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伯爵は復讐を継続する、が

 セルジュは寝台から飛び起きた。全身に嫌な汗をかいている。普段の起床時間はとっくに過ぎていているようだ。

 額を押さえ陰鬱な気分で身を起こす。どれほど探してもついに見つからなかった、セルジュの幸運の御使いたち。もう二度と戻ることのできぬ昔の記憶を夢見たせいか胸が苦しくて仕方がなかった。


 窓の外は薄暗く、強い雨が王都をしとどに濡らしている。


 セルジュは沈みこんだまま食堂へと向かった。


(――復讐がついに成されると思ったあの日から一ヶ月と経っていないというのに)


 あのころは寝ているときでさえも胸の内には激情が渦巻いていた。頭は冴え渡り、全身の感覚は研ぎ澄まされ、復讐のために成すべきことを正確に見通すことができた。修羅の道を歩むことに躊躇いはなかった。


(だが今は)


 セルジュは自嘲した。

 なんと軟弱な精神なのか。最初が上手くいかなかったくらいで疲れを覚えて腑抜けるとは。


 セルジュは深呼吸をして背筋を伸ばした。

 よき復讐と成功のためには敗因分析が必要である。


(冷静になれ――まず、そうだ。敗因は俺がリュシーの性格を見誤っていたことだ)


 セルジュは食堂の前で足を止めた。

 リュシーが朝食を摂っているのが見えた。これまでは食事の時間をずらしてきたが今日は寝坊したせいで重なったらしい。


「うふふ、本当ね。あら、これも美味しい!」

「そちらはジルモア産の黄ぶどうとオーヴェルニュ産のレイベリーを用いております」

「まあ」


 リュシーは目を輝かせて笑っている。


(もっと感情の乏しい、おとなしい女だと思っていたのだが)


 セルジュは眉根を寄せて考え込んだ。


 ブロー伯爵の生前はセルジュはリュシーと接触することができなかった。パーティーや祝祭で見かけることはあっても遠巻きにするのが精一杯だった。

 なぜなら、セルジュがリュシーに接触することをブロー伯爵が異様に警戒していたからだ。それこそセルジュがブロー伯爵と出会った当初から。ブロー伯爵はリュシーを溺愛していた。


 この事実は、ブロー伯爵はリュシーを大事にしており、リュシーこそがブロー伯爵の弱点であることを意味していた。

 だからこそセルジュはリュシーを復讐に利用することを思いついたのだ。


 だが結局、ブロー伯爵の妨害のせいでリュシーの性格について事前にわかったことは少なかった。

 同じ貴族からの評判はいいこと。敵を作る性格ではないこと。お茶会や祝宴などに出るとき以外はずっと家にいる、おとなしい、典型的な良家の子女であること。


(どこが「おとなしい普通の女」だ、馬鹿野郎!)


 セルジュは足音荒く食堂へ入った。ブロー伯爵にも情報収集を誤った自分にも腹が立つ。


「あら、セルジュ様。おはようございます」

「ふん、女主人のような態度だな」


 テーブルにつきながら、反射的に嫌味が出た。


「まあ、お気分を害されたらごめんあそばせ、そんなつもりではございませんでしたの」

「その態度の大きさは父親譲りか? なにも出来ない無能のく」

「もちろん! わたくしは主人ではございませんわ、主人はセルジュ様ただ一人。わたくしはセルジュ様のもの……ま、やだ、恥ずかしい! キャア!」

「……は?」

「わたくし、ずっと恋をしたお友達が『彼のものになりたい』と仰る理由がよくわかりませんでしたの。お姫様のように甘やかされたい、ならまだわかったのですけれど。でも、今ならわかりますわ。ものにされる(・・・・・・)ことがこんなに嬉しいなんてっ」


 キャアキャアと喜ぶリュシーを前に、セルジュは渋面になった。


「はっ、お前が私のものになった? どこまでも愚かだな」

「全然ものになってませんよね……むしろセルジュ様をふりまわしてますし……」


 後ろに控えていたパスカルが小声でツッコんだ。セルジュはパスカルを睨んで黙らせた。

 セルジュは薄い唇にあざけりを浮かべた。


「私に抱かれることすらできない女が私のものだと? 笑わせてくれる。もとよりお前なぞ私がものにする価値もない。評判の良さにだまされたがこんな女だったとは。もう少し気の利く賢い女だったら一夜のお情けくらいはかけてやったものを。お前は妻という立場にいながらその体すら役に立た――」

