第6話 一年四組
上徒高校。
どこにでもある公立高校。偏差値はさほど高くない。クラスは三学年とも七組まであり、二・三年生は成績の高いクラスとそれ以外のクラスで分けられているようだが、一年生は入試の時の成績を参照して均等に振り分けられている。
有雷零歌は一年四組。真竜夢為は一年七組だ。
「おう、有雷。おっす」
一年四組の教室に入った零歌に声をかけてきたのは、零歌の数少ない友達の一人である三国大記である。
「うーっす」
零歌も挨拶を返した。そして自分の席へと赴く。ドッカリとイスに座った零歌は、そのまま机に突っ伏した。零歌の中では教室は眠りにつく場所という認識が定着している。零歌はいつでも眠いのだ。
突っ伏した姿勢のまま耳をすませると、教室内の様々な音が聞こえてくる。カバンを漁る音だったりイスを引く音だったり生徒の話し声だったり。そういう風に音の観察をするのが零歌の日課になってきている。
しばらくするとチャイムが鳴った。生徒たちが続々とイスに座り始める。まだ鳴った直後は静かにならず、話し声は絶えない。
鳴ってから数分後、教室の扉が開き、紺のブラウスと黒のロングスカートに身を包んだショートヘアの女性が入ってきた。一年四組の担任教師、天島地穂である。天島は教壇の前に立つと大きな声で話し始めた。
「はーいHR始めんでー。えーっと休みは……北柳生だけか。いつも通りやな。ま、連絡は特にないわ。ああそうや、有雷くん」
急に名前を呼ばれてぼーっとしていた零歌は上を向いた。
「……何すか」
「いやいや何すかって……課題や課題。昨日の課題」
課題? かだい? カダイ? kadai?
……………………忘れてた。
「…………すみませんやってないっす」
「は?」
クラスの中の空気が凍りつく。天島はいつもは優しい(四組の女子評。零歌はそうは思ってない)らしいのだが、怒ると怖い。いやメンドくさい。
「アンタなあ……やるべきことはちゃんとやらなアカンやろ? 彼女が出来たからって浮かれとったらアカンで」
彼女。その単語に無反応を決め込める年頃ではないクラスメート。案の定ザワザワしだした。
「ゆーらいくん彼女いるの? えー! 全然知らなかったー!」
一際大きな声を出す女子。四組のムードメーカー、坂宮有里華である。天然の茶髪をいつもポニーテールにしているのが特徴だ。有里華は休み時間はもちろん授業中も面白いことがあればよく笑い、教師ともよく絡む。そしてクラスの恋愛事情もほとんど把握しているなど、一部のカップルにビクビクされている。
そんな有里華に目をつけられたのは、零歌と夢為の関係がクラス中に広まってしまうことを意味していた。
「ゆーらいくん! 彼女さんはこのクラス!? それとも違うクラス!?」
「え、いや……違うクラスだけど」
「えー? 誰誰教えて!」
食いつきっぷりが半端ない。そういえば前にもクラスで同じことがあったなーと思い出す。その時はまったく他人事だったが、当事者になってみるとメンドくさいことこの上ない。
「いや、それは個人情報なんで教えられない」
キッパリと言い切った。零歌的には少しカッコつけたようだ。
「一年七組の真竜夢為さんやで」
この教師は空気が読めないらしい。
「…………おい」
「え!? しんりゅーさんってあの美人って噂の? へーそうなんだ。やるなーゆーらいくん!」
真竜夢為の名前が出た途端、またクラス中がザワッとし始めた。
「マジかよ……有雷があの子と」
「羨ましーなー……」
「真竜さんって趣味悪い?」
(おい最後誰だ最後)
零歌にとってはいい迷惑である。あまり目立つのを好まない性格なので、こういう状況は慣れない。もちろん夢為は一つも悪くないが。
「はいはい静かにしーや! とにかくアンタは課題を今日中に終わらせること! わかった?」
「……うっす」
終わる気はしないし終わらせる気もない。零歌はガクッと沈没した。
昼休み。生徒たちが揃って弁当を取り出したり食堂に向かう学校生活の中の至福の時間。零歌は食堂で食べるのが日課だ。だいたいぼっちメシである。今日もいつもの通り食堂に向かい、注文の列に並んでいた。
すると、不意に後ろから背中を押された。
「やっほー零歌くん!」
その人物は真竜夢為だった。夢為は嬉しそうに笑顔で語りかけてくる。
「さっき教室に行ったら零歌くんは食堂に行ったって聞かされたから、急いで来たんだよ。もー私に黙って行かないでよー」
「あ、ごめん……」
謝るしかない零歌。誰かと一緒に食べる習慣がない零歌にとって彼女を昼ごはんに誘うのは無理な話だった。
「ううん、別にいいよ。一緒に食べよ?」
(……………………いい)
すごくいい。改めて思うがこれは夢じゃないよね?
