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八年前

 僕が音楽に出会ったのは、高校一年生になる直前の春だった。

 年の離れた従兄が大学を卒業して就職をするのを機に、引っ越し作業を手伝った時に埃まみれのギターを見つけた。そのアコースティックギターはヤマハ製のもので、従兄が大学入学時に買ったそうだ。値段は教えてくれなかった。当時は一生懸命練習し、一年と二年の時はデュオを組んで学園祭で歌ったらしいのだが、三年次に勉強が忙しくなって少しずつ触らなくなり、そしてインテリアと化したらしい。

 従兄曰く、

「ギターが弾けたところで、もてるようにはならなかった」

 だそうだ。実際の問題点は彼の性格に因るものだと今では思うが、当時の僕は何となく幻想を先回りして砕かれた気がした。そんな下心がなかったとは言い切れないが、しかしギターが弾ける奴は純粋に格好いいと思っていた僕は、頼み込んでそのギターを譲ってもらった。

 お年玉を母に管理されていたので、毎月のおこずかいを少しずつ貯めて買うしかないと計画を立てていた途中に、思わぬ形でギターが手に入ったのだ。いくらか払うと言ったが、従兄はそれを断った。

「ガキからお金は受け取らねーよ。どうせ売るつもりだったし、お前が持って行くなら手間が省けるからな。それは弦とか買うのに当てとけ」

「え、もう張ってあるじゃない」

「よく見ろよ、錆びてるだろ。もうずっと弾いてないからな。明日は近くの楽器店に持って行って張り換えてもらえよ」

 さらに、ただ憧れていただけで何も知らなかった僕に、初心者用の教則本や楽譜、チューナー等を全部寄越してくれた。

 期せずして夢が一気に揃ったと思い舞い上がっていたが、未だ夢の入り口にすら立っていなかったことに気付いていなかった。いや、夢を現実にすることの厳しさはそれから知るのだし、まだまだ憧れの意識が強かったその時は、どうしようもなく子供だったのだ。



 次の日に早速楽器店に行って、弦の張替えを依頼すると同時にやり方を教えてもらった。そして予備の弦と、ピックの硬さと大きさが違う種類のものをいくつか買って帰った。

 それから残りの春休みはずっと、一日中ギターをかき鳴らしていた。

 まずは簡単なコード進行から覚えて、第一の難関とされるFコードに苦戦しながらもなんとか鳴らせるようになり、スムーズにコード変更できるように繰り返し練習した。

 入学式の間も校長先生の話は全く耳に入ってこないで、帰って練習することばかり考えていた。

 そのおかげで、簡単な曲なら暗譜できたし、徐々に難しいコードやリズムの練習をしていって、弾き語りの真似事もすぐにするようになった。

 最初はつっかえながらだったけれど、少しずつ上手くなっていくのが、弾けなかったところが弾けるようになるのが嬉しくて、夢中になっていった。

 高校の入学式も終わって二週間が経ち、クラスの顔もお互い何となく覚えた頃、派閥とは言わないまでも、ある程度仲の良いグループがちらほらと構築されていた。僕が中学の時によく遊んでいた友人は別の高校に行ってしまったので、クラスには元クラスメイト程度の交流しかない奴ばかりだった。それでも少しは安心でき、深く付き合うわけでもなく、かといって完全に疎外されることもない距離感を保って、クラスに馴染んだ。

 二、三週間くらいは色んな部活動勧誘が激しかったが、僕は一切興味がなかった。部活の一覧表に記載されてはいるが、部活動紹介に出ていなかった軽音楽部が気になって、学校内を把握するついでに探し回った。ようやく見つけた部室は、本校舎と少し離れて建てられた部室棟の傍に、こぢんまりと建っている部活動用倉庫の二階だった。

