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伯爵は復讐相手を知ろうとする 2

次話でようやく完結。間に合えば28日夜に投稿します。

 パスカルは紙片を手に小首をかしげた。

 丸印のついていた方とは違い、書かれた言葉が抽象的で言わんとすることがはっきりしない。


 ――貧弱な種は芽吹けば踏まれて折れる。芽吹かぬよう石を乗せればますます絶望的に思えるが根を張りよく太る可能性も残される。


 ――美しく見える大樹の森は足下が暗く、やがては病んだ老木ばかりとなる。切り倒せば大地に光が届き健康な若木が森の主となる。


 ――ルケルヴェーの神は四つの手で世界を統べる。統治には闇の神(マニエット)のみでは足りぬ。光の神(リュエノー)もあって十全となる。


「お二人にはわかりますか? この神様の話なんて特に僕には意味不明なんですけども」


 ルケルヴェはこの国で一般に信仰される宗教のことである。庶民の生活にも密接にかかわる存在ではあるものの、パスカルはその教義や聖典には通じていない。

 セルジュは紙片に目を近づけた。


「奇妙だな。ブロー伯爵の性格なら逆に『光だけではなく闇も必要だ』と言いそうなものだが。統治には違法な手段も必要だと」

「これはおそらく神の性格(・・・・)の話ですわ。お父様がよく言っていたのです、優しさは大事であるが時には苛烈に争うこともまた大事であると」

「そうか、マニエットは罪をも受け入れる慈愛の闇、リュエノーは苛烈に規律を正す光……」

「ま、まさか……ほらブロー伯爵が褒めてたそうじゃないですか、『殺意に満ちた良い目つき』って! それってセルジュ様に苛烈さがでてきたという意味じゃ……?」


 引きつった顔で言うパスカルに二人の視線が集中する。


 しばしの沈黙ののち、セルジュは呻いた。


 確かに、昔のセルジュならばただ痛みに耐えるだけで邪魔な貴族を王城から追い出そうなどという発想は持てなかったであろう。不正貴族を追い出し、権力を手に入れ、王城の規律を守るという今のセルジュには苛烈さがなければ成り得なかった。

 そしてその苛烈さはブロー伯爵への負の感情から産み落とされたものである。


 ブロー伯爵はセルジュを後継者と見なしていた。

 もしブロー伯爵の行動がセルジュを育てるためのものだとすれば。セルジュを他の貴族の手から守るためのものであれば――……。


 たとえそうであったとしても、あれほどの屈辱と肉体的な痛みを受けていればブロー伯爵の言動を正当化する気にはなれない。


 しかし事実として、セルジュは王城から追いやられることもなく、仕事ができないほどの怪我を負うようなこともなく、ブロー伯爵の後継者として平民出身の若造としては考えられないほどの権力を手に入れた。


