第3話 襲撃
ソヴェルス。
聞き慣れない単語だ。何語なのかさえわからない。
「あの……アンタ誰っすか」
有雷零歌の目の前には、まったく知らない変な格好の男が一人。自販機の横の街灯に照らされたその姿は、水色の髪を逆立て、両耳にはピアス、左目を中心にして赤い下矢印が描かれており、赤いTシャツに紫のズボン。道化師に見えなくもない。
そんな道化師男は何かに気づいたような表情になり一歩後ろに下がった。
「おおっとこいつぁいけねえ自己紹介がまだだったな! 俺の名はポラル・キリル。『イルナギ』の捜査員だ」
「イルナギ?」
またわからない単語が出てきた。知らないものを自己紹介されてもあまり意味はないと思うのだが。
ポラルは零歌に顔を近づけ、その目をジッと見つめた。
「んーなんだかキミィ……香りもそうなんだけど……その目……誰かに似てるんだよなあ。誰だったっけなあ……」
ポラルは何かを思い出そうとしているようだったが、零歌はそもそも何のことかわからない。
「―――――――――あーそうだそうだ! あの女にソックリだよその目! 色がソックリなんだよ!」
(何言ってんのコイツ)
色と言われても零歌は別にカラーコンタクトをしていないし、普通なら目の色はほぼ同じだが。
そろそろ解放してほしい零歌だったが、ポラルは聞き入れてくれそうにない。
「はぁーしかしわかんないなあ。何でこんなところにソヴェルスの香りが漂った人間がいるのか。まあ、とりあえず」
ポラルは目を細くし獰猛な笑みをつくる。
「疑わしきは罰せよ、だね」
その瞬間。
零歌は、自分の体が意思とは関係なく動いたことに気がついた。目の前を通り過ぎていったのは、細いがしっかりと筋肉がついた腕、その手に握られたナイフ。
「…………!!??」
自分でも意味がわからない。咄嗟に、回避の行動をとったのだ。
「あれ? もしかしてキミわかるの?」
眼球をこちらに向けたポラルは、ナイフを横一直線に振った。零歌の左腕に傷が走る。
「あぁ、ぐ……!」
三センチ程の切り傷だ。少量の血が左腕を伝う。零歌は右手で傷を押さえたが、これは手当した方がよさそうだ。この男が見逃してくれれば、だが。
「悪いけどね、ここで死んでくれ」
猛スピードで零歌に突進していく。本当に殺す気だ。零歌は逃げようとしたが、ポラルの足の方が早い。このままでは一瞬の内に背中を突かれてしまうだろう。
その差、二メートル、一メートル、五十センチ……
「やめなさい、ポラル」
突如頭上から聞こえてきた女性の声。それに気がついて上を見上げるよりも先に、ポラルの体が地面に叩きつけられた。ポラルは喉から「ぐえっ」と変な声が出たが、すぐに体勢を立て直し攻撃を仕掛けてきた人物の顔を確認する。
「―――――――――――――ああ、お前か、ギルテス」
上空から地に降り立ったのは一人の少女。長い黒髪に相手を見下すかのような冷たい瞳。見た目は零歌と同い年くらいか。黒いTシャツの上から半袖のデニムシャツを羽織り、ホットパンツを履いている。そして、青紫色のショルダーバッグを肩から下げている。
ギルテスと呼ばれた少女はポラルを睥睨し、
「アンタ、ソヴェルスのメンバーならすぐに殺そうとするクセやめなさい」
芯のしっかり通った声だ。見た目よりも年上なのかも知れない。
ポラルはやれやれといったようにギルテスと目を合わせた。
「危険人物はすぐに始末しておかないと大変なことになるぜ。そこのガキもな」
ポラルが指差した先には、左腕を負傷した少年が一人。零歌は、困惑した顔で二人の未知の人物を見る。
(コイツらは何を言ってんだ……??)