零歌はいつも注文する醤油ラーメンを、夢為はカレーを注文した。二人はお盆をもって適当に空いている席を探す。
「あ、零歌くん、あそこに座ろ?」
「ああ、そうするか」
ちょうど二人分空いていたのでそこに座った。零歌と夢為はお互い向かい合って各々の料理を食べる。こういうとき零歌は話題を提供するのが苦手なのだが、そんなことは心配ご無用。目の前にはコミュ力の塊みたいな女子がいるのだ。
「私カレー大好きなんだ。ここの食堂のカレーもすごい美味しいよね!」
「カレーか……まあオレも好きだけど。オレはラーメンの方が好きだな」
「ラーメンも美味しいよね! 他にどんなのが好きなの?」
「えーっと……中華は全般好き」
「中華かあ……練習しとかなくちゃね!」
「れ、練習?」
「うん、零歌くんに私の作ったご飯を食べて欲しくて」
零歌の心臓はドクンドクンと跳ねていた。この流れはもしかして夢為の家にお呼ばれされるパターンじゃないか。
「零歌くん、明日って空いてる?」
「えっと……空いてるけど」
明日は土曜日。 明日どころかほぼ全ての土曜日が空いている。
「じゃーさ、零歌くんの家に行ってもいい?」
「………………」
零歌はしばらく硬直していた。土曜日に零歌の家。父親は仕事でいないので大丈夫。他に兄弟もいない零歌は土曜日は家に一人っきりだ。なので問題はないはずだが。
「……どうしたの?」
「いや、オレの部屋、結構散らかってるから掃除しとかないとって思ってさ」
心配なのはそこだ。整理整頓が出来ない零歌の部屋に女の子を招くのは気が引ける。
夢為はカレーを口に運び続けながら話を続ける。
「別に大丈夫だよ。私そういうのはあんまり気にしないし」
「そっか……ならいいか。でも急だな」
付き合って二日で彼氏の家に行くというのは中々急な話だと思う零歌。
「そう? 別に普通だと思うけどな」
「そうですか……」
もしかしてこの桃色ロングヘアーは恋愛において経験豊富なのか。これまでの零歌に対する積極的な態度がそれを表しているのかもしれない。
「……オレは夢為の家に行きたいんだけど」
ポロっと呟くと、
「え、じゃあ明後日に私の家来る? じゃあそうしよう! 決まりだね!」
夢為は楽しそうだった。次々と零歌との予定が埋まっていくのが嬉しいのかもしれない。
「明日何時くらいに行ったらいいのとかある?」
「特に希望ないけど……昼からでどう?」
「オッケー!」
こうして、明日の予定は零歌の家デートに決まった。
(すごい早い流れだな……)
夢為の行動力に従うしかない零歌だった。
昼休みが終わり、また授業の時間がやってくる。ちなみに零歌はまだ課題にほとんど手をつけていない。これは昨日と同じく居残りパターンかもしれない。
(終わらねーってこれ……)
元はテストで悪い成績を取った零歌が悪いのだが、本人に反省の意思はない。
5時間目と6時間目にこっそり課題をやっていたが、それをやっても零歌の頭じゃ最後まで終わらない。
そして、帰りのHRの時間が訪れた。朝と同じく天島が教室に入ってきた。
「はーいみんなお疲れさん。気ぃつけて帰りーな。掃除当番はきちんと掃除して帰るように。あ、有雷くんは残っといて。じゃ、委員長お願い!」
きりーつ、きょーつけー、れーい、といつも行う挨拶をした後、生徒たちは各々動き出した。
零歌は恐る恐る天島の下へ赴く。天島はニッコリと(零歌から見れば)気持ち悪いスマイルを浮かべ、話し出した。
「有雷くん、課題を提出してもらいましょーか?」
「出来てません」
「何でそんな堂々と言えるんやアンタは……」
呆れた、とこぼしながら零歌に近くのイスに座るように促した。自身も教壇のイスに座る。
「アンタ、昨日の夜は何しとった?」
まさか異能の組織のメンバーからの話を聞いてたとは言えまい。
「…………寝てました」
「アンタは学校でもよくグースカ寝とるやろ……どんだけ眠いんや」
やがて天島は目を鋭くして零歌を睨んだ。
「全部やるまで居残りな」
「鬼畜……」
「あ?」
「やります」
零歌はまた昨日に引き続き教室に一人ぼっちで課題をすることになった。
その時、教室の入口に佇む人物がいた。
「……零歌くん、今日も居残り?」
零歌の愛しの彼女、真竜夢為だった。天島は夢為を一瞥し、
「アンタは手伝ったらアカンで。多分しばらくかかるやろから今日はもう帰り」
「えっと……」
夢為は困惑した表情で零歌を見る。
「夢為、オレはいいから先に帰ってくれ」
「あ……うん、わかった! またLINEするね!」
夢為は体の前で手を小さく振り、去っていった。
天島はニヤニヤ顔で零歌にちょっかいをかける。
「アンタ、ええ彼女持ったなあ。アタシの若い頃を思い出すわあ」
「若い頃? 前世の間違いでは」
「量十倍にするで」
「若い頃そっくりですね。若い頃知らないっすけど」
不思議なことにこの教師が前にいるとペンがスラスラ進む。何か見えない圧力をかけられているような気がするのだ。答えが合っているかは別として。
「オワタ……」
現在時刻午後六時半。零歌の長い格闘が終わった。
天島からやっと解放された零歌は生き生きとしていた。零歌が学校で一番嬉しい時は学校を出て帰り道を歩いている時間である。
(昨日より遅くなっちまったな…………)
課題がなければ夢為と一緒に帰れたのに……と、後悔し始めている。しかし零歌はそんな後悔などすぐにどうでもよくなった。
明日は夢為が家に来るのだ。
家に帰って真っ先にやることは部屋の片付けだ。散らかっている漫画やゲームなどを元に戻し、掃除機もかけておかなくちゃいけない。
零歌はそんなことを考えながら帰りの電車に乗った。