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若草色の君

※あと3話くらいで完結。のはず。


 父親を事故で亡くしたときセルジュはたったの10歳だった。母親はとうに死んでいた。兄弟はいない。頼れる親戚もいない。お金もない。


 燃え上がるような夏を前にしてセルジュは天涯孤独になった。


 街の孤児院へはいきたくなかった。そこの孤児がやせ細っていることを知っていたからだ。けれども労働者として雇ってもらうにはセルジュは幼すぎた。


 セルジュは森林官の目を盗んで街のそばの森へ毎日通った。そこでは木いちごや野ぶどう、赤桃が採れた。森の恵みを食べ、川の水を飲んで生きた。

 父親の死を悼む余裕もなかった。苦しかった。


 けれども、まもなく幸運が訪れた。


「……なんだあれ」


 セルジュは手についたぶどうの汁を舌で舐め取って目を細めた。離れたところにある木の上でちらちらとなにかが動いている。

 リスにしては大きすぎるし鳥刺しにしては小さすぎる。


 セルジュは足音を立てないようにしながらそっと近づいた。


「キャアッ!」


 甲高い叫び声がしてそれ(・・)は木の上から落ちてきた。どさりという音、次いで静寂。それは地面に横たわったまま動かない。

 遠目でもはっきりとわかった。それ(・・)の正体は淡い金髪の幼い少女だった。


「女の子!?」


 セルジュは仰天して駆け寄った。

 少女は仰向けになったまま目を閉じて動かない。歳は5つくらいだろうか。貴族の子供なのか、目の細かいレースがふんだんについた豪奢な青いドレスを身にまとっていた。

 だがそのドレスの襟はざっくり裂けている。


 セルジュはおそるおそる少女の胸元をのぞき込んだ。鎖骨の下あたりから血が流れている。致命傷ではなさそうだがかすり傷とも言えなさそうだった。


 セルジュはためらいつつも少女の袖のピンを抜いてレースを外し、それを胸元に押し当てた。白いレースに赤い血が滲む。


「う、うん……」


 少女が身じろぎした。

 セルジュは少女の顔をのぞき込んだ。

 そのとき、強い風が吹いて木の葉が大きく揺れた。木漏れ日がまっすぐ少女の顔にこぼれ落ちる。

 少女は目を開いた。森の清らかな光を真正面から受けた少女の瞳は、若草色だった。


 濡れた宝石のように若草色がきらめいた。


 セルジュは息をのんだ。


(綺麗だ)


 なにかの色を綺麗だと思ったのは初めてだった。


 少女が顔をしかめて、セルジュは我にかえった。


「いたた……」

「あ、ダメだよ、じっとしてて。胸のとこ怪我してる」

「手当してくれたの? あなたはだれ?」

「……ただの通りすがり。危ないよ、あんなことしちゃ」


 セルジュは少女から目を反らした。

 街の周りの森は領主のものだ。勝手に入って狩猟や採取をすることは禁じられていた。実際はセルジュのようにこっそり立ち入る者も多かったが違法は違法だ。ばれれば罰金を払わなければならない。

 だから、セルジュはこの貴族の――たぶん領主の身内だろう――に名前を明かすわけにはいかなかった。


 少女は困ったように眉を下げた。


「でも、大事な帽子が風に飛ばされちゃったの」


 セルジュが上を見上げると、確かに木の枝にクリーム色の帽子がひっかかっているのが見えた。あれを取ろうとしたらしい。

 少女は必死に言いつのった。


「お母様が選んでくださったものなの。お母様はご病気で、今は遠いところで療養しているの。これからお父様とお見舞いにいくところなの」


 セルジュは少女に目を戻した。若草色に悲しそうな色を重ねて必死で言いつのる少女に、セルジュは胸を突かれるような思いだった。

 セルジュの母は重い病気にかかって死んだ。

 少女の母親の容態も相当悪いのだろう、遠くで療養する必要があるということは。

 セルジュには少女の悲しみはとてもよくわかった。


「あの帽子をかぶっているところをお母様にお見せしたかったのよ。男の子にはわからない気持ちかもしれないけれど」

「……わかった。俺が取ってくるよ。だからそのまま寝て、待ってて」


 セルジュは太い枝に手をかけて体を持ち上げた。慣れたものだ。するすると木を登り、クリーム色の帽子を危なげなく手にして、トンと身軽に地面に降り立つ。

 そして帽子を少女に持たせてやった。


「すごい! ありがとう!」

「!! いや……」


 ぱっと顔を明るくして微笑んだ少女にセルジュは急にものが言えなくなった。ただお礼を言われただけだというのに頬が赤くなって、胸の奥がむずむずして、叫び出したい気持ちになった。