「晩年のお父様は良い人ではなかったのは事実ですわ」

「が、ただの悪人でもなかった、か。わからん男だ」

「ホントですよ……こちらはリュシー様の話ばかり書かれていますね」

「なっ、なにこれっ!」


 リュシーはパスカルの示した紙片に目を通し、小さく叫んだ。


 ――王がリュシーを召し上げて寵愛してやると言った。冗談だと取り繕えば許されると思ったか。いつか毒を盛る。


 ――リュシーにはよい男を探す。身分、身なり、性格、能力。すべてにおいて申し分ない男がいい。


 ――アレマンの女誑しめ、ぬけぬけと。王城へ来させたのは私とはいえ気に食わん。あれにリュシーは渡さない。


 ――年頃の貴族の子息にはなかなか適任がいないかといってアレマンはダメだ。無爵位では貴族どもからもリュシーを守れぬ。しつこい男だ。


 なんとも言えぬ空気が流れた。


「お父様……アレマンに会うなとあれほど言われたのは……貴族から目をつけられているから危ないというのは言い訳だったのでしょうか……」

「ま、まあそれは事実だが……もしかして俺が『会うことも許さん』と言われたのは嫌がらせというよりも」

「娘はお前にはやらん! っていう親馬鹿な話だったって落ちじゃないですよねまさかね嘘ですよねハハハ……」


 三人は無言でその紙片から目をそらし、小箱の一番奥にしまい込んだ。

 奇妙な疲労感が残る。


 静かになった室内に、扉のノック音が響いた。家令のランピエールが顔を覗かせる。


「アレマン様、お嬢様。そろそろ休憩になさいませんか。……な、なんだかお疲れのご様子ですね」

「ランピエール! お前はブロー伯爵と付き合いは長いんだろう? 話を聞かせてくれ」

「はい? はい、構いませんが。まずはお昼といたしましょう」


 ランピエールは穏やかに微笑んだ。



***



 一通り説明をして、セルジュはランピエールを注意深く見守った。

 セルジュが今座っているのはテーブルに添えられた椅子の中でも天蓋の真下にある首座であって、これまでブロー伯爵が使っていたものだと思われた。

 ランピエールが躊躇わずセルジュをこの席に案内したことから考えても、ランピエールはセルジュを認めたと考えてよいだろう。


 ランピエールは口髭をなでて考え込んだ。


「ふむ。そうですね、旦那様は私どもにも胸の内のすべてを打ち明けられることはありませんでした。お嬢様の仰る通り、アレマン様を憎んでいたわけではないというのは確かですね。しかし一方で憎たらしく思っていたのも事実でしょう」

「む、矛盾していませんかね」


 困惑顔のパスカルにランピエールは飄々と答える。

「人とはそういうものではありませんか。光と闇、優しさと厳しさ……神のようにそう明確に区分することのできるものではございません。好き嫌いもまたしかり」

「俺が憎たらしいというのはどういうことだ? 平民出身だからなどという理由ではないはずだ」

「ええ、もちろん。リュシー様、旦那様があなた様に買う宝石は何色でしたか?」

「? 時によるけれど若草色が多かったわね。目の色に合わせたって」


 セルジュは不思議そうな顔をした。


「そういえばリュシーが好きな色の宝石は少なかったな。赤だとか鳶色だとか」

「えっ、リュシー様、赤と鳶色が好きなんですか!?」

「なんだパスカル、俺を凝視して」

「き、気がつかないんですか」

「なんの話だ」


 パスカルが驚愕しセルジュがムッとする一方でリュシーは頬を染めた。

 ランピエールは目を細めて愉快そうにクスッと笑った。


「お嬢様、旦那様は赤や茶褐色の宝石を買うことを嫌がったでしょう?」

「ええ……そうね、昔はそうではなかったのですけれど。あれは5、6年前からだったかしら」

「俺が仕官したころだな。まさか俺に関係しているのか?」

「セルジュ様、まだ気がつかんのですか……」

「さっきからなんだ、パスカル」

「ランピエールさん、この銀スプーンお借りしますね。セルジュ様、いいからコレのぞき込んで下さい」


 セルジュが不承不承スプーンをのぞき込むと、赤髪といぶかしげな鳶色の目が写った。

 はっとしてリュシーを見やると、リュシーは茹で上がりそうな顔をしていた。

 セルジュは一瞬惚けた後で真っ赤になった。


「旦那様がリュシー様の好きな色の正体に気がついたのはアレマン様と再会したときなのでしょう。それからたまに、酔っては娘をまだ嫁にやりたくないと愚痴をこぼすことがございましたから」


 ランピエールは少し寂しそうな懐かしむような顔で語り続ける。


「あの日、六年前の春、屋敷へ帰ってきた旦那様は書斎にこもって呆然とされておりました。旦那様が王城で猛然と仕事をなさるようになってからはそういった姿はめっきり見なくなっていたのですけれど……旦那様亡き今、すべては推測にすぎませんが」