 当然、部室を見つけてすぐ軽音楽部に入部申請を出した。その高校には少しお堅い先生が多くて軽音部がなかなか認められず、去年やっと創部されたばかりらしい。二年生の先輩たちは三人で去年の一年間かけて活動内容を認めさせて、顧問と部室も自分たちで見つけたというのだから、その熱は大したものだった。そんな熱心な先輩たちが苦労して立ち上げた部活に、事情を知らず、少し人見知り気味だった僕が入ってもなかなか馴染めなかったのは、仕方のないことだったと思う。仲間意識というか、結束感が強くて、新入部員が僕だけでも喜んでくれてはいたが、やはりお互いが手探りな感じで接していた。エレキギターを持っていなかったし、買うお金もなかったから、先輩たちがバンドを組んで練習している横で、一人でずっと弾き語りをしていた。

 だからと言って邪険にされていたわけではなく、たまには先輩のギターを弾かせてもらうこともあったし、仲は悪くはなかった。少しずつ歩み寄ろうとしているのが分かって、とても優しい人たちだと理解してからは、自分も積極的に交流しようとした。それでもやっぱり三人の仲とは完全に混じれていないのは分かった。学年の差があるし、そもそもの年期が違った。当たり前だけれど、自分が勝手に無駄な疎外感を感じていただけだった。



 それからしばらく経って夏休みも終わったころ、一年生の僕と違うクラスの奴が新入部員として入ってきた。名前は道旗(みちばた)(あかり)といった。

「夏休みに知り合いの所でバイトして、お金を貯めたんだ。どうせ始めるなら良いやつを買おうと思ってさ。いや案外高いんだね、ギターって」

 長身ですらりとした体型の彼は、必要以上に爽やかな笑顔を振りまきながらギターを鳴らした。弦を適当に押さえて鳴った音は誰がどう聞いても不協和音だった。

「チューニングすらできないじゃん。ほら、チューナー貸してやるから合わせろよ」

 僕がそう言って従兄から貰ったチューナーを渡したら、道旗はそれをまじまじと見つめ、

「これ、どうやって使うの」

 真顔で言い放った。

 初心者も初心者で、簡単なことを何一つ調べずにいたらしい。僕は初心者用の教本を開きながら、一緒にチューニングをし、さらに押さえるコードを一から教えてやった。その四苦八苦振りに、半年前の自分を思い出したが、そこで僕は少しだけ得意げになっていた。

 たった半年、先に始めたくらいで先輩風を吹かすのだから、単純なものだ。いや、純粋だったのか。それと嬉しかったんだ。誰かと一緒に音楽をすることが、同じようなタイミングでギターを始めた仲間が出来たことが。

 そうして部活動の時間は、部室は先輩たちが使い、僕と道旗は晴れの日は外の日陰で、雨の日は部活動用具が転がる横で適当にスペースを作って練習をした。

 部室は防音の対策をしているのだが、なにぶん自分たちで作った防音壁なので、完璧に音が漏れないということはなかった。僕らが外で練習している時に聞こえてくる音楽は、それでも、凄いという以外になかった。バンドサウンドに関する知識を全く持っていなかったにしても、完成された一つに音楽だということが分かった。違う。彼らの力強さや情熱が自分の心を振るわせるのに、それは関係なかったのだ。僕も、先輩たちも純粋だったからこそ、知識や技術の先入観は邪魔になる。

 音楽は素直な気持ちで作ればいい。

 素直な思いを歌えばいい。

 真っ直ぐな声は、真っ直ぐ受け止めればいい。

 綺麗な音は、正直に綺麗だと感じればいい。

 それがその時に思ったことで、そして僕の音楽に対する姿勢の原型だった。



 高校生になって初めての文化祭は、先輩たちはいつも通りのメンバーでバンドを、僕は道旗と二人で舞台に立った。

 道旗はギターを始めて一か月と少しということで、弾きながら歌うというのが上手く出来なかった。代わりにカホンとタンバリンで演奏することにした。カホンというのは、四角い木の箱に跨ってそれを手で叩く打楽器のことだ。中が空洞になっており、打面の反対側には音を響かせるための丸いサウンドホールが開いている。真中を叩くか縁を叩くかで音がまるで変り、リズムを取りながら叩く場所と強弱を考えて演奏するため、見た目に反して意外と難しい。