 セルジュは慌てて頭を振った。


「ねえ、きみ、どうして一人なの? お父さんは?」

「それが、はぐれちゃって……湖のところでご飯を食べていたの、でも帽子が飛ばされて、追いかけるので必死だったから」

「……そっか、あまり離れてないね。大丈夫だよ、連れてってあげるから」


 セルジュは覚悟を決めた。手ぬぐいでなんとか目より下を覆って少女を抱え上げる。

 少女を親元まで連れて行くということはセルジュが無断で森に入ったことがばれるということだ。しかし罰金を払うお金はない。鞭打ちか、牢屋行きか。それを免れても孤児院行きになりそうだ。

 けれども動けない少女を森へ置いていけば獣の餌食になるかもしれない。それはダメだ。


(この子を渡したら、全力で逃げる。森の中なら逃げ切れるかもしれない、いや、逃げ切ってみせる)


 ふと視線を下げると少女と目が合った。

 少女は再び微笑んだ。


「本当に、ありがとう。あなた、優しいのね」


 天使にしか見えなかった。



***



 しばらく森を進むと急に視界が開けた。大きな湖が眼前に広がり、貴族らしい男が一人と護衛らしい男が二人、こちらに体を向けて立っていた。


「ルー! 無事だったのか!」


 貴族は顔を綻ばせて歩み寄ってきた。

 護衛の一人がそれを制してこちらへ近づいてくる。もう一人の護衛は「呼び戻してきます」とだけ言って森へ入っていった。


 近づいてきた護衛は険しい顔をしている。セルジュはできるだけ敵意を見せないように少女を差し出した。護衛はセルジュを睨みながら少女を受け取る。


 セルジュは素早く身を翻そうとした。

 が、それは少女の手によって阻まれた。しっかりセルジュの胸元を掴んでいたのだ。ぱらりと手ぬぐいが外れた。セルジュの顔が露わになった。


「ねえ、あなた、名前を――」

「貴様、なぜ逃げようとした。なぜ顔を隠す。そもそもなぜ森にいる。怪しいやつめ!」

「待って、ラッセル! 助けてくれたのよ」


 少女が憤った護衛を止める。少女の手がセルジュから離れた。

 いつの間にか近くに来ていた貴族が驚いたように声をあげた。


「ルー! 怪我してるじゃないか!」

「枝で傷つけちゃったのよ。でも大したことないわ」

「重傷ではないな。しかしだめだ、早く手当をせねば傷跡が残る」


 二人の男の目がセルジュからそれた。

 セルジュは今度こそ身を翻して走り出した。


「待ちなさい」


 妙に威圧感のある声に、セルジュはびくりとして思わず足を止めた。

 もたもたしている間に、森から、つまりセルジュが逃げようとしていた方向から、さっき森へ入っていった護衛と別の護衛が複数人、出てきた。

 セルジュに逃げ道はなかった。


「心配いらない、君にお礼がしたいだけだ」


 セルジュがおそるおそる振り返ると、貴族は穏やかな顔で地面に膝をついてセルジュの目線に合わせた。


「娘を助けてくれてありがとう、少年よ。名はなんという?」

「……」


 セルジュはうつむいて身を固くした。貴族はなぜかふっと息を吐くように笑った。


「なるほど、賢いな。それに用心深い。罰金を恐れているのだね」

「……」

「にもかかわらず、娘を連れてきてくれたということか」

「……」

「君が森にいたことは私が黙っていれば露見するまい。とりあえず、こちらへ来なさい」


 肩をつかまれて仕方なく、セルジュは森の小道を貴族とともに歩いた。ルーと呼ばれた少女は護衛に抱えられて後ろからついてくる。

 セルジュは貴族を見上げた。

 この貴族の男には妙な威圧感があった。命令されれば足を止めてしまうし、今とて肩に置かれた手には力は込められていないのになんとなく振り払いにくい。


 小道をゆくと見慣れた街道に出て、そこには六頭立ての馬車が四台止まっていた。騎兵も何人か従えている。

 セルジュはギョッと目を見開いた。これほど豪華な一行は見たことがない。セルジュたちの街へ領主様が来たときもこれほどではなかった。


(いったい誰なんだろう、この人)


