伯爵は復讐相手を知ろうとする
ようやく終わりが見えてきました。
初夏の王都らしく抜けるような青空が広がっている。
セルジュはリュシーの足の痛みが引くのを待ってブロー家の屋敷へ向かった。
リュシーは一ヶ月ぶりの実家帰りを楽しみにしているようで明るい顔をしていたが、同じ馬車の中にいるセルジュは唇を引き結び、パスカルは緊張を露わにしていた。
セルジュにとってブロー家の屋敷は敵の根城であり伏魔殿と同義である。かつて若草色の少女の情報が得られないかと屋敷回りをうろついたことがあったが屈強な護衛が厳重に警備をしていて断念した覚えがある。
馬車が止まるとリュシーは待ちきれないように外へ出た。
「お嬢様!」
「みんな! ただいま!」
ブロー家の重厚な屋敷の門前に出迎えの使用人が数人おり、笑顔でリュシーを取り囲んでいる。
セルジュは警戒しつつ彼らに近寄った。セルジュとっては彼らはいまだ敵の身内である。
「セルジュ様、いらっしゃいませ。以前は大変失礼いたしました」
上品な初老の家令が跪くと他の使用人もそれに倣う。
セルジュは面食らった。
「なんのことだ」
「求婚を妨害しました。それ以降も態度がよろしくなかったとの自覚はございます」
思い出せばブロー伯爵の死後、この屋敷を訪れても門前払いされたりリュシーに出した手紙が届いていなかったりと使用人に邪魔された記憶はある。しかしセルジュを娘に近づけまいとするブロー伯爵の妨害工作に比べれば可愛いものであったため特に今まで気にしたことはなかった。
「旦那様とアレマン様の確執は存じておりましたし、旦那様はアレマン様がお嬢様に近づくことを警戒されておりましたので。お嬢様がセルジュ様に酷い目に遭わされるのではないかと私どもは心配したのです」
「けれどもお嬢様、とてもお綺麗になって……本当に大事にされているのですね」
「そうよ。前より太ったでしょう?」
涙を拭う初老の女性使用人に、リュシーは輝きを取り戻した豊かな金髪を揺らして笑った。
実際リュシーに暴言を吐いていたセルジュは怒る気にもならず、短く返事をするにとどめた。
「構わない。気にしていない」
「これよりブロー家の爵位を継ぐ方として誠心誠意お仕えします。」
「ああ、よろしく頼む」
「アレマン伯爵夫妻は仲睦まじいとの噂は本当だったのですね。お嬢様がこれほど美しくなられるとは」
「ね! それにほら、ニレの木の下で……」
「こら、やめなさい、はしたない」
年若い女性使用人が含み笑いで言いかけるのを家令がたしなめる。
セルジュとリュシーは意味がわからず顔を見合わせた。パスカルは一人げっそりと額を押さえていた。
***
ブロー伯爵の書斎は彼らしく飾り気のない部屋であった。
だがその分、壁に掛けられた大きな絵姿が目立つ。それはセルジュがかつて見た若草色の少女と貴族、そしてリュシーにうり二つの若い女性が寄り添っている絵であった。
「リュシーに生き写しだな」
「ええ。髪の色以外はそっくりでしょう?」
病に冒される前のものなのか、リュシーの母親は幸せそうに微笑んでいる。
(本当にあの貴族はブロー伯爵だったのだな……)
真実を改めて突きつけられたようで、セルジュは複雑な気分である。絵姿が書斎机と向き合うように置かれているところにブロー伯爵の愛情を感じ取ってしまい、ますます複雑な気分になる。
「セルジュ様、こちらです。この箱の中です」
セルジュがリュシーの指す木箱を覗くと、番号の振った本と小箱がいくつか几帳面に納められていた。
「これは間違いなく仕事の記録だな。見ろ、この記号は城の事務で使うものなんだ。リュシー」
「なにかわかりますか?」
「いや、単なる覚え書きに近いもののようだ……ん? なんだこれは」
本には一枚の紙が挟まっていた。そこには人名がずらりと記されていて、一部の名前は線で消してあり、一部には丸印がつけられている。