「セルジュ様! わたくし、今日はこれから出かけようと思いますの」

「……。なに、何だと?」


 唐突な宣言にセルジュは面食らった。

 リュシーの後ろに控える侍女に目をやると、侍女はリュシーの外套(マント)と帽子を手にしていた。侍女はセルジュと目が合うと困ったような顔をした。


「お前が私に無断で出歩くなど言語道断だ。許可は出していない」

「許可が必要なのですか?」

「愚かな上に浅慮ときたか。当たり前だろう、お前に自由などない。お前の支配権は私にある」

「きゃっ! 支配ですって! やっぱりわたくし、セルジュ様のものなのですね! うふふ」


 セルジュはぐっと詰まった。

 ああ言えばこう言われ、気がつけば我ながら矛盾した暴言を吐いている。わかってはいたが、指摘されるとぐうの音も出ない。


「セルジュ様。わたくしは五番街へ行きたいのです」


 セルジュはパンをちぎる手を止めた。


 王都の外縁よりさらに外にある五番街は「いかがわしい区画」である。娼婦や違法商人が路地に立ち、甘い毒の香りのする店々が猥雑にひしめき合う。一部は金持ちや貴族向けの高級店だが、一歩裏へ入ればそこはスラム、犯罪の温床だ。


「五番街南の『紅のシャムロック』に用があるのです」

「……クッ」


 セルジュは苦い顔から一転、嘲笑を浮かべた。

 『紅のシャムロック』は娼館の中でも特殊な場所で、要するに男娼ばかりを集めた店である。


(やはり馬鹿だな。おまけに淫乱ときた)


 セルジュは声を上げて笑い出した。


「クク、おとなしい顔をして中身は淫婦か、さすがあの悪魔の娘だな! もしや処女ではなかったのか、ん? お前が男を誘惑するのが好きだとしても驚くまい」


 がたん、と大きな音を立ててリュシーが立ち上がった。珍しくリュシーは愕然とした顔をしていた。だが何も言葉が出ないのか、無言で立ち尽くしている。

 セルジュは優雅に食事をしながらも笑いが止まらなかった。胸がすく思いだ。


「体がうずくか。ハッ、新妻が男娼の元へ通うことが許されるとでも思ったのか、この男狂いが!」

「そんな、男狂いなんて……」


 リュシーは悲しそうな顔でうつむいた。

 その姿にセルジュは恐ろしいほどの興奮を覚えた。


(さあ泣け、それがお前の父親の罪だ)


 セルジュは暗い喜びに身を震わせた。


 が、その一方で少々の罪悪感もある。これまでめったに外出しなかった貴族令嬢を五番街へ行きたいと言わせたのは明らかにセルジュだ。

 セルジュは軽く頭を振った。


(――いや、悪魔の子は悪魔だったということだな。あの普段と違う悲しげな顔とて演技に違いない。同情は不要だ)


 セルジュは涙目のリュシーを冷たく眺めた。


「貴族令嬢がそんな場所に生きたがるとはなあ? そもそもなぜ『紅のシャムロック』などを知っている? 男狂い以外のなんと言える。ははっ、そんなにもの欲しいなら寝室で待っていろ、木切れでも持――」

「酷いですわ! わたくしは男娼に抱かれることなど考えておりません! わたくしは、わたくしはただ……男娼に、セルジュ様を抱く方法を教えてもらいに行くだけだもん!!」


 リュシーはわっと泣き出すと外へ向かって駆け出した。向かうは玄関だ。

 セルジュはフォークとナイフをぶん投げて椅子から飛び上がった。爆走して飛びつき、なんとかリュシーを捕まえる。


「やめろ!」

「セルジュ様に満足してもらいたいだけなん」

「や・め・ろ!」

「でも」

「やめろと言っている!」

「……はい」


 腕の中でしょんぼりとするリュシーにセルジュは青筋を立てた。思い込みが激しい上に言動が突拍子もない。おまけにリュシーから甘い女の匂いが漂ってくるのが余計にセルジュをイライラさせた。


