伯爵は復讐を始めたい
※恋愛成分は後半から徐々に出てきます。
従者の夜はさらに長かった。
パスカルは重い体を引きずるようにしてセルジュの部屋から辞した。
昼間の結婚式から祝宴、新しい女主人リュシーとの顔合わせ、屋敷の案内、そして初夜の出来事。気を張ることが目白押しで、元来頑丈なパスカルも精神的に疲弊していた。
廊下を伝い、ゆっくりと屋敷の地下へ降りる。そこには使用人の各部屋へつづく大部屋があって、使用人のたまり場になっているのだ。
「パスカル、戻ったか! で、どうだった?」
「ポール。まだ起きてたのか」
見れば、コックのポールがだらだらとベンチの上でエールを飲んでいた。
部屋のソファや簡易ベッドでは侍女や衣装係、洗濯係の女たちが丸まったり互いにもたれかかったりしながらくっついて寝ている。馬屋番や庭師は床の上に転がっていた。いつもならばみな自分の部屋で寝るというのに。
「もしかしなくても、みんな待ってた?」
「寝ちまったけどな。で?」
わくわくした顔のポールにパスカルは眉間を押さえた。
「うん……予想通りさ。言葉責め戦法、あっさりリュシー様に破られた。セルジュ様は驚愕と激怒を繰り返したあげく疲労困憊になって見栄を張りつつ寝室から退却」
「ぶっ……わっははははは! ははは! ひー、思ってたよりウケる!!」
ポールは机をばんばん叩きならが顔を真っ赤にして喜んだ。薄情なやつである。
パスカルは寝ている使用人に毛布をかけてやりながらボヤいた。
「だから言ったのに。半年も一人で領地を切り盛りした女の子が気の弱い箱入り娘なはずないじゃないか……」
「強い女に決まってんのになあ。セルジュの旦那はどっか抜けてて猪突猛進だよなーうはははは!」
「静かにしてくれ耳が痛い。たぶん復讐心で冷静じゃないんだと思うけど」
「おまけに復讐方法が言葉責め! 監禁とか拷問とか普通はもっと強力な方法を採るだろうに……くっくっく」
「残酷なこと嫌いだからね、あの人」
パスカルはぐったりと机に伏した。
仮に相手の女がしたたかだったとしても、領主となった貴族の男が女を絶望させる手段など他にいくらでもあるはずなのだ。幽閉、鞭で打つ、顔を焼く、爪を剥ぐ、逆さ吊りにする……。貴族の中には領主裁判権を利用してそんな拷問を楽しむ輩がいるという噂さえある。
だがセルジュはリュシーに拷問どころか暴力を振ることすら思いつきもしないのだ。性格的に。
「ぐふっ、くくっ……よりにもよって言葉責め……しかも言葉責めだけ……ご令嬢なら言葉での戦いは得意なんじゃねーの?」
「ね。セルジュ様も貴族令嬢の会話を聞く機会なんていっぱいあったろうに、なんで気づかないんだろう」
「会話から情報集めんのに夢中だったんじゃね?」
「……ありうる……」
パスカルは胸一杯に空気を吸い込んだ。腐った藁やら溢れた食べ物やらのせいで臭い。この部屋もいいかげん掃除をさせねば、と心に決める。
「それに、ちょっと気になるんだよね。オリーブ色とか若草色とか」
「あん? なんだそりゃ」
「瞳の色なんだけどね……」
パスカルはとろとろと瞼を下ろした。もう限界だった。
「ふうん、やっぱ知らない話多いな。みんなで情報交換する必要があんな」
「……そう……だね……」
「こんどココで使用人会議やろーぜ、いっそのこと」
ポールの言葉が、遠ざかるパスカルの意識にかろうじて届いた。
***
一晩寝ても体力が回復しない。セルジュがこれほど精神的に疲労したのは実に久しぶりであった。
復讐に燃えているときは体は疲れようとも魂までは疲れない。だが今は、なんか、なんだか、なぜか、セルジュは恐ろしく疲れていた。念願の復讐をついに実行しているはずなのに、計画は完璧だったはずなのに、見事に空回りするのである。
一方のリュシーは、初夜を夫にすっぽかされたというのに大変元気であった。
「ふん、よく元気でいられるな。お前はお飾りの妻にすぎないというのに」
「お飾り? ふふ、冗談がお上手ですわね。結婚誓約書にはわたくしたちの本物の署名がございますし国王陛下の結婚許可も下りておりますわ。わたくし、ちゃんと存じておりますのよ? お飾りもなにもわたくしがセルジュ様の本物の妻ですわ! キャッ、やだ、なんだか恥ずかしくなってきてしまいましたわ、うふふ」
リュシーは頬を染めてふりふりと可愛らしく頭を振る。ただの貴族令嬢であるはずなのに、今のセルジュにはリュシーが謎の生命体に見えた。
セルジュはぎり、と歯を噛みしめる。
「そういう意味ではない! あれが本物であることくらいわかっている、そうではなく――」
「国王陛下の本物のご許可があってもわたくしをお飾り、すなわち偽りの妻だと? つまり現国王は偽の王でありその結婚許可は無効であるという意味でしょうか」
「は?」
「なるほど反乱をご計画だったのですね。ならばセルジュ様の主導でということでしょうか」
「え、えっ」
