伯爵は復讐をしたいのか
※5話では終わりませんでした。もうちょっと続きます。
※キャラクター名間違えていたので直しました。
正:ジュスティーヌ
誤:クロディーヌ
リュシーは今日も陽気に笑っている。それがセルジュには腹立たしくて仕方がなかった。
傷つけたい。
傷ついた顔で泣いて、わめいて、許しを請わせたい。
そんな思いが怒りになってセルジュの胸の奥で渦巻いた。
揺れる狭い馬車の中でセルジュは舌打ちをした。隣にいる新妻からは柔らかく甘い香りがして、それにまた苛々させられる。
「ブロンダン家についたらまずは挨拶をして回る。粗相はするなよ」
「ええ、問題ありません」
「挨拶が終わったら俺は姿をくらまして愛しい人に会いに行く。お前はその場に残って適当にとりつくろっておけ。妙なことを言えばお前は――」
「承知いたしました、アレマン家の名誉に関わりますものね。私とてお父様の大事な後継者様に妙な噂を立てられたくありませんわ。いざとなったら急用で屋敷へ戻ったとでも言っておきますわ」
「……ふん」
存外まともな返事にセルジュはそっぽを向いた。
むろん、愛人に会いに行くというのは嘘だった。セルジュが姿を消せばジュスティーヌがリュシーに近づくのではないかと期待してのことである。
ジュスティーヌはセルジュにしつこくしてきただけあって粘着質で、気が強く、おまけにセルジュから見ても明らかに性格が悪い。かつてはセルジュが知らぬ間に、セルジュに近づく女をいびり倒し追い払っていたとも聞く。
リュシーとジュスティーヌを引き合わせるのは良い復讐となるように思えた。
が、そのときセルジュの胸に一抹の不安がよぎった。
ジュスティーヌが相手にするのはリュシーである。謎の自信に溢れ妙にポジティブで人の話をあまりまともに聞いていないふしがあるリュシーである。
セルジュがちらりと隣を見ると、リュシーはにこにこと豪華な結婚指輪を嬉しそうに眺めていた。
(ジュスティーヌはリュシーに勝てるのだろうか)
少なくともセルジュはここ二週間、リュシーに敗北に敗北を重ねている。
見た目をけなしてもダメ、中身をけなしてもダメ、行動をけなしてもダメ、すべてセルジュの発言は明後日の方向にそしてポジティブに受け止められ感激されたり感謝されたりするのである。
……つい先日はドレスをけなしてみたところ、それは自分が与えたものだったらしく「セルジュ様のセンスは素晴らしいですわ、自信をお持ちになって」と優しく慰められた。その場にいたパスカルとジャンヌには生温かい視線を注がれた。
(会場から消えるんじゃなくて、物陰に隠れてこっそり見守るか……)
リュシーが何を言い出すかわからないという不安もある。
……華麗な復讐者になるはずだったセルジュは、自分がただの道化師になっているのではないかという内心の疑問を必死で否定した。
「あら、セルジュ様? お腹が痛いのですか?」
「違う!」
「ああよかった。結婚してから初めてのパーティー、楽しみですわね」
脳天気なリュシーの台詞に、セルジュは気が抜けるのを押さえて必死で気合いを入れ直した。
***
「あれが噂のアレマン伯爵夫妻よ。大恋愛だったって」
「まあ、見てあの結婚指輪! なんて豪華なのかしら」
「アレマン伯爵はこの前まで平民だったのでしょう? よくあれほどのものが作れましたわね」
「あら、士爵位を賜って出世頭だったそうじゃない。お金はあったのでしょうよ」
「なんでも出世も愛の力だとか、うふふ」
ご婦人たちの熱烈な視線と噂をセルジュはできるだけ無視して知り合いを探した。
「アモロス伯爵、ご機嫌いかがですか」
「おお、セルジュくんではないか……ほっほ、君の奥さんは結婚式でなくても見事に美しいね」
「ありがとうございます、伯爵。改めまして、妻のリュシーです」
「お褒め頂き光栄でございます、アモロス伯爵様。リュシー・ブロー・アレマンでございます、どうぞよろしくお願いいたします」
リュシーはさすが伯爵令嬢だけあって堂々と完璧な挨拶をこなしていった。普段の噛み合わなさっぷりは鳴りを潜めている。
セルジュは密かに舌を巻いた。
(これならば一人で放っておいても大丈夫だな。……ん? 大丈夫だと困るのか?)
