二話
「ん……ふぁぁあ」
静寂しきった森の中で欠伸をした、目が覚めて視界に入ってきた光景は未だに信じられない。灰色の幹に黒い葉の大樹、澄み切った青い湖、どれも幻想的だ。
ふいに後ろを振り返る、そこにあるのは黒い鱗。目線を横に少しずつズラすと、瞼を閉じ寝息を立てるログリネスの顔があった。ログリネスは翼を折り曲げ地面に伏せ眠っていた、私はログリネスの大きな脇腹を枕代わりにしていた。
「夢じゃないん……だよね」
昨日の衝撃的な出来事の数々を思い返す、焼かれた屋敷、森の中を逃げ惑う自分、森の奥で出会った伝説の亜霊……頭の中で整理がつかない。
ぐぅぅ~
お腹が大きく鳴った、それと同時に思考が切り替わる。
「そういえば、昨日から何も食べてなかったけ。」
周囲を見渡す、食べれそうな物は特に無い。少し不安が芽生えてきた、何せ野宿などしたことはない、魚の釣り方も山菜の採取の知識も狩の仕方も一切知らない。もしかしたら飢え死になる可能性もある。
「少し探せば……木の実ぐらいはあるよね。」
そう言い聞かせ覚束ない足取りで食料探しに向かう。
森の中を暫く探索したが何一つ収穫は無い、それどころか昨日の疲労がぶり返し体力を浪費するばかりだった。
「少し休憩、しようか……な」
言い終えるとほぼ同時に倒れ、意識を失った。
「……かりして」
(なんだろ……)
「しっかり! ほらこれ食べて!」
「!」
語気の強い呼びかけに目が覚めた、その声はどこか幼さのある少年のようだった。声の方を向くとそこには蝶のような羽を持った、掌に乗りそうなほど小さな男の子の姿をした生き物が羽ばたいていた。妖精だ。
「ほらこれ食べて!」
妖精は赤く丸い木の実を抱えていた、それを私の口に捻じ込む。
「んぅ……!!」
無理に捻じ込まれて思わず呻き声をこぼす、その木の実は酸っぱいだけで食感はみずみずしかった。
「どう? 元気でた?」
「うん……元気でた」
小さく頷く、正直もう少し甘酸っぱいものが良かったがそんな事言えるわけもない。
「ほんと! やったよみんな!」
少年の姿をした妖精がそう叫ぶと、草むらや木々の枝の間、所かしこから彼と同じぐらいの背丈の妖精たちが飛んできて。
「おねーちゃん大丈夫? もっと木の実食べる?
「どこから来たの!」
「迷い子かな、なら帰るの手伝ってあげようかな」
たくさんの妖精が質問や心配の声を投げつける。妖精たちの容姿は少女から老人と様々だ。
「えっとあの……」
あらゆる角度から飛んでくる言葉にどう答えようか戸惑っていると
「静かにぃーー!」
心臓が飛び出そうなほどの大声に妖精たちは口を噤んだ。声の主である緑色の髪の女の妖精は他の妖精たちの顔を睨みこむ。
「いい! 彼女は疲労しきってるのよ、質問責めなんてせずゆっくり休ませるべきでしょ!」
堂々とした振る舞いからして彼女がリーダー格なんだと予想できた。
「大丈夫だから……そんなに気遣かわなくていいよ」
宥めるような口調で声をかけた。緑髪の妖精は私の方を振り返る。
「ならいいんだけど」
彼女は先ほどより随分と落ち着いた雰囲気になっている。そして私の目の前まで羽ばたいてきた。
「あなたは何故こんな森に? 旅人かしら」
「旅人ではない……かな」
私は少しばかり考えたが妖精にここに来た経緯を説明することに決めた。
「――で今にいたるの」
一通りの説明を聞いた妖精達は悲しげだったり哀れむような顔をしていた。涙を零すものまでいた。そこまで悲しむ事か……困惑と疑問が心の片隅に芽生える。
「辛かったでしょう……」
緑髪の妖精が訊く。
「ううん。辛いとか悲しいとかも感じる余裕がなくて」
本当の事だ、家を失い行く当ても無く見知らぬ森にいる……いまでも現実なのだと簡単に受け入れられない。状況を整理するので精一杯でいちいち悲しんでる暇は無かった。
「そう? あまり強がらないでいいのよ、私で良ければ手助けしてあげるし」
「うん、ありがとう」
妖精に向けて微笑んだ。それで話は終わった。その後は一休みして妖精達に手伝ってもらいながら食料を集めた。
危険な野草や獣の縄張り、森で生活する上で必要な知識を教えてもらい、必死で草木を掻き分けていると、気が付けば夕方になっていた。
「そろそろ帰ろうかな、ありがとねみんな」
心の底からの感謝を伝えた、見ず知らずの人間に日が暮れるまで付き合うなんて、自分の知ってる亜霊のイメージとはかけ離れ過ぎている。
「森の事で他に分からない事があるならいつでも聞きなさい!」
緑髪の妖精は生き生きとした笑顔をしてそう言うと他の妖精達も彼女の言葉に続いた。