 彼はギターの基礎練習と並行して、僕のギターと歌に合わせてカホンを練習し、ハモりまでしていたので、さぞかし大変だっただろう。

 それでもお互いに目に見えて、耳に聞いて明らかに上手になっていくのが楽しくて、毎日遅くまで練習した。その甲斐もあって、当日には何とか聞かせられる歌になった。二人で納得のいく、その時点で最高の音楽の形を作ることが出来たんだ。

 そして本番。

 初めての舞台。

 初めて大勢の前でギターを鳴らし、歌う。

 いつもは感じることのない、初めての視線。

 どうしようもない緊張の中で、お互いにそれまでの練習を振り返りながら、大丈夫だと言い合って、励まし合って、ようやく客の前に立った。まだ何もしていないのに汗が噴き出していたのは、照明の熱さだけが原因ではなかった。

 最初の曲の、最初のストローク。ピックを持った右手を振り下ろす瞬間のあの時が、緊張のピークだった。

 上手く鳴るか、ピックを滑らせないか、コードは間違ってないか、マイクはちゃんと音を拾ってくれるのか。そういった不安が渦巻いていても、道旗のカウントダウンで曲は始まる。舞台に立ったらもう進むしかない、二の足を踏んではいけないと分かっていたのだ。

 そういえば道旗は、あまり緊張していなかったように思える。なんというか飄々としていて、絶対に上手くいくと信じていた様だった。あるいは、失敗したらその時はその時だと思っていたのかもしれない。そんな性格だから、何にでも片端から挑戦して来たんだろう。興味を持ったものには、それが自分に合うかどうかを一瞬も考える事は無く、とにかくやってみる。手当たり次第と言っては悪いが、けれどそのおかげで、彼の多種多様で意外性のある音楽は作られた。この時はまだ、ほんの入り口に過ぎなかったのだ。

 それで最初の音を鳴らしてから、精一杯声を出して、必死に歌った。

 僕らは三曲を演奏したのだが、その後の二曲のことは覚えていない。正確には一曲目の終わりあたりからだ。自己紹介をして、曲紹介をして、あとは何を喋ったかは思い出せない。その後の曲もちゃんとできていたのか、ミスはなかったのか覚えていないのだが、けれど最後の曲が終わった時の決して少なくなかった拍手と道旗とのハイタッチ、舞台袖に掃けた時の先輩たちの「よかったぞ」という言葉を思い出すと、初めてにしては最高の演奏ができたのだと思う。あの時の緊張と解放感、熱気、達成感は、今でも覚えている。

 次は先輩たちのバンドの演奏だ。

 その時に初めて知ったが、そのバンドの名前は「三つ子の魂」といって、三人が幼少期からの幼馴染ということに由来していると聞いた。なんでも幼稚園で仲良くなってからは、同じ小学校、同じ中学校、同じ高校と進学しているし、去年まではずっと同じクラスだったそうだ。バンドを始めたのは小学二年生の時に、ドラムの高島雅樹(たかしままさき)先輩の父親の影響で始めて、それにつられて安金匠輝(やすかねしょうき)先輩がギター、宇都宮大哲(うつのみや ひろあき)先輩がベースを始めたそうだ。

 九年のキャリアが蓄積された彼らのバンドは四曲演奏した。

 一曲目はテレビのコマーシャルで流れていた洋楽をやり、残りの三曲はオリジナルの曲だった。激しいアップテンポの曲と緩やかで壮大な曲、そしてキャッチ―な弾むような曲。

 どれも完成度が高く、重厚で広がりのある音だった。目の前で直接聞いていたとしても、ギターとベースとドラムの三つしか使っていないことをすぐには信じられなかった。それほどに楽器から、三人から流れてくる音の波は激しく、それでいて綺麗だった。

 今直ぐにでもプロデビューできるのではないかと素直に思った。

 軽音部の発表が終わり機材も撤収して片付いた後は、それぞれのクラスや部活動の出し物を見学して回るために自由時間となった。けれども僕は初めて大勢の人の前で演奏した事と、先輩たちの本気の演奏を聞いたことによって気分が高揚していた。三年生は受験のために何もしていないから、一年生と二年生の教室をぐるりと回ったのだが、目に入る物すべてが舞台から見た客席の残像に隠れてしまい、なにも頭に入ってこなかった。