なんだかわけがわからなくなってきた。こういうときはさっさと計画を実行するに限る。
セルジュはリュシーの耳元に唇を寄せた。
「そろそろ挨拶回りは終わりだ。私は愛する人の元へ行ってくる」
「わかりました、お気をつけて」
「ふん、いつまで虚勢を張」
「キャー、あれ見て! アルマン伯爵様が奥様の耳にキスなさってるわ!」
「……」
リュシーと同じくらいの娘たちが頬を染めてキャアキャア騒ぎながらこちらを見ている。そのせいで他の人たちの注目まで集めてしまっている。
「おお、お熱いことだな……」
「ま、仏頂面なのに仕草は愛に溢れているなんて!」
「素敵ねえ」
完全に誤解である。
本来の復讐計画からいえば、周りに自分たち夫婦が仲良しだと思われるのは良いことであった。しかしどうも今は疲労感が増すばかりである。
「リュシー、ここにいろ」
セルジュはひらけた休憩室の隅にリュシーを連れて行くと、そそくさとその場から離れた。
充分に時間をおいてからセルジュはこっそり休憩室へ戻った。上手い具合に衝立に隠れて様子をうかがう。
「――哀れなお嬢ちゃんだこと。あなた、妻の地位を手に入れたから安泰だとでも思っているの?」
甲高く嫌味なジュスティーヌの声が聞こえた。うまいことジュスティーヌはリュシーに接触したらしい。
セルジュはリュシーと対峙するジュスティーヌを見て、ぎょっと目を剥いた。
(なんだあの格好は!?)
ジュスティーヌはリュシーとそっくりの深緑のドレスを身にまとっていた。
リュシーのドレスはこのブロンダン家の宴会のためにセルジュが新しく作らせたものだ。他の女性のドレスと被ることはありえない。普通ならば。
ジュスティーヌがクスッと笑った。
「まあ嫌だ、ドレスが被っちゃったわあ。これは三ヶ月前にセルジュが贈ってくれたものなの。それ、急いで作ったのかしら? いくら急ぎとはいえ、わたくしに贈ったドレスのデザインを流用するなんて、セルジュったら」
セルジュは眉間に皺を寄せた。
むろん、セルジュはジュスティーヌにドレスを贈ったことなどない。ドレスどころかハンカチ一枚さえ贈ったことはなかった。
(そうかジュスティーヌのやつ、仕立屋に手を回したな)
苦々しいものがこみ上げてくる。急いで仕上げるために大勢の針子を雇ったのだ、そのうち一人くらい情報を流す者がいてもおかしくはない。おそらくは針子に金を握らせてデザインを聞き出し似たようなものを作らせたのだろう。
遠巻きに二人を眺めている人たちも、眉を寄せてひそひそ話をしている。
「あら、ジュスティーヌ様へのお詫びだったのかもしれませんわね。三ヶ月前はセルジュ様、毎日我が家へいらしてたものですから」
「なっ!」
頬を押さえて恥ずかしそうにするリュシーに、ジュスティーヌは唇を震わせた。
「それに――そうなんです、セルジュ様、わざわざドレスを仕立てて下さって。いらないって言ったのに」
「ふん、それでもデザインの使い回しだなん」
「今回デザインはお針子に任せましたのよ。ブロー家の伝手で針子を集めましたからきっと偶然ですわ。ですからお気になさらないでくださいな」
「……」
見事に論破されたジュスティーヌは鬼のような形相になって、手にしていたワインをリュシーにかけた。リュシーの白い肩から赤いワインがしたたり、ドレスの胸元を濡らす。
(なんということを――)
セルジュは顔をしかめた。物を無駄にするのも人に暴力を振るうのも嫌いなセルジュである。
ジュスティーヌはリュシーに詰め寄って叫んだ。
「――この、女狐が! いったいどんな手を使ってセルジュをたぶらかしたの? あのブロー伯爵の娘だもの、賢く手を回したのかと思ってたけど頭が足りないみたいだし違うようね! どうせなんにもしらない初な娘のふりをしながら、セルジュを淫らな娼婦のように誘惑したんでしょう!」
「それが、わたくしにもわからなくて……」
リュシーは全くこたえていなかった。
肩あたりにかかったワインをハンカチでぬぐいながら困ったように微笑む。
「お父様が亡くなってわたくし必死でしたの。家のことも将来のこともどうしたらいいかわからなくて、男の方にもたくさん求婚されて。でも気がついたらセルジュ様がその方たちを追い払って下さって、贈り物を持って毎日……きゃ!」
頬を染めて嬉しそうにするリュシーにジュスティーヌは目をつり上げた。
「はっ、権力を振り回して来させたの間違いでしょ? それにセルジュが愛しているのは私だもの、あなたと結婚したのはどうせ爵位と領地狙いよ」
「ええ、お父様の爵位と領地はセルジュ様が継いでくださってようございましたわ」
にこにこ。
噛み合わない会話に苛立ったのかジュスティーヌは眉間に皺を寄せた。が、ジュスティーヌは突然クスクスと笑い始めた。
「それで、初夜はどうだったかしら? 素敵でしょう、あの人に抱かれるのは。しつこくって、情熱的で。毎日したがるものね。うしろからするのが好きだって知ってた?」
セルジュは青筋を立てた。
(あの女! なんという下品な嘘を……)
