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七月

 青い空が目の前に広がっている。巨大な綿菓子が四方に浮かんでいるが、頭の上からは何にも遮られない太陽の日差しが肌をじりじりと焦がしていく。熱は蝉の焼け付くような鳴き声と幾重にも重なり、一歩足を動かすたびに脳が溶けていくような錯覚に襲われた。額から頬にかけて流れあごの先端に辿り着いた汗は、滴となってアスファルトに落ちてすぐに蒸発して消えていった。

 一歩、また一歩と体内の水分を消費しながら進み、ようやく事務所に辿り着いた。

「おはようございます」

 重たいガラスの扉を開けて挨拶をすると、熊井さんの声が返って来た。

「おはようツグみん。今日も暑いわねえ。あ、先日発売した『キセキの色』、売り上げは悪くないわよ。頑張ってプロデュースした甲斐があったわ」

「そうなんですか。ありがとうございます」

 ブルーフラッグのデビューは諸手を上げて喜べる結果ではなかったが、しかし落胆するほどでもなかったらしい。深夜の音楽番組とネット放送での宣伝しかしなかったので、それでも買って聴いてくれる人がいたことに喜ぶべきだ。まずは僕たちの存在を知ってもらうことで、これからはもっと対外的な活動を活発にしていこう。

 ちなみに「ツグみん」というのは、溝口さんが僕の名前を間違えてツグムと呼んだことから、事務所内で広まった僕の愛称だ。駆け出しではあるが歌手で無口キャラでもないのに噤むとは、どういうことだ。

 もってきたタオルで汗を拭い、冷房の風が直接当たる場所に行って体を冷ます。溶けた脳みそが固まるまでにはもう少し時間が掛かりそうだ。

「それじゃあ今日は下のスタジオ使いますので。よろしくお願いしまーす」

 まだ緩い脳みそのまま声を掛けて、スタジオへの階段を下っていく。

 スタジオの扉を開けると、一階よりも低い温度設定に身震いした。すこし下げ過ぎではないかと思ったが、どうせすぐに暑くなるのだからと思い直した。

 手近な椅子に鞄を下ろして楽譜とデモテープをテーブルに置くと、扉が開いて四人が入ってきた。

「おわっ、ちょっと寒くね、この部屋。あ、ツグみんだ。久しぶり」

「そう? オレはちょうどいいけど。おう、大きく……なってないな」

「久しぶりだねえ。あんまり変わってないね。まあぼく達が言えることじゃないけれど」

 久しぶりに会った先輩たちは、あの頃と変わる様子もなく話しかけてくる。映像の中で演奏している姿とはえらい違いだ。けれど、安心した。軽音楽部の部室と同じ雰囲気だ。

「お久しぶりです。これでも一応身長は伸びたんですよ」

「えっ、マジで?」

 安金先輩が驚いた声を出した。

「一センチですが」

「それは測定時の誤差だな」

 いやまあそりゃあ道旗含めて周りはみんな僕よりも背が高いけれど。その一センチで平均身長を超せるか超せないかだから、僕にとっては重要なんです。

「まあ内面はかなり変わったみたいだが。変わったというか沢山取り込みすぎて複雑になったって感じか」

 宇都宮先輩が言う。たぶん、動画投稿サイトの曲を聞いたのだろう。

「色々と挑戦し過ぎだったよ、あれは。でも、だからかな。それをちゃんと処理して、デビューシングルの三曲は良い意味で面白い曲だったよ」

 高島先輩の言葉が嬉しい。二人も頷いている。それだけで、これからもやっていけそうな気がした。

「道旗の力でもありますよ、それは。こいつ、良いアレンジをするんです」

「もともとの曲が良いから光るんですよ。やっぱ青葉と作ると楽しいわ」

 道旗がそっけなく言うが、口元は笑みを隠しきれていなかった。

「いやいや、お前ら二人で褒め合うなよ気持ち悪い。照れたり誤魔化したりしねーのかよ」

「曲作りは感情をぶつけ合うことが大事って言っていませんでしたっけ」

「それとこれとは意味合いが違う。って、こういう奴だったか」

 安金先輩は言いながら、ガラス窓の向こうの演奏ブースに入っていく。

「それで、高校の時に作った曲をやるって、どういう心境なんだ」

 高島先輩と宇都宮先輩がそれに続く。

「確かに埋めておくにはもったいない曲だと思うけれど」

「いきなりテコ入れってのは感心しないが、タイミング的には今がベストだよな」

 僕は全員分の楽譜を持ってブースに移る。

「初心忘るべからず、ってやつですね。「三つ子の魂」の認知度を利用しようという魂胆もありますが、この曲たちは僕の始まりの曲たちなんです。これらをやり直して、やっと進めるような気がするんです」

 僕が作り上げたものは、僕を作り上げたものでもある。忘れてきたもの、見ない振りをしてきたもの、転嫁してきたもの。全部をもう一度振り返り、僕自身を確かなものにするための、これは先駆けだ。あの時の想いを、あの頃の情熱を、今の自分に落とし込むために必要だと思ったから。もう後悔はしたくないから。

 だから、今の全力で、思い出を思い出にしたいのだ。

「初心を大事にするのは大事だよな。よし、わかった。あれからオレがどれだけ進化したかを聴かせてやろう。勿論、アレンジするんだよな」

 安金先輩が準備運動としてアドリブでギターの速弾きをした。流石の腕前だった。

「あれ、見たことない曲が二つあるけど」

 宇都宮先輩が配られた楽譜をめくって気付いた。

「『ライトニング』は僕が三年の時に作った曲で、『ブルーフラッグ』は新曲です」

 烏丸さんにミニアルバムの提案をした時は未定だったが、いざ「三つ子の魂」とやることが正式に決まると、曲を作りたい衝動が止まらなかった。勢いのまま、今までで最速の制作時間だった。

 『ブルーフラッグ』はこれまでの僕の人生を凝縮した曲だった。道旗がいて、安金先輩がいて、宇都宮先輩がいて、高島先輩がいて、そしていなくなって僕一人で歩いてきた道が、再び交わる今日のための曲。僕が僕でいるための曲。生きるために音楽をやるのではなく、音楽をやるから生きている人の曲。生きている実感を得る、生きている意味を得られる曲だ。

 みんなへの感謝を込めて、そして先輩たちにライバルと認めてもらう意識を込めた。

 言葉で伝えられないものは、音で伝えるしかない。僕はこの方法しか知らない。

 伝わるだろうか。いや、きっと伝わる。

 僕らは、同じ音のする方を向いているのだから。

「これから音を作っていくわけだが、違和感が少しでもあったら言ってくれよ」

 宇都宮先輩が言う。

「逆に良いアイデアが浮かんだら、どんどん言っていくからね」

 高島先輩が言葉を引き継ぐ。

「青葉の目指す音の世界を早く理解したいからな。お前も、遠慮するなよ」

 安金先輩が不敵に笑う。

「さあ青葉、俺たちの世界を作っていこうぜ」

 キーボードの前の道旗は、見るからに心を躍らせていた。

「よろしくお願いします」

 僕は期待と希望で胸を膨らませて、声が弾んだ。

 青い春が終わり、朱い夏がやってくる。

 曲がりなりにも大きくなった幹は青々とした葉を付け、沢山の光と水と空気を貰い、様々な音を紡ぎだす。立派な果実を付けるためには十分な条件だろう。

 人生で一番熱い夏が、これから始まる。



終わり

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