「僕達いつでも傍にいるから!」「また会いましょうね!」「今度遊ぼーね」
「……うん!」
大きく頷いた、できる限りの笑顔で。ここ最近、いや母が亡くなってから幸せで精一杯笑顔を作った事があったろうか。
私は帰り道を歩き出そうとすると緑髪の妖精が呼び止めてきた。
「あっ! そういえばあんた名前は?」
「ノリー……ノリー・ミレスっていうの」
「ノリーね、私はフィー。名乗るの遅れてごめんなさいね!」
フィーと別れの挨拶を交わし、帰路を進む。
夕闇に染まりつつある森を歩きながらぼんやりと考え事をしていた。自分はこの状況をどう感じているのかを。もう帰る場所はない、家族にも二度と会えないかもしれない、でもそれで心が揺れはしなかった。
日が沈みかけた頃、ログリネスのいる湖に戻ってこれた。ログリネスは今朝と変わらない姿勢で草の上に横たわっていた。真っ直ぐにログリネスに近寄る
「ただいま」
軽くログリネスに手を振る、ログリネスは唸り声も上げず私を静かに眺めている。
「ここ、いいかな」
ログリネスの脇腹を指差す。ログリネスはため息のような鼻息を出し湖の方へ顔を向けた。
「いいん……だよね」
ログリネスの表情を伺いながらその脇腹に背をあずけ座り込んだ。背中に硬く粗い感触が伝わる、あまり良いものではないが、いつもいた場所のような感覚がして落ち着いた。
「あのね、今日森で妖精の集団に出会って、助けてもらったんだ」
森であった事をログリネスに話し始めた、ログリネスは何も反応はなく呆然と湖を見つめている。
「何から何まで教えてくれたんだよ。山菜の種類や生えてる場所、もしクマに遭った時はどうするかとか…」
空を見上げてそのまま話を続けた、ログリネスに話してるようにも独り言のようでもあった。
「色々と教えてくれたんだよ、本当にたくさんの事……」
数瞬の間ができた。
「フィーは親切だよね、あんなに優しくされたのはじめてかもしれない」
フィーの姿が脳裏に浮かび微笑した、すぐそれは消えて表情は少しばかり強張った。
「食料集めの帰り道ね、私考えてたんだ。屋敷や家族の事…」
言葉が詰まった。ここで話はやめるべきかとも思った。でもそうはしなかった、誰かに打ち明けたかったのだ、今の気持ちを。ここで吐き出さなければいつまでも心の中でとどまり続ける気がした。
「屋敷は跡形もなく消えてると思う、家族だって二度と会えないかも……けど、悲しいとも辛いとも感じなくて」
そして
「悲しく思えない自分が、嫌いなの」
掠れて消えそうな声で言った。それまで空を見上げていた首を下げ俯いた。そして暫く黙り込むも、再び口を開く。
「けどね」
さっきの掠れ声とは打って変わったハッキリとして通った声だ。
「フィーが、妖精のみんながいなくなったらって想像してみたんだ。そしたら胸が締め付けられるような感じがしたの。それだけは絶対に嫌だって、どこにも行ってほしくないって」
その感情は良いものか悪いものか分からなかった。家族より今日知り合ったものとの別れの方が悲しいなんて、どうかしてるだろうか。僅かに罪悪感を覚えた。
「私ね、ここに来る前、屋敷にいた時は退屈な毎日だったんだよ。お父様は霊封師の仕事で家にいない事が多くて、たまに会えたとしてもお小言ばかりで、屋敷にいても…」
何の脈絡もなく屋敷での不満を語り始めた。外出もろくにさせてもらえず屋敷に篭り霊封師の修行ばかりの日々、外部との交流も全くないせいで友人の一人もいない孤独さ。
面白みのない日々が過ぎる度に、自分の目に映る世界が色素を失っていくようだった。
ある程度語ると短い溜息をして一区切りつけた。
「いけないかな?父や屋敷の者より、見ず知らずの私を見返りも求めず助けてくれたフィー達を大切に思うのって」
問いかけるというより吐き出すよなその言葉は微かに震えていた。そこで話は終わる。
数瞬の沈黙の後、耳元に気配を感じた。気配の方を振り返る。
そこには今まで湖を眺めていたログリネスが蛇に似た鋭い眼で私を見据えていた。その眼差しは何か伝えようとしてる気がした。
「そうだよね。いけないわけないよね」
自然と微笑んでいた。胸の奥が暖かくなっていく気がした。
その後は一言も話さず静寂な森の中で考えていた、私にとって大切なものは何なのかを。家族だろうか、横暴を振るわれたことはないし憎悪を抱いてもいない。だからと言って愛情を感じたわけでもない、最初はそればかり考えていた。
暫く悩んだがそれもどうだって良くなった。私を助けてくれた、共に笑い合えたフィー達は大切な存在、今はそれだけの結論でいい。
夜が更け徐々に意識が遠のく、やがて眠りに落ち、感情が上下し慌しかった日は終わった。