三年前から十ヶ月前
三年生に進級した僕は、一年間ずっと独りで音楽に向き合った。
空は快晴で雲一つない快い気持ち、というわけもなく、ずっともやもやとした、なんとなく居心地の悪い日々を過ごしていた。
サークルを辞めて外に出る時間が少なくなり、家と学校の往復をただ繰り返すだけの毎日。講義にはちゃんと出席して勉強をしてしたが、何のためにここに座っているんだという思いが少しずつ溜まっていった。
何のためかは知っていた。
卒業するため。
卒業して、就職するため。
就職して、生きるため。
それじゃあ、何のために生きるのだ。
何が楽しくて、生きたいのだ。
このまま真っ直ぐ進んだところで見える将来像は、とてもつまらなく、くだらないように思えた。真っ暗な未来しか見えてこなかった。
顔色が昨年までとだいぶ違ったことに、母親は心配したのだろう、声を掛けてくることがあったが、しかし僕は大丈夫と答えるだけで他は何も話さなかった。元はと言えばお前が大学の道以外許さなかったからだろう、なんて思いがあったのだが、そうやって親を恨むのは筋違いも甚だしい。
主張を貫き通すことなく大人しく従ったのは誰だ。
恐怖と保険で目の前から目を逸らしたのは誰だ。
矛盾した感情に気付いておきながら知らない振りをしたのは誰だ。
そんな自責をずっと抱えていた。
大学に居る意味が、希望や期待では補えなくなっていた。
そして沈んでいく気持ちを振り払うには、音楽を作るしかなかった。
とにかく作りたい音、思い浮かんだ音、描きたい音を満足がいくまで探し求めた。何曲も組み立てては壊し、作り上げては変更を加えて、最終的に気に入らなければ捨てた。自分の心に響かない音は誰にも聴かせたくない。想像通りに作れない技術の未熟さと、イメージの稚拙さに幾度となく歯噛みした。それでも止めてしまうことは出来なかった。
止めてしまうと嫌なことを考えてしまうから、動き続けるしかなかった。
堕ちて行ってしまう愚かな思考を止めるには、何かをしていなくてはならなかった。
なんとか三ヶ月に一曲のペースで、動画投稿サイトに納得のいく曲を投稿していた。以前のアカウントは柏原先輩との曲が上げられているので、別のアカウントを取った。
上げていった曲はどれも、どろどろとした黒い感情が、上手くいかない日々の鬱憤が、歩いてきた道への屈託が、見事に混ざっていた。後ろ暗い歌詞の内容に反して明るい曲調が多かったのは、虚勢だったのか希望を捨てたくない心の奥底の抵抗だったのかは分からない。
その中で、どうしても忘れられない音もあった。本来の美しい和音から少し外すことで現れる、調和しない醜い音。それなのに、どうしてか魅力があった。組み込むと明らかにおかしくなるのに、使わずにはいられなかった。
どう聞いても不協和音だったが、けれどそれも使い方次第では音楽を壊すことなく調和することを知った。全体的に使えばもちろん崩壊するが、しかしバランスを保って響かせれば良いアクセントになった。綺麗ではないのに、心が惹かれた。むしろそれをメインに聴かせたいがために、他の音を繊細に作り上げることが面白かった。
屈折した音だから、耳に残る。
外れた音だから、ひん曲がった心に響く。
真っ新に澄んだ青空だけでは退屈だから、掠れた雲の形を描き加える。
自分を真っ直ぐに見たくなかったからこそ、歪んだ音が琴線に触れた。
そんな挑戦的な音楽に没頭したこともあった。
そうやって休日は一日中家に籠って音を弄繰り回していたけれど、早々にそれでは不健康だとも思っていた。体を動かすのが基本的に家と学校の往復で自転車に乗るくらいだったので、身体が急速に鈍っていく感じがした。それ以上に学校であまり人と接していなかったことで、なんとなく精神的に不健康になっていくような気がした。
だから、取得講義が少なくなって時間はあったので、音楽に向き合う際の息抜きとして、アルバイトを始めた。勉強でも音楽でもない別の事で頭と体を使うのは、それらとは違ってまた新鮮だった。
CDも取り扱っている大きい本屋でのアルバイトで、週に二・三回ほど働いた。
接客と品出し、後は細かい雑事だけだったので、仕事を覚えるのは簡単だった。
音楽や映像関係はレンタルと販売を両方やっていて、返却された商品を下の棚に直しに行くときに気になったアーティストを見つけたときは、それを借りて帰ったりもした。アルバイト価格として少し値引きしてもらえたのは有り難かった。
夏休み中のある朝、CD販売用の棚の新譜コーナーで「三つ子の魂」の名前を見つけた。
まさかと思って手に取ると、ジャケットは魂のイメージだろう、赤青黄色の火の玉が頂点になって正三角を結んでいた。裏側には黒を基調としたステージの真ん中で、三人がそれぞれ楽器を構えている姿があった。顔は良く見えなかったが、隅に「ギター・安金匠輝/ベース・宇都宮大哲/ドラム・高島雅樹」と書かれているのを見つけた。
間違いなく、あの「三つ子の魂」だった。