「セドー様の名前もありますわね」
「これは王城の文官の名簿のようだ。だが貴族の名しか書かれていないな」
「こちらの印は?」
「……。線で消してある名前はブロー伯爵が城から追い出した者のものだ。丸印は……俺が不正の証拠を掴んで没落させた者とほぼ一致するな」
「ブロー伯爵はセルジュ様がなにしてたか知ってたってことですか!」
パスカルが大声をあげた。
セルジュは眉間に皺を寄せた。
怠惰で傲慢な一部貴族の弱みを掴んだのはセルジュが仕事をする過程でのことであったから、ブロー伯爵がセルジュの動きに気づいたとしてもおかしくはない。
(使えない文官の一掃、あるいは国王周りの貴族の浄化か……)
セルジュは仏頂面になった。
「なるほど。俺はブロー伯爵の目的のために体よく使われたらしいな」
「でもセルジュ様だってその点についてはブロー伯爵と同意見なのでしょう? ああいう貴族を嫌ってたのは」
「まあな」
パスカルの意見は正しかったが良い気分ではない。
「例の書き付けはこちらの小箱に。ほら、これですわ」
「ぐっ……」
リュシーが取り出した紙片に目を落としたセルジュは歯ぎしりしたくなった。
日付とともに、ブロー伯爵の筆跡で『ジャンがアレマンを紅のシャムロックへ』と確かに書かれている。まるで恋人同士か秘密の関係でもあるかのような書きぶりに気分が悪くなる。
パスカルは紙片をひょいと裏返した。
「あれ、これ裏に丸印がついてますね」
「本当だわ。……こちらにはないわね」
「……。リュシー、パスカル。この中の紙片を分類したいのだが手伝ってもらえるか。丸付きはこちらへ、ないのはこっちだ」
三人で取り組むと作業はすぐに終わった。
頭を付き合わせてまずは丸のついた紙片をのぞき込む。その内容に、みな言葉を失った。
――ジャンがアレマンを紅のシャムロックへ。
――ドルガンがアレマンを夜襲。
――オウリーがアレマンに毒を盛る、宴会にて。
――バラーノ、アレマンより先に若草色の乙女を手に入れると。
パスカルが唸った。
「これ、全部嘘ですよね?」
「ああ。夜襲されたことも毒を飲んだこともない」
「……わたくしもバラーノ様に手に入れられたことなどございませんわ……」
「ジャン・セドー、ドルガン、オウリー、バラーノ……この貴族どもはみな、俺とブロー伯爵の手で王城から追放されているな」
セルジュは考え込んだ。
これらの気の狂ったブロー伯爵の妄想だとみなすのは簡単だが、それにしては奇妙である。急死する直前までブロー伯爵に特段病的な言動は見られなかったはずだ。
「ますますわかりませんわ。お父様、他にも部下の方はいらっしゃいましたのにセルジュ様のことばかり書いて。どういうおつもりだったのでしょう」
「そ、それほどセルジュ様を殺したかったんですかね……あれ、セルジュ様?」
セルジュは次々に紙片を見比べ、思わず大声を出した。
「そうか、日付か! まさか」
「なんの日なんです?」
「セドーの日付は激高したブロー伯爵に俺が蹴られた日だ。体をひどく痛めて宰相が仲裁に入ったほどだった。それでパスカルが迎えに来るまで軍の屯所で休むはめになった」
「まあ、そんな……」
「夜襲の日は、ブロー伯爵に城の雑用を強要されたんだ。しかもわざわざ監視にブローの護衛まで残して。俺は徹夜で城の中にとどまることになった。オウリーの日は確かに宴があった。俺は国王の前で酷く罵られてエールを頭からかけられ、悪臭がするからと追い払われた」
「……」
「こっちの日付は突然、早馬でジルモアへ行けと着の身着のままで追い立てられた日だ。準備もなにもする暇が無く酷い旅路になった。こっちは……」
どれも忌まわしい屈辱の記憶だった。優秀な者にのみひらかれた憧れの文官職につきながら、惨めな思いをし続けた日々。