「ああ、新婚早々から反乱軍リーダーの妻になるとはなかなか刺激的ですわね。ううん、これは完全に予想外でしたわ。でもお父様の後を継いだセルジュ様のご判断ですもの、きっと正しいのですわね。大丈夫ですわ、わたくし、しっかりセルジュ様を」
「はっ、違う! 反乱などもってのほかだ! 結婚自体は本物だが、それは形式上のものにすぎんという意味だ! つまり、お前は事実上は私の妻としての権利などなにも持たんということだ」
「ああ、そういう意味でしたか。早とちりでしたわ、ごめんあそばせ。わたくしはこの屋敷の女主人ではないという意味ですわね」
「そうだ、愚か者め」
セルジュは嘲笑しつつも内心ほっとしていた。ようやく意味が少し通じたらしい。なんとなくまだちゃんと噛み合ってない気もするが。
リュシーはぱあっと顔を明るくした。
「やっぱりお優しいですわ、セルジュ様! こんなにわたくしを思ってくださるなんて!」
「な」
「わたくし、実は女主人としての仕事はあまり得意ではありませんの。ドレスの色柄ですとかカーテンの模様ですとか難しくて。わたくしの代わりに女主人の仕事をしてくださる方がいるとはありがたいですわ。ああ、もしかして女給頭のマリーかしら? 彼女、とっても気持ちのいい方ですものね。いいえ、もしかしてジャンヌの方かしら。あの子も――」
やっぱり噛み合っていなかった。
セルジュは魂が抜けたようになった。
ああ言ってもこういう言う、なのである。
肝心のリュシーはセルジュの様子に気づくことなく上機嫌で話し続けている。
セルジュは「ちょっと待て!!」と叫んでリュシーを遮った。
「そ、そもそも! いくら結婚したとはいえ白い結婚のままでは正式な妻とは認められん。ゆえにお前はやはり私の妻にはなれんのだ」
「どうでしょう? 本当にそうでしょうか。妻が夫を抱いたとしても白い結婚と見なされてしまうのでしょうか」
「いや、だからそれは誤解」
「確かにこれは重要な問題ですわ。早急に解決する必要がございますね。セルジュ様、馬を貸してくださいませね、わたくしこれから司祭様のところへ行ってセルジュ様がわたくしに抱かれた場合でも白い結婚のままなのかと問いただし――」
「やめろ!」
「大丈夫ですわ、司祭はみな口が堅いものですから」
「そういう意味じゃない!」
「セルジュ様ー、また手紙が来てますよ。……あ、リュシー様。いらっしゃったんですか」
部屋に飛び込んできたパスカルはリュシーの顔を見ると硬直し、次いで困った顔になった。
セルジュはパスカルの表情と手紙を見て直感した。パスカルから素早く手紙を奪い取ってひっくり返す。そこには予想通り、ジュスティーヌの署名が記されていた。
「ああ、これは私の愛しい人からじゃないか!」
セルジュは起死回生とばかりに大仰な声をあげ、急いで手紙を開けた。
その中には予想通り、いつ誰々の宴会に出席するからセルジュも来てくれ愛している会いたい云々と書かれていた。
(そうだ、毒を以て毒を制すればいい)
セルジュはニヤリと笑った。
「リュシー。今度のブロンダン伯爵家の宴会で、私は愛しいあの人と愛を交わす。本来ならば二人きりでいたいところだが新婚早々浮気と噂されては私の評判に関わるからな。あなたにも妻として出席してもらう」
「あらやだ、やっぱりセルジュ様もわたくしを妻として扱ってくださる気なのではないですか。意地悪なことばかりおっしゃって、そういうところも素敵ですけど……キャッ」
「……。……あなたが注目を集めている間に私はうまく周りをごまかしてあの方と会う。私は真実の愛を語らうので忙しいのでな、宴の席ではあなたは一人ぼっちだ」
「かしこまりました! 妻としての社交はお任せくださいませ」
「…………。こ、こんな貧相な体の女を私の妻としてみなに披露せねばならないとはな!」
セルジュは盛大な悪口を言ってそそくさと廊下へ出て行った。
リュシーはにこにことパスカルに微笑んだ。
「セルジュ様のおっしゃる通りですわね、たくさん食べてもっと太らねば。アレマン家のご飯はとっても美味しいですしたくさんありますのね、コックに感謝を伝えてちょうだいな」
「かしこまりました、リュシー様。……あの、セルジュ様のことなのですが」
「ええ、大丈夫。ちゃんとわかってますわ。わたくし、セルジュ様にとっても愛されてますのよ?」
自信満々に、そして少しいたずらっぽく笑って食堂へ向かったリュシーの背に、パスカルは何も言えずにただ頭を下げた。
(リュシー様すげえ。っていうかセルジュ様、今日も完敗じゃないですかー! ジュスティーヌ様を愛してるだなんて嘘までついたのに……哀れというかなんというか)
パスカルは復讐が成功しないことに複雑な気分を抱えながら、書斎へ向かった。
※残りのお話は明日、明後日(21~22日)あたりに投稿します。
<役者紹介>
○ポール
アレマン家のコック。陽気なヒゲ男。
○マリー、ジャンヌ
アルマン家の女給頭と衣装係。次話で本人たち登場。