思いがけない発見に興奮してしまい、手に取ってすぐにレジに向かっていったが、
「君、まだバイト中でしょ」
と同じアルバイトの先輩に叱られてしまった。そうだった、朝から昼までのシフトで、新譜を棚に並べている最中だったのだ。その日は時間の流れがやけに遅く感じた。
アルバイトの時間が終わると、即行でCDを買い、急いで家に帰った。腹の虫の音も無視して、すぐさま彼らの音楽を聞いた。
最初の音を聞いた瞬間から、僕は曲に呑み込まれた。
一発目から容赦なく降り注ぐドラムの音。荒れ狂う白波のようなギターの奔流。心臓の鼓動を刺激するベースのうねり。しかし激しいだけではない繊細なテクニックと、絶妙なところでバランスを保っているようで余裕も感じられる安心感もあった。
あるいは空から零れる柔らかい雨のように。あるいは生きとし生けるもの総てを慈しむ海のように。あるいは愛しき善も哀しき悪も受け止める大地のように。
その音から流れ込むイメージは果てしなかった。
高校生の時に聞いた曲があった。構成は基本的には同じだ。違ったのは、音の響きや厚みが明らかに良くなっていたことだ。先輩たちと分かれて三年半が経ち、作り出す音の世界が更に進化し、深化していた事に震えた。
惜しむらくは「三つ子の魂」の生演奏を間近で聴いたことのある身として、CD音源では少し物足りない事だった。
もう一度彼らの演奏を、傍で聴きたかった。
挑戦的な音楽を動画投稿サイトに投稿してから五曲目。動画再生数が初めて五十万回を超えた。手を抜いたつもりはなかったが、自己評価では最高傑作とは言えない曲だった。それまでは二十万回達成が限度で、ある曲は五万回程度のものもあった。
自分の好む音と、世間に受け入れられる音とは若干のズレがあることは知っていたが、それからも殊更に世間に寄った曲を作ろうとは思わなかった。僕の曲を聴いてくれる人が多くなるのは嬉しい事ではあったが、それは自分だけの音楽を追求した結果だ。誰かに好きではないと言われても、自分が好きで作っているんだ。好きなものは誰に変えられるものでもない。その時の自分が生み出せる最高の音を、愚直に探っていくしかなかった。
けれども、どうしてだろうか。気持ちが急速に冷たくなっていくのを、心のどこかで感じていた。
大学生最後の年、周りが変わっても僕がすることは同じだった。学校に行って、家で音楽を作って、アルバイトに行く。その繰り返しだった。ゼミには入らなかったが卒業論文の作成と就職活動が増えたので、音楽を作る時間は大幅に削られた。
卒業論文は『都会と地方における経営環境の変化』というテーマで、地域経済と主な産業の関係性、事業拡大が成功した企業と衰退した企業について作成した。図書館やインターネットでの調べ物に多くの時間を費やし、教授や院生の助けを借りてなんとか終えることが出来た。
就職活動は十社の採用試験を受けて、その内の一社から内定をもらってしまったので、早々に終了した。特に熱望していた会社ではなく、内部でどのような印象を与えて僕に目に留めたのかは分からない。就職活動は騙し合いや化かし合いと聞かされていて、実際にエントリーシートも面接もほとんど自分を偽って進んだので、活動中の自身と社会に対する違和感は甚だしいものだった。
会社のため、社会のため、などと発言する自分と面接官の上辺だけの言葉。裏に抑圧している本音と本性。表面を覆い隠す仮面のような笑顔と教科書から引用したような内容の台詞と右に倣えの社会性。他の面接者も僕自身も、判で押したような対応の会社側も、全てが気持ち悪く思えた。社会人として独り立ちするには、独り善がりではなく協調性をもち、上からの命令を忠実に守り業務を全うする、ということが大切なのは理解していた。けれど自分も含めたみんなが機械のように動いている様に嫌悪感を抱いてしまうのは、どうしようもなかった。それが社会に出ることなのだと言われても、納得しがたいものだった。
結局はその仕事の中で目標を持って腐心するか、それ以外で楽しめる趣味を見つけて仕事をそこそこに熟すというのが、僕のような普通に生活している人間の宿命なのだろうか。あるいは仕事とプライベートのどちらも充実させられるのならば、それに越したことはないのだろう。その仕事というのが本当に楽しめるのであれば、それも悪くない。
しかし数多ある募集企業の全てに希望を持てず、そして流されるままに決定してしまった事は、また選択する道を間違えたと思わざるを得なかった。
けれどもここまで来てどうすればいいのか、何もわからなくなってしまった。
思いだけが空回りして、具体的な行動に移せなかった。築き上げた音楽への自信は、まるで空洞であるかのような錯覚に陥り、不安定な心のまま崩れてしまいそうな自我をギリギリで繋ぎ止めることが精一杯だった。
自分自身の意思に、夢に、誠実に向き合えなかった。
到底無理なことなんだと蓋をして、自分を再び偽った。
