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伯爵の復讐は始まった

※1話目はほぼシリアスですが、後になるにつれコメディ感が増していきます。

※R15程度の新婚初夜うんぬんの話が出てきます。ご注意ください。


※ヒーローがかつて他の女性と関係があったことに言及するシーンがそのうち出てきます。嫌な方はご注意ください。

 聖堂正面の大ステンドグラスから、眩い太陽の光が結婚式の参列者へと降り注いだ。


「セルジュ・アレマン。あなたは妻ことリュシー・ブローを永遠に愛すると誓いますか」

「誓います」


 自信たっぷりに花婿が応える。燃えるような赤い髪、好戦的な鳶色の目、ややニヒルにゆがめられた薄い唇、堂々たる態度。この若い花婿ことセルジュはまるで神の愛を一身に受けたかのようであった。

 祭壇の上に立っている老齢の司祭はセルジュに向かっておもむろに頷き、再び手元の聖典へ視線を落とした。


「リュシー・ブロー。あなたは夫ことセルジュ・アレマンを永遠に愛すると誓いますか」

「誓います」


 花嫁から可憐な声が転がり出た。花嫁のリュシーはセルジュに比べるとずいぶん華奢で、緊張しているのか俯きがちであった。

 司祭は満足そうに白ひげを撫でて聖典を置き、両手を空に掲げた。


「皆の者! 二神の前に誓約はなされた! 新しき日々を迎えるこの夫婦にルケルヴェの恵みがあらんことを! リュエノーの輝きとマニエットの慈愛が与えられんことを!」


 割れんばかりの拍手が聖堂に響き、三階席から純白のジャスミンの花が舞い散る。

 セルジュはリュシーの肩に手を乗せた。その肩は伯爵令嬢のものとは思えないほど痩せており、ヴェールの下からのぞくリュシーの金髪には輝きがない。


 セルジュは歓喜に身を震わせた。


(ついに、ついに――この日が来た! ようやく手に入れた)


 無意識に微笑んだセルジュに、二人を見守っていたセルジュの友人知人たちはどよめいた。セルジュは常に眉間に皺をよせているような男で、女性に向かって微笑むことなど今まで一度もなかった。


 ――なんて幸せな花婿なのだろう。


 参列者みな、花婿を祝福した。


 けれども、花婿の内心は参列者が想像した状態とは大きく異なっていた。


 セルジュはゆっくりと花嫁のヴェールを取った。薄絹のヴェールの下から覗いた娘の顔もまた痩せていて、けれどもそのオリーブ色の目は瑞々しく澄んでいた。


(この女がブロー伯爵(ちちおや)に似ていればもっと復讐のしがいがあったのだがな……いや、あのくそったれ似の顔にキスするのはいくら計画でもごめんだ)


 リュシーは嬉しそうにセルジュを見つめている。

 セルジュは大笑いしそうになった。彼女はなにも知らないのだ。セルジュのことなど、これっぽっちも! それなのに自分が愛されていると信じてやまないのだ! なんて無知で哀れな娘なのか。これがあの狡猾で傲慢なブロー伯爵の娘だというのか。全く、見た目どころか中身も似ていないらしい。


(――さあ、復讐劇の幕開けだ)


 セルジュはリュシーに口づけをした。

 割れんばかりの歓声が上がる。


 なにも知らずはにかむように微笑んだリュシーに、セルジュは暗い喜びが沸き立つのを押さえることができなかった。



***



 結婚式はつつがなく終わった。

 セルジュが体よく新妻を屋敷へ送り、一人で祝宴の場へ戻ると、彼はあっという間に彼の幸運をうらやむ人々に囲まれた。


「すまないな、リュシーは疲れてしまったようでね。一足先に家へ帰してきたんだ」

「おー、戻ってきたぞ! 世界で一番幸運な花婿が!」

「あの亡きブロー伯爵の一人娘をなあ、まさかお前が娶るとは」


 セルジュは余裕ありげに微笑んで、友人の一人からワインを受け取った。


「ああ、実に幸運だったよ。リュシーを妻にせんとする輩はとんでもなく多かった」

「だろうなあ! 見たか、お前がリュシー嬢との結婚を発表したときのあのオブリ男爵の歪んだ顔を! ははは!」

「なんだ、あいつもリュシー嬢を狙ってたのか? 知らなかったぜ」

「リュシーを手に入れれば美しい妻も爵位も領地も手に入るからな」


 セルジュはなんてことのないように言った。


 この国の女性は爵位や領地を継承することができない。ゆえに、今回のブロー家のように跡取り息子ができないまま当主が亡くなった場合には、父方の親戚をたどって遠くとも血のつながりのある男性に爵位と領地が継承されるのが決まりである。当主に娘がいたとしてもその娘は領地から追い出されるか、新たな当主の元で肩身狭く生きて行かざるを得ない。

