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伯爵は復讐を後悔する 2

 信じがたい話であった。しかし寝室に落ちた重い空気はそれが真実なのだと告げていた。

 セルジュは頭を殴られたような衝撃を受けた。


「あれが? 本当に? 全然違うじゃないか、顔も性格も!」

「きっかけはお母様の死でした。わたくしたちはあれからお母様のいるオーランス領へ行き、それから約1年後のことです。お父様はお母様を溺愛なさっておりましたから……憔悴し、大きな体が骸骨のように痩せてしまって」

「だが、人相や性格までまるで別人だった」

「……ええ、その直後に判明いたしましたの。お父様がお母様にと買っていた治療薬は通常より品質の悪いものだったと。質の悪い薬が蔓延しているとの報告は王城にまで届いていたのに、文官の怠慢で情報が周知されていなかったのですわ。オーランスでは巷でも噂になっていたそうですが、別領から来たわたくしたちは知らずに騙されました」


 セルジュはリュシーの憂いを帯びた顔をじっと見つめた。

 王城の勤め人には平民から世襲爵位持ちの上級貴族まで様々な者がいるが、生活の向上を夢見て王城へ来た平民とは違って貴族には怠惰な者も多い。


(だからブロー伯爵は真面目に仕事をこなしていたのか)


 長年の謎が一つ解ける。


 あれほどの身分、才覚、狡猾さがあれば仕事などせずとも権力を牛耳ることもできただろうに、ブロー伯爵は仕事にこだわり、怠惰な者はときに貴族であっても切り伏せていた。

 セルジュが国王に奏上した報告によって残りの無能貴族も大方は王城から追い出されたため、セルジュはその点においても奇しくもブロー伯爵の意思を継いだことになったようだ。


「お父様は自分を責めました。自分が王城で安穏としていたせいで妻の死を早めたと。もっと仕事をしていれば。もっと権力があれば。同僚の怠慢を正せていれば。そう言ってお父様は猛然と仕事に打ち込むようになりました。あとはあの通りです」

「あなたにもつらく当たることがあったのか?」

「いいえ、わたくしには優しいお父様のままでしたわ。でもお父様が変わってしまったことはすぐにわかりました。かつては嫌っていたような野心的な貴族と付き合い、誰それを攻撃してやっただのたたきのめしただのと自慢し合うほどで」


 リュシーの小さな体がますます小さく見えた。それは小刻みに震えていた。

 セルジュが躊躇いつつも寝台ににじり寄ると、リュシーはすがるようにセルジュに手を伸ばした。


(――あのときもリュシーは俺を掴んだな)


 あの日セルジュの手ぬぐいを握ったリュシーの手はプラムよりも小さかった。今は小さくとも大人の手だ。


 10年の歳月は人を変えた。

 セルジュも、リュシーも、ブロー伯爵も。


 セルジュは両手でリュシーの手を包み、大きく息を吐いた。


「そうだったのか。……あなたの言うことが真実だとわかっている。が、すまない、すぐにはとても受け入れられない。なぜ、なぜ俺はブロー伯爵にあれほど憎まれたんだ」


 セルジュは喉が詰まったようになった。


 王城の貴族が同僚の平民に厳しく当たり、隠れて罵ったり暴力を振るったりすることはままあることだった。セルジュの平民の同僚でも貴族の憂さ晴らしの的になっていた者は多い。

 が、中でもブロー伯爵のセルジュへの罵倒は執拗で、セルジュは普段は平民をいびる側に居る貴族から哀れみの目を向けられたことさえあった。


「まさか、ブロー伯爵は俺を別の人物と勘違いしていたのか?」

「それはないと思いますわ。あの孤児がようやく王城へ来たと嬉しそうに言っていたので。気が優しい男のままだと」

嬉しそうに(・・・・)?」


 セルジュは目を剥いた。


「なぜ? 俺に嫌がらせをするためにわざと王城まで来させたのか? あの時にそこまで考えていたとは到底思えないのだが」

「わたくしにもお父様がなにを考えていたのかよくわからないのです。でも……ただ憎んでいたわけではないと思いますわ。家では時々、機嫌良くセルジュ様を褒めていましたから」

褒めていた(・・・・・)!?」

「ええ。殺意に満ちた良い目つきになってきたとか壮大な野心を持ち始めたようだとか」

「……それは褒め言葉なのか……」

「後継者はアレマンだと明言したこともありますわ」


 セルジュは渋い顔になった。


(一応、仕事は認められていたのか)


 苦いものが澱のように心に沈む。どのみち許せはしないものの、ただただ敵だと思っていたブロー伯爵という人物がよくわからなくなっていた。


「でもお父様がセルジュ様にしたことに変わりはありません。セルジュ様。本当に申し訳ありませんでした」

「やめろ、顔を上げてくれ。あなたのせいではない」


 そこまで言ってから自嘲が漏れる。


「矛盾しているな、俺がブローの娘に復讐しようとした事実は同じだというのに。真実を知る前はその正当性を疑わなかったのに」

「いいえ、ブロー家の者の因果がブロー家の者に帰るのは道理ですわ」

「そんなこと」

「お父様がセルジュ様になにを言ったのかもちゃんと知っておりますの。貧相でみすぼらしい男だ、お前なぞ役に立たん、頭の鈍い愚か者め、貴族の娘でも誘惑して成り上がるつもりだろう。お父様があなた様を足蹴にしたこともあったのでしょう?」