そもそもジュスティーヌとてセルジュのことはよく知らないはずなのだ。ジュスティーヌとセルジュの関係は、期間だけで見れば確かに長い。ジュスティーヌの押し掛けによって強制的に二人でいるはめなったことも多い。が、寝た回数だけでいえば実は片手の数ほどである。酔い潰れたときやしつこさに根負けしたときくらいのものだ。
セルジュはこの時はっきりとジュスティーヌと関係を持ったことを後悔した。
「抱かれる……?」
「あらあ、もしかして! うふふ、初なお嬢ちゃんねえ、まさか初夜もまだだったとはね! やっぱりそうじゃない、セルジュはあなたを愛してなんていないのね。愛していたら、若い男が新妻を抱くのを我慢できるはずないものね、ふふ」
「……セルジュ様とは長いのですか」
「ええ、もう5年になるわ。あの人飽きっぽくてどんな女も長続きしないの、でもいつも最後には私のところへ戻ってくるのよ」
リュシーは押し黙った。
それに気をよくしたのか、ジュスティーヌは嘘で塗り固めたセルジュとの愛の生活を気持ちよく語っている。
セルジュはなんとなく嫌な予感がした。
「それで、そのときセルジュは私の体を優しく抱きしめて――」
「ジュスティーヌ様でさえもご存じなかったのですね……」
ぽつりと呟かれた言葉にジュスティーヌが眉根を寄せる。
「なによ、はったりを言おうとしたって無駄よ」
「わたくし、セルジュ様に秘密を告白されましたの」
「へえ、なにか知らないけどそんなので勝ったつもりかしら? 子も産ませてもらえないお飾りなら私に妻の地位を譲って下さらない? 抱いてすらもらえないなら意味がないじゃない」
「そうなのです、セルジュ様もそうみたいなんです」
「は?」
結婚式以来経験を重ねたセルジュの頭がはっきりと危険を予測した。
セルジュはとっさに衝立から飛び出してリュシーに飛びついた。
「よろしいですか、ジュスティーヌ様。実はセルジュ様は女性を抱くより抱かれ――」
「リュシー! こんなところにいたのか! さあこっちへおいでこんなところでこんな話をしていてはダメだ!」
「あっ、待って下さいまだお話が――」
「大丈夫もう必要ないよさあこちらへおいでさあ早く今すぐに」
セルジュは有無を言わせずリュシーを抱き上げると休憩室から飛び出た。脇目もふらず人目も気にせずセルジュはそのまま廊下を全力疾走し、外で待たせていた馬車の中へ逃げ込んだ。
***
「それでは、第八回使用人会議を始めまーす」
パスカルはいつものように地下の大部屋で宣言した。
今日はいつも以上に使用人たちは興奮していた。なんせお題が「ブロンダン家でなにが起きたかを各自探ってくること」である。
ブロンダン家の宴会があった昨晩は結局、宴が終わるにしては早い時間に二人は帰ってきた。リュシーはにこにこしているが胸元をワインで汚しており、セルジュはむっつりした顔でなぜかリュシーを抱え上げて屋敷まで運んできた。
セルジュがリュシーに惚れたのかとも思われたが、それにしてはセルジュは不機嫌である。
パスカルは立ち上がって手短に述べた。
「セルジュ様に聞いたんだけどね。どうも、ジュスティーヌ様は攻撃しても全くへこたれないリュシー様に業を煮やしてワインをかけたらしい。それでどうにもならなくなって、セルジュ様が途中で二人に割り込んで、リュシー様を拉致……じゃなかった抱きかかえて帰ってきたんだと」
「もしや、そんで勢い余って屋敷へ入るまで奥様抱きかかえたまんまだったってことか!?」
「たぶん」
「うっひっひっひ! なんだそれ、はっはっはっは!」
会議開始より一分、早やポールは笑い崩れた。
パスカルは皆を見回した。
「それで、他になにかわかった人いる?」
洗濯係の女が手を上げた。
「今日休みだったんでアタシ友達のとこ行ったんですよ、ほら、フィーユ商会の。したらちょうど昨日の宴に手伝いに行ってたみたいで、すごい噂になってるって。なんでも旦那様はジュスティーヌのことは完全無視で奥様を休憩室に連れ込んだとかなんとか」
ブフォ、と庭師が吹き出した。
食料買い付け係の女が手を上げた。
「今朝アモロス家の使用人の子と市場で立ち話したんです、そこで聞いたのですけれど、奥様を休憩室に連れ込んだ旦那様は『ワインの掛かった君はいっそう美味しそうに見えるね』と言ってドレスを脱がせたとか」
グフ、と出納係が変な音を出した。彼は慌てて咳払いをしてごまかした。
マリーが手を上げた。
「私も知り合いに聞いてみましたわ。そちらでも似たような噂を聞きました。曰く、旦那様が『濡れたままだと冷たいだろう? 一緒に温まろう』と言ってブロンダン家客間のお風呂にリュシー様と一緒に入ったとか、『濡れて寒いだろう? 私が君を温めてあげよう』と言ってリュシー様をベッドに押し倒したとか」
ジャンヌと銀器磨きが身を寄せ合って肩をふるわせている。
「結局、熱い一夜を過ごしたって噂になってるっつーことだな! うっはははは!」
ポールのツッコミに使用人の一部は爆笑し、一部はあきれ顔になり、一部は微妙な顔になった。
セルジュ・アレマンの復讐計画は完全に予定外の方向へ転がっている。
「こりゃ、セルジュ様の精神がどうにかなる前になんとかしないと……」
騒がしい大広間を眺めながら、パスカルは遠い目をして呟いた。