に口を挟むとは何様のつもりだ? それにお前とて先ほどは私の所有物だと自ら言ったではないか」

「ええ、確かに。でもわたくしがあなた様のものであり、支配されていても嬉しいと感じられるのはわたくしが満ち足りているからですわ」


 リュシーは身につけていた紺色のドレスを撫で、視線をテーブルの上に残った料理へ向けた。それから立ち上がってぐるりと頭を回し、そばに控えていた侍女に目をやる。


「豊富で美味しい食事、清潔で心地よい寝床、最高級のドレスと宝石、優秀で気持ちの良い使用人たち。なにもかもここにあります。けれどももし囚人のような扱いをされていたら、とても所有物でよかったなどとは申せません」


 リュシーはセルジュに背を向けて食堂の窓へ近寄った。

 板硝子をはめた窓からは、いつの間にか雨が止み、厚い雲の切れ間から幾筋もの光が王都へ降り注いでいるのが見えた。


「ジュスティーヌ様は裕福ではありませんわね。宝石はそれなりに良いものでしたがよく見れば粗のある装いでしたわ。馬車も自前のものではありませんでしたし。にもかかわらずこのまま放っておかれるとは、哀れではありませんか」

「そんなもの、私の知ったことではない」


 セルジュは怒気を含んだ唸り声をあげた。


「困窮しているならばさっさと私から離れて、金のある平民の妻か貴族の正式な妾にでも収まればよかったのだ。機会はあったのにそうしなかったのはあの女の勝手だ」


 セルジュはパスカルが隣でハラハラしている様子を感じ取ったが、怒りを抑えようとは思わなかった。


「哀れだからなんだというのだ。なんならお前とジュスティーヌが入れ替わるか、ん? 同じ屋敷に(つま)は二人もいらん。ジュスティーヌがこの屋敷に入り、結婚ではきないが事実上私の妻となる。一方お前は私とろくに顔も合わせぬ愛人になる、書類のみとはいえ私と結婚しているがゆえに他の男の元へといくこともできず、豊かな生活をすることもできず、ただ一人死ぬまで屋敷で私を待つしかない生活を送る」


 リュシーはセルジュに向き直り、口を開きかけて再び閉じた。

 沈黙が落ちる。

 セルジュはリュシーを嘲笑した。


「はっ、偽善者が。なにが哀れだ。なにが私の恨みを知っているだ。綺麗事を言って大団円を目指したいならお前が自ら犠牲となればいい」

「……」

「ほら、どうした? あの女が可哀想なんだろう? 私に恨まれているとわかっていたんだろう? それならお前が今の立場を捨てればよかろうよ」


 リュシーは唇をぐっと噛んで視線をさまよわせている。

 セルジュはそんなリュシーを鼻で笑った。


「できないのだろう? はっ、口先だけの同情か。いかにも無知なご令嬢が考えそうな――」

「男に二言はございませんわね?」

「……は?」

「ごめんなさい、セルジュ様。わたくし、愚かなものですから。計画性もなにもないとわかってはいるのですが――……これしか思いつきませんでしたの」


 リュシーの目が据わった。

 セルジュの脳は瞬時に警告を発する。


(やばい!)