「そこまでショックを受けるものなんですね。僕には娘どころか家族もいないのでよくわからないんですけど」

「ふふ、パスカルさんも娘を持てばわかりますよ。慈しんで育てた娘がたった一度会っただけの少年に魅入られていたなんて」

「ら、ランピエールう……」

「なんですお嬢様。よいではないですか、もう夫婦なんですし」


 ブロー家の食堂は真っ赤なセルジュとリュシー、その二人の甘酸っぱい空気に胸やけしそうなパスカル、そして生温かい空気を醸し出すランピエールや給仕たちとで混沌とした雰囲気になった。



***



 有無を言わさぬ様子のにこやかなランピエールに案内されて、湯浴みを終えたセルジュは緊張した面持ちでリュシーの部屋の扉を叩いた。


「どうぞ、お入りなさい」

「リュシー?」

「えっ、セルジュ様! やだわたくし侍女かと……ま、待って!」


 セルジュが扉を開けると寝台上の上掛けが盛り上がっており、それがもそもそと動いたかと思うと端から恥ずかしそうなリュシーの顔が覗いた。


「……なにをしてるんだ?」

「その、薄い夜着しか身につけていなくって」


 セルジュは気まずそうに視線を宙に向けた。


「その、ランピエールに夫婦なのだからリュシーの部屋で寝ろと言われたのだが」

「えっ!」

「やはり別室を用意させよう。煩わせたな」

「待って!」


 驚いてセルジュが振り向くと、リュシーは上掛けを体に巻き付けて寝台の上で身を起こしていた。


「その、お話、しませんか」

「……喜んで」

「ここに座って下さい」


 セルジュは躊躇いがちにベッドの端に腰をかける。

 お互いの呼吸音が聞こえるほどの距離。

 セルジュが黙っていると、リュシーがセルジュの夜着の背中部分をちょこんと掴んだ。


「セルジュ様。その、色のことなんですけど……」

「あ、ああ」

「……あの日、セルジュ様がわたくしをのぞき込んだとき。あなた様はとても汚れていらっしゃいましたわ。髪には藁や葉くずが乗って絡まっていて、顔は泥だらけで。でも……髪が、光を受けて赤く輝いて、目が優しくて……それを忘れられなくて」


 恥ずかしそうなリュシーの言葉が、じわりとセルジュの心に染みてゆく。どんな顔をすればいいのかわからなかった。


「それで、わたくし……ごめんなさい」

「なぜあなたが謝る」

「だって」

「忘れられなかったのは俺も同じだ。ずっと若草色を探していた。知ってるだろう?」

「う……はい」


 セルジュは身をよじってリュシーに手を伸ばした。手が肩に触れる。力を込めずともリュシーは倒れ込んできた。それを宝物のように抱きしめる。


 二人は初めてしっかりと抱き合って、ただ黙ってお互いの鼓動に耳を傾けていた。

 やや早い体の音が気恥ずかしくも心地良い。

 つい数日前までは考えられなかった行為だというのに今ではなにより自然に思えた。


 まるでリュエノーの苛烈な輝きに祝福された後で、マニエットの慈愛の闇に包まれたかのように。


 やがてリュシーがぽつりと言う。


「セルジュ様。お父様の一番の罪はわたくしのこともセルジュ様のことも信用してくださらなかったことだと思いますの。もし真実を、本心を打ち明けていたならばわたくしたちはこれほどにもややこしい関係にならずに済んだと思いませんか?」

「……そうだな、俺については力不足もあったのだろうけどな」

「わたくしはお父様に感謝しておりますわ。けれど、この点については腹を立てておりますの」


 リュシーはセルジュに身をもたせかけたまま、顔をあげた。リュシーは少し恥ずかしそうで、しかしその目はいつしかセルジュに見せたような強い輝きを放っていた。


「ですから、セルジュ様。わたくしと一緒に、お父様に復讐しませんか?」

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