 ただし、例外がある。

 それは当主の娘が既婚者であるか、あるいは娘が当主の死後1年以内に結婚した場合だ。その場合は娘の夫が爵位と領地を継承することになる。


 死んだ当主の娘の夫――つまりそれが、今のセルジュであった。


 別の友人がパン、と手を打って高らかに笑った。


「そうか、そうだった! お前はもう平民じゃないんだな! なんと伯爵様(コムト)だ!」

「コムト・ド・アレマン!」

「コムト・ド・アレマンか! こいつはいい!」


 友人たちはからかうようにセルジュを次々叩いた。

 セルジュは機嫌良く叩かれるままになっていた。最高の気分だった。しかも――この結婚はただの始まりにすぎないのだ。

 友人たちはニヤニヤと笑みを浮かべた。


「でもお前は爵位や領地には興味がなさそうだな。リュシー嬢に心底惚れてるんだろう?」

「お前のこーんな顔を見る日が来るとは思わなかったぜ、蕩けそうな顔しやがって」

「お前みたいな鉄面皮も女に惚れるんだな」

「リュシー嬢しか見えてないって顔だったもんな」


 セルジュは祝宴の参加者がみな自分たちの言葉に聞き耳を立てていることに気がついていた。

 目が暗い輝きを帯びる。こうして会話をしている間にももう、復讐計画はじわじわと進行しているのだ。


「もちろんだとも。私はリュシーさえ手に入れば後はどうでもいい」


 これは本音だった。

 復讐相手となるブロー家の者がリュシーしかいなくなってしまった今となっては、セルジュが手に入れたいのはリュシーのみだった。爵位や領地はどうでもいい。

 そしてセルジュは、リュシーに復讐をするには彼女と結婚して囲い込み飼い殺しにするのが一番いいと考えたのだ。


「だが本当に遠かった……ブロー伯爵がお亡くなりになったとき、私はただの平民だったからな」


 これもまた本音であった。

 セルジュはもともと、王城に文官として仕える平民である。平民でもブロー伯爵へ復讐するには問題ないと、これまでは淡々と機会をうかがっていたのだが、なんの因果か去年の秋にブロー伯爵は流行病であっさり死んだ。


 これで復讐計画は大いに狂った。

 セルジュは焦った。


 もとの計画では、セルジュはブロー伯爵を追い落とし没落させた後でゆっくりとリュシーを手に入れ、絶望の底へ落とし、ひいては愛娘の苦境を目の当たりにしたブロー伯爵をも絶望へと追いやるはずであった。

 しかし、ブロー伯爵が没落もしないまま急死したとあっては話は変わってくる。

 ブロー家の伯爵位と領地を狙ってどんな輩がリュシーを手に入れようとするかわからない。セルジュと同じ王城の文官やただの貴族が相手であればいくらでも戦いようはある。しかし、もし相手が軍人や力のある辺境伯、あるいは外国の王族貴族であれば――平民には全く歯が立たない。

 おまけに、先手を打って求婚しようにも、裕福でもないただの平民男であるセルジュが、父親を失ったとはいえ有力貴族の令嬢であるリュシーに求婚するなどとても許されなかったのだ。


 つまり、セルジュはリュシーを得るために貴族になる必要が生じたのだ。しかもリュシーが結婚する前に、急いで。


 友人たちは顔を見合わせると、セルジュに群がって声を潜めた。


「ブロー伯爵が亡くなってからたったの1年。その間にお前は士爵(マロワ)の位を賜った。貴族になった」

「貴族じゃねえとリュシー嬢を口説けもしねえとはいえ、なあ」

「平民が準士爵(ヴィマロワ)になるだけでも大変だってのによ、どうやったんだ?」

「貴族になるには大金が必要だって聞いたぜ?」


 平民が貴族になる手は主に二つある。

 一つは功績を立てて国王から準士爵や士爵の位を賜ること。この爵位は非世襲のもので領地ももらえないが、一度賜れば子々孫々、堂々と貴族と名乗ることができる。

 もう一つは大金を払って没落貴族から爵位を買うことである。


 セルジュはワインを煽った。


(――うまい)