 それで何となく思い立って部室に行くと、宇都宮先輩が一人でベースを磨いていた。

「おかえり、ってお前か。どうした」

「お疲れ様です。安金先輩と高島先輩は」

「ジュース買いに行って、寄り道してんのかな。さっきの演奏、凄い上達してんじゃんか。歌も上手かったよ」

「あ、ありがとうございます。先輩の方は、なんというか、凄かったです」

 感動したことなど他にも言ったが、月並みな言葉しか出てこなかった。

「どうしてあんな音が出せるんですか」

「そりゃ練習の(たまもの)なんだが、それ以上にあいつらとバンドやってるから、だろうなあ。ずっと一緒にやっているから、良い所も嫌な所も、全部纏めて音楽に全力でぶつけられるんだろうな。そういう相手や場所があるってのは、大切な事なんだな」

 宇都宮先輩は照れ臭そうに言った。

 彼らの演奏技術は然ることながら、生み出される音のあの力強さと一体感は、長年の経験もあるだろうが、その間に培った互いの信頼感から出来上がっていたのだ。

「喧嘩したこともそりゃあったよ。でもそれはそれぞれに譲れない音への拘りがあるからで、それもお互いに分かっているからこそ摩擦を生んだり衝突したりする。小さい頃は、自分の方が正しいんだって本気でぶつかって、口をきかない時もあった。仲直りしたくても自分からはなかなか言い出せなかったけど、音合わせをするときはさ、ああ、その頃は雅の父親がスタジオを借りてくれて、二週間に一回はそこでやってたんだよ。で、前に喧嘩した時のことを気にして、遠慮っていうのかな。後ろめたい気持ちがあったから、相手の言い分も考慮しながら試行錯誤して作った音を合わせるんだよ。それで音ってのは正直でさ、俺も、相手も、びくびくしながら鳴らした音が全然合わないの。これ本当にこの間やった曲と同じか? ってくらいに。それで遠慮を無くして、それでも意見を取り入れて、好きなようにめちゃくちゃにやった時、ある時にカチッて填るんだ。パズルのピースが綺麗に組み上がるように。そんでその時の音が、前にあいつが言った音じゃねえかって気付くんだ。逆に向こうも、俺と同じことに気付いたりしてな。その時かな、俺は絶対的に正しいわけじゃない。色んな方向からいい音を探さないといけないんだって。その為には自分だけじゃなくて、一緒に音楽を奏でる仲間が必要なんだって思った。それと同時に、俺には信頼できる大切な仲間がいるんだって気付いたよ。

 そんで色んなことをこれからもめいいっぱい積み重ねて、色んな音楽を作るのが俺の夢……いや、俺たちの夢だな。一人じゃなくて三人いるからこそ作れる音楽って言うのが、絶対にあるんだ。途方もない道かもしれないけれど、まあ、あいつらと一緒なら、たぶんなんとかなるんじゃねえの。

 とにかく、あいつらのお陰で、今もバンドを楽しめているって言ってもいい。そしてだからこそ、音楽にだけは妥協したくないんだ」

 青臭い若者特有の真っ直ぐな言葉が、開け放した小窓から見える真っ青な高い空に伸びていった。どこまでもいつまでも、それは飛び続けて、いつかは誰も到達し得ない域まで達するだろう。

 凡人には達することのできない高みに辿り着けるのは、こういう種類の人間だ。そう感じたのは、その時の僕が見ていた世界と先輩の見ていた世界があまりにも違っていたからだった。それでもいつかは同じ舞台に立てるだろう、追いつけるだろうと思っていた。

「あ、これあいつらには言うなよ、恥ずかしいから」

 そう締めくくった姿が、とても眩しく映った。とても格好良かった。

 だから僕も、まだ一年も続けていないんだから、いつか同じ世界を見てみたいと思った。

 そう、いつか。

 遠い未来の、いつか。

 その時はまだ、そんな悠長なことを考えていたっけ。


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