リュシーは白い顔をしている。
だが今は、セルジュの脳がそこに屈辱以外の意味を見いだしてしまう。認めたくない話であった。
「もし、この紙片の内容が真実なのだとしたら。あいつらが実行しようとした計画だったのだとしたら……俺はブロー伯爵に助けられたことになる」
「そういえばジャン様は、その……男女見境なくしかも節操のない方だという噂はございましたわ。わたくしのお友達から忠告されましたの。ただの噂かと思っていたのですが」
真実は闇の中である。
しかし根拠なき思い込みだと切り捨てるには日付がセルジュの記憶と一致しすぎていた。
「そうだとしても、なぜこれほど歪んだ助け方をしたのでしょうか、お父様は……。セルジュ様。バラーノ様の日にはなにがあったのですか?」
「それが、この日には覚えがない」
「あのー、これ、端に小さく『殺す』って書かれてるんですけど」
「……バラーノはブロー伯爵に城から追い出された後、山賊の襲撃で半殺しにされたと聞いたな」
「そ、それブロー伯爵が……いやナンデモナイデス」
パスカルは目を泳がせた。
一方のリュシーは深刻な顔で大きく息をつき、俯いた。
「セルジュ様がこれほどのことをされていたなんて。わたくしは本当になにも知らなかったのですね」
「リュシーが気にすることではない」
「僕も初めて知ったんですけど、セルジュ様、よく黙っておられましたね。僕なら諦めて文官を辞するかもしれない」
「……『若草色の少女』が大変な目にあっているかもしれない、と思ったのだ。娘だとは知らなかったから。だから王城に留まって探し続けた」
「どういうことですの?」
リュシーが目を丸くした。
「俺が15で仕官して、あれは16のときだ。それまでブロー伯爵からの扱いに耐えるだけだった俺が復讐を決意したのもあのときだ」
1年経っても少女と貴族の行方がつかめずちょうどセルジュが焦っていた時期でもある。
その日、ブロー伯爵はセルジュを呼び出すと人払いをした。
――若草色の目の娘を探しているらしいな。くく、娶ろうとでもいうつもりか?
――爵位も地位もない、仕事で功績をあげたでもない平民の若造が貴族の娘にどうやって会うつもりだ。
――強引に押し掛けて手籠めにでもするつもりか、ん? おまえたちの好きそうなことだ。
頭に血が上った。自分を支え続けた、大事な人たちへの誠実な思いに泥を塗られたような気分だった。
――手籠めだと、そういうことを好むのはお前たちの方だろう! 俺はお前たちとは違う!
――お前になにがわかる。俺は必ず彼女を見つけてみせる。
ブロー伯爵は鼻を鳴らした。
――無駄だ。あの娘はお前程度には似つかわしくない。
ブロー伯爵の口ぶりにセルジュは青ざめた。
――あの少女のことを知っているのか。あの子は、あの子の父親はどうなった! あの優しい二人は。
だが、ブロー伯爵は嘲笑うばかりだった。
――知っているもなにも。あの娘は私のものだ。お前のものになることはない。会うことも許さん。娘の優しい父親? そんな男、とっくにおらんわ。
――どうだ、憎いか。だが残念だな、お前にはその憎しみを恨みを晴らす権力も能力も無いのだ。哀れなことだな。
「お父様はなぜそんな言い方を……」
「わからん。が、ともかく、俺はそれでブロー伯爵の周りを調べようとした。調べれば少女のことがわかるのではないかと。が、結局、ずっと情報は得られないままで……今思えば目の前にいたのだが」
「お父様が若い娘を囲っているのではないか、と結婚前に問われたのはそういうわけだったのですね。わたくし、てっきり隠し子の心配をなさっているのかと誤解しておりましたわ」
ブロー伯爵のことが、わかったようでわからない。
セルジュとリュシーは見つめ合ったまま沈黙した。
パスカルは頭をふると、丸印のついていない紙片に目を通した。