意味がわからない。ソヴェルスとかいう言葉に聞き覚えはまったくないし、自分がこうして傷つけられる理由も不明。
(とにかく、この場から離れないと……)
再び逃げる態勢を取った零歌だが、ギルテスがそれを引き止めた。
「待って。君怪我してるね。治療してあげるからこっちに来て」
そう言われたが、見ず知らずの、しかもたった今襲撃してきた男と仲間のように話している少女に治療してもらうのは、さすがに躊躇してしまう。
「その前に……アンタたちは一体誰なんだ。何でこんなことをしやがった」
これを聞かない限りは、自分の体を少女に預けることなどできない。
「その話をしていたら、それが終わる頃には君は出血多量で死ぬだろうから早く来なさい……あーもうまどろっこしい!」
ギルテスは中々動こうとしない零歌の左腕を掴み、押さえていた右手を引き離させて、傷口を露出させた。
「う……つっ」
傷口が空気に触れたことで痛みが走る。傷口からは、鮮血が樹液のように流れていた。
ギルテスは右手の人差し指を傷口の端に触れさせ、そのまま傷口をなぞるようにスライドさせた。
「いっ、痛っって……!」
また激痛に苦しめられた零歌だが、その時、傷口に変化が起こった。時間が巻き戻されていくように、傷口が塞がれていったのだ。
「…………⁇」
摩訶不思議だった。塞がれたところには何の跡も残っておらず、血が痣のような模様を描いているだけだ。
「よし、治療完了っと」
ギルテスはショルダーバッグからティッシュを取り出し、人差し指に付着した血を丁寧に拭いた。
「ほら、あなたの血も拭いてあげるから」
零歌の左腕を掴み、そこに垂れていた血を拭いていく。
「んー……これは水で洗ったほうがよさそうね」
左腕の血はほぼ固まっており、ティッシュで拭き取るのは困難だ。
「まあ、傷は治ったしよかったわ。ごめんなさい。ウチの奴が迷惑をかけて」
ギルテスは頭を少し下げて謝った。そして、横の道化師をギロリと睨んだ。
「アンタも謝りなさい」
ポラルは肩をすくめて、
「何でだよ。コイツは消しておかなくちゃヤバイんだって」
まったく反省していないようだった。
「この子はソヴェルスとは無関係よ。確かに香りはするけど、もし本当ならアンタのさっきの攻撃も回避したはずだしね」
それを聞くとポラルは顎に手をやり考え始めたが、やがて何かに気づいたようにギルテスに向き直った。
「いや……コイツは読んでいたぞ。俺の攻撃をな」
ギルテスは疑わしげな表情で零歌を見た。
「……どういうこと?」
「俺が刺そうとしたとき、コイツはそれを読んでかわした。俺は少なくともただの人間よりは素早く動けるんでね。これはコイツが関係者である証拠だ」
「関係者……ね」
零歌はこの二人の話にまったくついていけてない。確かにさっきは攻撃に対して身体が勝手に反応したが、その理由は自分でもわからないのだ。
「とにかく、詳しく話をしたほうがよさそうね。ポラル、アンタの部屋でいいよね」
「ま、そうなるよなあ」
「じゃあ君ついてきて」
(え? え??)
何を、言っているんだ?
「? 何してるの? いいから、ほら。君も私たちの話を聞きたいんでしょう?」
ギルテスはこちらに来るよう促した。確かに話を聞きたいのは事実だが、怪しさたっぷりの二人についていく気は起きない。
「あーもう! 別に何も危害は加えないからついてきなさいってば!」
中々煮え切らない零歌にとうとうギルテスはお怒りモードになってしまった。その様子を見たポラルは零歌に近づきそっと小声で告げた。
「ギルテスは怒らせないほうが身のためだよ……怖いからねえ彼女は。俺なんかよりもずっと」
忠告を受けたが、零歌はさっき殺しに来た男に顔を近づけられるのが嫌でそれどころではない。
しかし、この状況は逃げられる雰囲気ではなさそうだ。今から家に帰ってついてこられても困る。大人しく従うことにした零歌である。
「……わかった。ついていくけど……あの、もしかしてアンタの部屋ってこの団地……?」
ポラルはコクッとうなずき、
「そりゃそうだよ。他にどこがあるの? 405号室に俺は住んでる」
406号室に住んでいる少年は肩をガックリと落とした。
「――――――――――――――――――――――――――――――― 見つけた」
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「―――――――――――――――― 待っていろ。すぐに向かってやる」
『女』が、動き出した。