 愛しいリュシーのためにという理由をつけて揃えたジルモア産のワインはどれも一級品だった。だが美味に感じるのは品質だけが理由ではあるまい。


「なあ、もったいぶるなよ。どんな魔法を使ったんだ?」

「魔法なんかじゃない。今までの仕事の成果を国王陛下に奏上しただけさ」


 セルジュは肩をすくめた。


 ブロー伯爵への復讐を誓った16歳のころから伯爵が死ぬまでの5年間に、セルジュはブロー伯爵の急所を知るべく必死で、ただひたすらにただ真面目に地味な仕事をこなした。なにか不正をしていないか。なにか大きなミスをしていないか。なにか情報が得られないか。少しでも多くの復讐の手段を集めるために。

 ……その結果、セルジュは予期せぬ副産物として、他の貴族たちの不正の証拠をたんまり手に入れることとなったのである。


 セルジュはそれを厳選し、死にものぐるい報告書にまとめあげ、「亡くなった上司であるブロー伯爵の意思をついで不眠不休で国王陛下のために云々」と適当な奏上を述べて王へ提出した。

 結果、不正は解消され、流用されていた税収もろもろは規定通り国へ納められ、国庫は潤い、一部の貴族は没落し、セルジュは功績を認められて士爵(マロワ)を賜り貴族となった。


 友人たちが感心したようにつぶやいた。


「そういやあの時、狂ったように仕事してたな。てっきりブロー伯爵の代理で忙しいのかと思ってたよ」

「お前が不眠不休で働いたのもリュシー嬢に求婚するためだったってことか」

「そうさ。すべてはリュシーを得るために……」


 わざと大きな声で言うと周りがどよめくのがわかった。ご婦人たちは頬を染めてほうっとため息をついたりなどもしている。


 セルジュは目を細めた。


 セルジュは上手に周囲に誤解させた。セルジュは誰よりもリュシーを愛しているのだ、と。

 こうして外堀を埋めて、外では愛情深い良き夫を演じ、内では冷酷な復讐者としてリュシーを絶望に追い込む。そうすれば仮にリュシーが周囲へセルジュの非道を訴えたとしても、周りは耳を貸さないだろう。

 それがセルジュの計画であった。


(――あのオリーブ色の瞳が絶望に染まったとき。そのときに俺の悲願は達成される)


 セルジュは再びワインを煽った。



***



 セルジュは祝宴を夜遅くまで楽しんだりはしなかった。そんなことをすれば周りはセルジュがリュシーを愛していないことに気がついてしまうかもしれない。そう考えたからだ。

 妻の体が心配で、とセルジュは早々に切り上げて屋敷へ帰宅した。

 それから一人で書斎へ籠もり、水時計を見ながら今か今かとそのときを待ちわびて――初夜を迎えた花婿が花嫁に会いに行くにしては遅すぎる夜分になってから、ようやくセルジュは身なりを整えて、夫婦の寝室へと向かった。


「セルジュ様。本当に復讐なさるのですか」


 前を歩いていた若い使用人が廊下で突然立ち止まり、振り返った。顔には戸惑いがありありと現れている。

 セルジュは水を差された気分になって眉間に皺を寄せた。


「パスカル。お前は知っているだろう、俺の屈辱を。この胸にたぎる復讐心を」

「ええ、もちろん」

「ならばなぜ止める」


 怒気を孕んだ口調に、パスカルは黙った。

 セルジュはパスカルを押しのけた。寝室は目前だ。寝室では待ちぼうけをさせられたリュシーが失望と不安にさいなまれているはずだ。


「すべては俺を地獄へ突き落としたあの憎きブロー伯爵に復讐するためだ。あの女には、死んだ方がましだと思いながら生き続けてもらう」

「セルジュ様……」

「心配するな、暴力を振るうわけじゃないんだ。箱入り娘の心などどうせ言葉一つですぐに折れる。ひとたび絶望すれば後は落ちるだけだ……クク、楽しみだな」


 セルジュはニヒルな笑いを浮かべて寝室の扉を開けた。



***



 主の背中が扉の向こうへ消えるのを見届けてから、パスカルは大きなため息をついた。


「止める、っていうか、なあ」


 パスカルは疲れたような顔で背中を丸めて、とぼとぼと廊下を引き返す。


「あの性格で、そもそも復讐が上手くいくとは思えないんだけど……」


 本人がいくらやる気満々であろうとも。

 パスカルは遠い目をして、もう一度大きくため息をついた。


士爵マロワ準士爵ヴィマロワは誤字ではありません。子爵とは別の創作爵位だと思ってください。


<役者紹介>


○セルジュ・アレマン

 復讐に燃える元平民の男。孤児→文官→士爵→伯爵と出世した人。21歳。


○リュシー・ブロー・アレマン

 ブロー伯爵の一人娘。16歳。半年前に父親を亡くした。


○パスカル

 セルジュの侍従。一番の側近。

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