六曲目を投稿して、音楽活動からしばらく距離を置いた。空いた時間は読書や漫画やゲームで潰していたが、満たされることはなかった。
大学を無事に卒業して、春から保険業の会社に勤めることになった。希望の部署はなかったので、企画営業部に所属された。
新人研修が終わり、色々とある保険の種類を勉強し、先輩の営業に付いて行って基本的なやり取りを学ぶ。顧客への資料を作成してダメ出しを貰って、ルート営業と飛び込み営業のルールや客の性格に合わせた対応や話術を教わる。新しい保険の形を企画しろと言われて提案してもちろん通るはずもないのだが、これは企画書の作成法と既存の商品を理解するための通過儀礼的なものらしい。
保険が商品である以上、人との信頼が一番であり、その信頼を獲得するまでが一番長い道のりだから忍耐を持たなければならないと言う先輩がいれば、他の企業の商品よりも(細かい実態はどうであれ見かけ上は)良い商品を営業で提案するので数を撃てばいいと言う先輩もいた。
部署の方針があっても一人一人のスタイルが違うことがあり、何が正解か分からなくなることもあった。
基本的に土日祝日は休みだったのだが、新しい環境に追われる毎日を繰り返していて、曲を作る時間的余裕も体力もなく休日を過ごすことがほとんどだった。
ある夏の休日、「三つ子の魂」のアルバムを発見してからちょうど二年が過ぎたころ。新譜は出さないのだろうかとネットや雑誌で情報を確認しつつ、以前アルバイトをしていた本屋を回っていた時、「フォース・キー」というバンドのデビューアルバムとして作られているコーナーを見つけた。
「圧倒的演奏力」「新しいバンドの世界」など大きなポップで宣伝されていたが、僕の目を惹いたのはそこで流されていたプロモーションビデオだった。
ボーカル、ギター、ベース、ドラムの四人が仮面を着けて、青い空の下で楽しそうに演奏していた。注目したのはギターの癖と、ベースの指の弾き方と、ドラムのパフォーマンス。
一目見て、一聴してわかってしまった。
彼らはまた、さらに遠いステージに行ってしまったのだと。
この二年間に色々あったのだろう。試行錯誤をして、遠回りをして、何が必要なのかを探したのだ。その答えとして、新たなメンバーを迎え、バンド名を変えた。
一時も歩みを止めることはなく、理想の音楽を追及するために足掻き続けた。そうして「三つ子の魂」は生まれ変わった。新しく生まれ落ちたその音は、強大な力を携えて世間に現れたのだ。
安金匠輝と宇都宮大哲と高島雅樹と、ボーカルの徳田響は、新たなバンドサウンドの顔となり、音楽業界に一つの歴史を刻むこととなった。
そして僕の世界を一新させた。
気が付いた時には、家に帰ってそのアルバムを何回も繰り返して聴いていた。
収録曲はそれぞれ、誰が中心になって作ったのかが分かりやすいくらい特徴が出ていた。奇を衒いながらも完成された音楽として上手く纏めている安金先輩の曲。重低音から複雑に、緻密に組み立てている宇都宮先輩の曲。独特の世界観を面白く表現している高島先輩の曲。オーソドックスでありながら型破りな展開の曲は、おそらく徳田さんだろう。
メインボーカルである徳田さんは、聴きやすい歌声でありながら心地よく耳に残り、いずれの曲総てを十二分に表現していた。彼は三人の音楽をよく理解しているのだろう。そして同じ方向を向いて、目指す音楽を共に作り上げていた。
一つとして駄曲のない、素晴らしいアルバムだった。
僕はいつの間にか涙を流していた。
どうして僕は諦めてしまったのだろうか。
どうして僕は同じ世界に居ないのだろうか。
どうして間違えた。どうしてこの熱は冷めてしまった。どうして自分を信じられなかった。
どうして。どうして。どうして。
後悔ばかりが膨らんでいく毎日に、どうすることもできなかった。
やりたいことが出来ない日々。受け入れられない現実。
寝る前に七年間を振り返っては、ピシッという空音に苦しめられる夜。それはあるいは、心に罅の入る音だったのだろうか。
勇気と覚悟と自信が持てずに目を逸らし足向きを変えたことで、ここまで苦しむなんて想像していなかった。これほどまでに憧れる夢を、焦がれる想いを、真っ直ぐに見つめていたころの自分を取り戻したかった。
何のために生きるのだ。何が楽しくて、今を生きているのだ。
残念ながら、現在勤めている会社では明確な将来が全く見えてこない。生きる意味が、今のままでは見つけ出せない。ただ生きているだけでは、僕は存在する意味がない。誇るべきものを持たない僕には価値がない。
守るべき場所も、守るべき立場もない現状ならば、ごちゃごちゃと考えることは辞めにして、自分の心の赴くままに進むべきなのだ。
僕に生きる実感を与えてくれるのは音楽だけだ。
ようやく理解したけれど、遅すぎるくらいだ。
遠回りをしたけれど、だからこそ本当の気持ちに気付くことが出来た。
後悔を反省に変えて、新しい一歩を、もう一度踏み直すのだ。