 リュシーの普段と違う様子にある意味油断していたが、突拍子もないことをするのがこのリュシーという女であって――


「善は急げですわ! 行って参ります!」


 リュシーは侍女の手から帽子を奪い取ってドレスの裾をからげると、食堂の扉に向けて猛然と走り出した。


「なっ! ……ぐっ、パスカル、止めろ!」


 セルジュは立ち上がろうとして左膝を激しくテーブルの縁に打ち付け、うめきながらも指示を出した。

 パスカルが扉の前に立ちふさがる。

 だがリュシーはとても箱入り娘とは思えぬ機敏さで身を翻し、食堂にもう一つある扉から廊下へ飛び出して行った。


「そこの侍女、後を追え! パスカルついてこい、先回りする!」


 セルジュとパスカルも廊下へ出、急いで玄関へ向かう。

 屋敷の構造上、リュシーが出て行った扉から玄関へ向かうには大回りせざるを得ない。ゆえに急げばリュシーが玄関から出て行くのをゆうに止められるはずである。


 パスカルがヤケクソ気味に叫んだ。


「なんでセルジュ様は余計なこと言ってんですか思ってもないことを毎度毎度ー! 自分で首締めてるじゃないですかあ!」

「やかましい!」

「リュシー様を甘く見過ぎなんですよ! っていうかだから言ったじゃないですかホントに復讐するんですかってええええアンタそういうの向かないんだよ!」

「黙って走れ!」

「だいたいリュシー様に不幸になってほしいんじゃないんですかなのに止めるんですかあああ」

「野放しにして妙なことをされたらどうする!」

「ジュスティーヌ様を連れて来そうですねえええ」

「やめろ!」


 セルジュは青筋を立てて叫び返す。

 玄関では庭師がちょうど外へ出ようとしているところだった。庭師は爆走してくるセルジュたちを見てきょとんとした。


「だ、旦那様?」

「庭師! リュシーはここへ来たか!?」

「奥さんですか? いえ、まったく見てないですよ」


 パスカルがほっと息をはいた。

 リュシーの外出は阻止できたようだった。


「……間に合いましたね。しかしリュシー様、まさか本気でジュスティーヌ様の元へ行くつもりだったんでしょうか?」

「さあな。リュシーがあの女の家を知っているとは思えん」

「ああ、言われてみれば――」

「だ、旦那様!!」


 リュシーが来ると思われた方向の廊下から、なぜか侍女だけが青い顔で走ってきた。


「旦那様、リュシー様が! 奥様が窓から外にっ」

「ハア!?」

「ええええ!?」


 セルジュとパスカルは同時に叫び、玄関から外へ飛び出した。


 屋敷の庭木はしっとりと葉の上に雨露を乗せ、それが太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。


「パスカル、お前はそっちから回れ! 俺はこっちから行く」

「はいっ」

「庭師、お前は馬屋へ行け、リュシーがいたら屋敷へ連れ帰れ!」

「なにがあったんです?」


 微妙な顔をしている庭師をそのままに、セルジュは屋敷にそって東回りに走った。

 まもなくセルジュは屋敷の角を一つ曲がった。


「……ん!?」


 セルジュは面食らって一瞬足を止めた。

 光が差すニレの大木の上になにか紺色のものが動いて見える。

 リュシーだった。


「なにをしている!?」

「道へ向かうだけです! すぐに戻ります!」


 リュシーはちょっとした崖の間際に生えているニレの大木に器用に上っており、そこから枝を伝って崖の上へ降りようとしていた。

 崖の上には別の者の屋敷があったが、その屋敷と崖の間には王都の中心部へ続く道がある。


「危ないだろうが! やめろ、待て!」


 リュシーがちらりとこちらを見た。

 ずるりとリュシーの足が枝から外れる。

 体が傾く。

 華奢な両手から掴んでいたはずの枝が外れる。


「――――っ!」


 既視感があった。


 ドレスがゆっくりと宙を舞い、鈍い音を立てて地面へ落ちる。

 そのまま動かない。


「チッ、馬鹿者が!」


 セルジュは舌打ちをして、ニレの根元へ走り寄った。

 リュシーは仰向けになり、目をつぶり、身じろぎ一つしない。枝にひっかけたのか胸のあたりが破れ、鎖骨から胸のきわまでが露わになっていた。


「おい!」


 セルジュはリュシーの傍らに膝をついてリュシーの顔に手を当てた。呼吸はあるが目は覚まさない。


(クソッ、馬鹿が! 仕方ない、屋敷に運んで――……?)


 セルジュはリュシーの体に手を回そうとして、露わになった鎖骨の下に白く引き攣れたような線があることに気がついた。

 それは雲間から差し込む光にぼうっと浮き上がって見えた。


(なんだ……怪我の痕か?)


「ごめんなさい、セルジュ様。どうしても見ていただきたかったのです」


 はっとしてセルジュが顔を上げるとリュシーが目を開けていた。

 視線が交わる。

 仰向けになったリュシーの目には空からまっすぐ光が差し込んでいた。


 その目は、若草色だった。


「わたくしのこと、覚えていらっしゃいますか?」


 木に登る。落ちる。その既視感。

 胸の傷。瞳の色。


「お前……まさか」


 セルジュの顔から血の気が引いた。

※恋愛物のお約束。

 虹彩の色って光の当たり方によって明るさが見えますよねっていう。

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