 食堂の入り口から引きずって再び椅子に着かせると、給仕が桃のコンポートをリュシーの前に置いた。一応おとなしくする気はあるらしく、リュシーは黙って桃を口に運んでいる。


 セルジュが再び椅子に座ると、リュシーは珍しく悄然としたまま呟いた。


「……わたくし、早くセルジュ様を抱けるように頑張りますね」

「だから違う! 人の話を聞け、馬鹿者! 私は抱かれる趣味などない!」


 セルジュはこめかみをひくつかせて叫んだ。


「そういえば、ジュスティーヌ様もご存じないようでしたわね。愛する方にも言いにくいことですものね」

「人の話を聞けと言っているだろう! その耳は飾りか!?」

「そうそう、わたくし、先日のパーティーでジュスティーヌ様とお話いたしましたの。なんでも長年愛し合っていらっしゃるそうですね」

「……だからなんだ」


 リュシーは食べる手を止めていつにもまして真剣な顔になった。

 セルジュはリュシーの真っ直ぐな視線に胸のあたりが妙に騒ぐのを感じた。


「セルジュ様。わたくしたちは恋愛結婚ではございませんわ。愛の存否などどうでもよかった。でもあなた様とジュスティーヌ様は違います。なんでも5年もの間慈しみ合われたとか」

「……」


 ジュスティーヌと愛し合っていると思わせたのはセルジュだ。けれどもそれをリュシーが平然と受け入れ、あまつさえ自らこうして話題に出しているということが癪に障った。それにジュスティーヌと愛し合っていると明言されると気持ちが悪い。

 おまけに、リュシーに求婚する際、セルジュは――愛はなかったにせよ――生まれて初めて本気で女を口説いたのだ。にも関わらずリュシーがひとかけらもセルジュから愛されていると思っていなかったことにも腹が立った。


「だからなんだ。なにが言いたい」

「セルジュ様。わたくし、実はお父様があなた様にどんなことをしてきたか、知っておりますの」

「――なっ!!」

「もちろん、あなた様がどれほどお父様を恨んでいるかも知っております」


 セルジュは狼狽し、はっきりと狼狽えた。

 その場にいたパスカルや給仕、侍女もまたぎょっとしてリュシーを凝視していた。


「な……なん……」

「黙っていて申し訳ありません。ここがとても……居心地が良かったものですから。けれどもジュスティーヌ様とお話して、セルジュ様はわたくしから解放されるべきかもしれない、そう思いましたの。領地はセルジュ様が守って下さいますから、もう心残りはございません」


 セルジュは頭が真っ白になった。


「な、なん――なんで、お前はいったいなにをするつもりだ」


 どうしてそう考えた、何をするつもりだ、どういう目的なのだ、この前と態度が違うのは演技だったのか――聞くべきことはたくさんあるはずなのに、動揺で思考がまとまらない。


「セルジュ様。ジュスティーヌ様はあなた様の妻になりたいとおっしゃっておりましたわ。セルジュ様もまた、愛する人と本当の家族を作ると仰っていました。相思相愛ですのね。本当にお似合いですわ」

「――……」


 リュシーは目を指の背で拭うと、にっこりと笑った。


 セルジュは言葉を失った。


 ――違う、ふざけるな、あんな女とお似合いだと? 勝手に妙なことばかり言ってどうするつもりだ? 復讐を知っていた? それで俺をどうする気だ。


 そんな思いが渦巻くのに、今ごろになってセルジュ自身がリュシーに言ってきたことが枷となって、なに一つ言葉にすることができない。


「……馬鹿なことを言うな!」


 積もりに積もった苛立ちと焦燥が唐突に爆発して、セルジュは怒鳴りつけた。


 なぜだ。

 なぜだ?

 俺にやり返すつもりか?

 なにを考えている?


 有能な文官と言われたのが嘘のように頭が働かなかった。


 リュシーは満面の笑みを浮かべた。


「わたくしに気を遣っていただかなくとも構いません。わたくしは形式上の妻でございましょう? ならば実質上の妻はジュスティーヌ様になってもらえば良いと思いますの。ええ、そうです。ジュスティーヌ様にもこの屋敷で妻として振る舞っていただいたらいいんじゃないかと思いますの」


 それは、完全に予想外の提案だった。

※修羅の道(非暴力、三食おもてなし付き)

※リュシーの言動が支離滅裂なのは仕様です。

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