 セルジュは落ち着かない気持ちになった。

 一度馬車に入った貴族はすぐに出てきた。手には膨れた革袋が握られている。


「これはお礼だ。受け取りなさい」

「……ありがとうございます」


 セルジュは革袋の中をのぞき込んで、それを取り落としそうになった。眩い金貨が、金貨だけが、革袋いっぱいに詰まっている。

 セルジュは思わず大声をあげた。


「旦那様!」

「どうした。足りないか?」

「ち、違います! そうではなく……その。これは頂けません」


 セルジュはうなだれた。子供といえど伊達に街で暮らしてきたわけではない。

 貴族は眉を上げた。


「遠慮は時に愚かだぞ。金は必要だろう」

「その……俺は親がいなくて、俺が持っていても怪しまれて、取り上げられるだけだと……思いますので」


 庶民が使う店で金貨が出回ることはない。孤児のセルジュが金貨を使えば怪しまれ、出所を尋ねられ、革袋の存在がばれれば街の権力者に取り上げられるだけだろう。悪ければ泥棒として捕まるかもしれない。

 貴族は目を見開いて「ふむ」と言った。


「なるほど、それは考えなかった。では鞄いっぱいの銀貨にしよう。それに加えて」


 貴族は愉快そうにセルジュを見下ろした。


「君に生きるための知恵を貸してやろう」

「知恵……」

「そうだ。金があれば生きていくのが楽になる。しかし君が指摘した通り、金があるだけでは権力に翻弄されてしまう。さて、どうする?」


 セルジュは街の大人たちを脳裏に思い浮かべた。役人やギルドのお偉いさんに贈り物をすれば、いいように取りはからってもらえることがある。


「お金をあげたりして、権力者と仲良くなる?」

「その手もある。が、それでは不十分だ。金を送った相手が常に自分のいいなりになるとは限らない」

「……」

「簡単なことだ。君が権力者になればいい」

「え」


 セルジュは困惑した。

 簡単なはずがない。そんなことができるのだろうか。セルジュは平民で、貧乏で、孤児だ。権力から最も遠いところにいる。

 貴族は真剣な顔で言った。


「私の言葉をよく聞きなさい。そうすれば道は開ける」


 ――まずは、渡した金で食べ物を買いなさい。体が貧弱なのはいけない、金を出し惜しみしないこと。

 次に、質素でも清潔感のある服を買いなさい。身なりをきちんと整えることも重要だ。

 それから一人男を紹介するから、彼を雇いなさい。給与は安くはないが君に必要なことだ。私が渡した金で十分に雇えるだろう。彼に教えを請うて、字や計算、地政、天文、経済、なんでも習いなさい――。


 セルジュはポッカリ口を開けた。家庭教師を雇って勉強するのは貴族か裕福な平民がすることであって、仮にセルジュの両親が生きていたとしてもセルジュには無縁のものだったはずだ。


「あ、あの、でも」

「自分を鍛えなさい。そして時がきたと思ったら王城へ来なさい。そこで働き、出世をするんだ」


 そう言って、貴族はようやく微笑んだのだった。


 生きていくための基盤と知恵を授けてくれた人たち。セルジュにやってきた幸運の天使とその父親。


(会えると思ったのに)


 ――名前は今は言わないでおこうか。互いの自己紹介は王城で再開した日にするとしよう。君がここまで上ってくるのを、待っている。


(ようやくお礼を言えると思ったのに)


 いくら探しても、天使も貴族も見つけることができなかった。

 代わりにセルジュが出会ったのは、骸骨のように痩せた顔に落ちくぼんだ目、意地悪にゆがめられた唇を持つ悪魔。

 ブロー伯爵。

森林官しんりんかん→森を管理する役人

※鳥刺し→鳥を捕まえて売る職業

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