 セルジュは言葉を失った。それはそのまま、ブロー伯爵の口からかつて発せられた言葉だった。

 リュシーの唇は乾いて白くなっている。


「ですから、セルジュ様が謝ることはなにもないのですわ」

「そんなことはない。リュシー、すまなかった。あなたの望むことはなんでも叶えよう。望むなら爵位の返上でも領地の移譲でもする。それに……俺が原因の離縁をすれば他の良縁もあるだろう、俺たちは白い結婚でもあるし――」

「わ……わたくし、離縁されるのですか!?」


 唐突にリュシーは大声をあげた。セルジュが唖然としてリュシーを見れば、リュシーもまた同じ顔でセルジュを見つめていた。

 と、リュシーは顔をゆがめてボロボロと泣き始めた。

 どれだけ罵倒しても笑顔だったリュシーが涙をこぼしたことにセルジュは慌てふためいた。


「リュシー!? なぜ泣くんだ」

「ごめんなさい、そうですわよね! 謝って許してもらおうなんて都合が良すぎるのですわ!」

「え、だから、俺が悪いと」

「わたくしはブロー伯爵の娘ですものね、父親が憎ければ娘が憎いのも仕方ありませんものね! このままのうのうと妻でいるなど」

「なっ、違う! 原因はむしろ俺で――」

「ならどうしてですの、結婚初夜から変なことばっかり申し上げたからですか!? ここ最近はセルジュ様の妻になれたと気分が高揚しておりましたの、それにセルジュ様と距離を縮めたいという望みもあって、支離滅裂なことを言っていたら敵意を少しでも弱めていただけるんじゃないかなって、ぐすっ、で、でもそのまま素直に復讐されるべきだったんですわ!」

「だから違うっ、落ち着け!」


 セルジュはリュシーを撫でながら内心遠い目をした。


(あ、あの噛み合わなさは天然ではなかったのだな……確かにあれは敵愾心が削がれたというか、疲れ果てて目的を見失いかけたというか……)


 だが、おかげでセルジュは若草色の天使により残酷なことをせずに済んだのだ。

 リュシーはぐずぐずと鼻を鳴らした。


「ならなぜ離縁なのですか、私が力不足だからですか。セルジュ様はこんな小さな体の女に抱かれても満足できなむうっ」


 セルジュの嫌な予感は正確に仕事をした。セルジュは反射的に対処を試みた。

 具体的には、マリーが寝台の脇へ置いていった黄ブドウを二つ三つもぎ取ると問答無用でリュシーの口の中へ押し込んだ。


「いいから落ち着け、とりあえずそのまま俺の話を聞いてくれ」


 リュシーは涙目のままもぐもぐと口を動かしている。セルジュはようやく静かになったリュシーの目元をハンカチで拭ってやった。


「あの、な。今までの俺に対する的外れな反応はわざとだったという理解でいいのか?」


 リュシーはこくりと頷いた。


「ならばなぜ、その点(・・・)についてだけは俺の言葉を信じてくれないんだ? なぜあなたは頑なに俺が抱かれるのが好きだと思っているんだ」


 リュシーはしばらく黙って口を動かしていたが、やがて食べ終えたのか、ぽつりと呟いた。


「……本当に違うのですね?」

「断じて違う」

「……。わたくしだって信じたくなかったのです。でも、セドー様……あの文官のジャン・セドー様がセルジュ様を紅のシャムロックへ連れて行ったと知って……」

「なんの話だ!?」


 セルジュは顎が外れそうになった。


 ジャン・セドーとはセドー子爵の四十路の次男で、権威にすり寄り弱気をくじくという典型的な嫌な文官貴族だった。ブロー伯爵とは仲が良かったはずだが、セルジュの例の報告によりすでにその権威は失われている。


「待て、そんな事実はない! いったい誰から聞いたんだそんなこと」

「結婚式の前に書斎を整理していたんですの、そこに『ジャンがアレマンを紅のシャムロックへ』と記されたお父様の書き付けが」

「な、な……」

「仕事の記録とおぼしき冊子と一緒に出てきたのですわ。冊子の方は目を通しましたけれどわたくしにはよく意味がわかりませんでした」

「な、なぜブロー伯爵はそんな嘘を……リュシー、それはまだ残っているか?」

「ええ、ブロー家の屋敷に」

「他にはなにか書かれていなかったか?」


 リュシーはコテンと頭を倒すとしばし沈思した。


「膨大な書き付けがあって、すべては見ておりませんの。わたくしが読んだものでは他に、セルジュ様の異動の希望を握りつぶしてやったですとか、故郷の両親をくびり殺すと脅してやったですとか……あら?」

「あ」


 セルジュとリュシーは顔を見合わせた。


 セルジュは確かにそう言って脅されたことがあった。ブロー伯爵から受けた数々の暴言のうち唯一セルジュが失笑したものだった。


「……ブロー伯爵はセルジュ・アレマンが俺だと知っていた。俺に親がいないことも覚えていたはずだな?」

「ええ、間違いなく。はっきりあなたを孤児(・・)と呼びましたから」


 それならば、ブロー伯爵は「お前の両親をくびり殺す」と言ったところでそれがセルジュにとって脅しにならないことを知っていたはずだ。


「おかしいですわね」

「リュシー、その書き付けを俺にも見せてくれないか?」

「もちろんですわ。……お父様はなにを考えていたのでしょう」


 リュシーは震える声で深いため息をついた。

中世風パワハラ物語。コメディがログアウトしたままなかなか帰ってきません。

さすがにそろそろ終わるはず。

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