第99話「銀髪の彼女はリンゴがお好みで」
セプタージュ。その言葉だけが揺られる電車中何度出てきたことか。戦闘最前線機関。考えてもそれは今では考えられないであろう、休む暇もなく落ち着ける空間も存在しない。隣の者が味方で居続ける保証もない、そんな世界が僕の頭には浮かびあがっていた。それは幻想だと願うばかりだった。
いつもの階段を登り果物の紙包みを持ってドアを叩く。変わらず返答はない。やれやれとため息を捨てポケットの中から合鍵を取り出す。開けた先には何一つとして変哲なく、銀髪の女性は僕を偉そうにも催促した。
「遅い!」
ミカロの言葉と同じく不機嫌な入り口はキチンと収まることを知らない。無理に押し込み僕に遅いかからないことを確認すると、机に添えるように紙包みを置くと、彼は倒れがけにリンゴを彼女に差し出した。
感謝の言葉もなく彼女は果実の朝食を始めた。
「今日のは甘みが多いかも。見る目が出てきたね」
「もう少しまともな朝食を選んだらどうですか。自分で作るのが面倒なんて言葉は聞きませんよ」
彼女は答えを奪われたようなしかめ面をすると、僕にリンゴの1つを投げ渡し、それで口を隠した。
「まさかとは思いますが、体重が増えたとか」
「そんなこと気にするわけないじゃん! ハハッ!」
その言葉の一瞬、僕の周囲四方に放たれた鉄扇子には怨みの念がこもっていた。偶然にも鍛錬用にこしらえた吸盤の的のおかげで、何とか大事には至っていない。満足気にリンゴ7個で腹を満たすと、彼女は髪をいつものポニーテールに結び直し、上機嫌で僕を指さした。
正直彼女をここまで回復させるのには苦労した。セプタージュを前にして、僕らは彼女と再会を果たした。そして彼女の災厄も鐘を鳴らし、初めの1週間は引きこもったまま、新たに借りたアパートから出てくることはなかった。
僕はそれがさらに1週間ほど続くと予想したが、意外にも彼女は僕を呼び今のように食事の買い出しを強情にも頼んできた。その時は希望の光すら存在していたが、彼女が何も言いださないことに少し不満を得つつ恩返しをしていた。
けれど今日の彼女はいつになくやる気に満ちていることだけは不変に思った。
「話してよシオン。ヒラユギと同じようになるかはわからないけど」
「……」
あえて僕は口を開かなかった。いや開けなかった。それならセプタージュについてのことを話してもらうのが先決だが、それが障害でもある。彼女のテーブル端に置かれたまま寂しく開かれるのを待っている“戦闘最前線機関”の差出人印が全てを語っていた。
「私はシオンに信用されてないみたいだね。でも怒ったりしないよ。私の責任でもあるから」
「作戦についてはまだ言えません。けど今回のコレは僕らにとってチャンスです」
彼女のセプタージュから送られてきた封筒を掲げ、差し出す。怪しみつつ彼女はゆっくりと封筒を開いた。内容は僕も知らない、というより呼ばれていないだろう。ヒラユギやファイスたちが僕の言葉をそのまま言えば、これに呼ばれる可能性は消え失せる。
「この度あなた様はさまざまなクエストにおける功績を称賛し、今回の最前線研修、通称セプタージュに招待させていただきます。つきましては……」
彼女は何度かうなずきを見せ、ときに苦い顔を見せると書類を封筒にしまいそれをまた端に置いた。どうやらそこが彼の定位置らしい。今にも落ちたところを踏まれそうで怖いが。
「戦闘の最前線ってことは味方とはいえ強いメンバーが集まる。それに僕らの考えを受け入れてくれるメンバーを集めるにはうってつけだと思う。正星議院が全ての考えとは限らないでしょう?」
ミカロはどこか納得のいっていない表情で首をかしげたまま、何かを考えている様子だった。けれどそこに目の曇りは見えない。
「シオンが構わないのなら反対はしないよ。もし悪い噂が広まってもいいのなら」
「議院制度を破壊しようと試みている時点で悪い噂なんて恐れなんてないと一緒さ。むしろ実力が高いのかどうかが心配だけどね」
この言葉を発する前からこの予想が裏切られるのはわかっていた。正直を言えばミカロの実力ですら自分の中で理解できていない。骨が折れるのは毎度のことながらのようだ。
「わかった、参加する。できるだけ話してみるつもりだけど、後で要点だけ教えてね。暗闇を一緒に走ってくれる人なんているはずないだろうから」
「そこは心配いらないです。僕も同じものがありますから」
「シオンさま! ポストにこれが!」
いつもなら凛とした姿勢で崖にひっそりと咲く花のような冷静な彼女はノックもなしにミカロの家へと上がりこんだ。ふわりと香る緑のボブショートが目線を奪ってゆく。シェトランテさんの言うように残念ながら冗談ではなかったようだ。
「ミカロは仲を深めてください。僕はその後に内容を説明しますから」
「シオンさまはこうなることがわかっていらしたのですか?」
「いや、ちょっとしたタレコミがあっただけだよ。内容も全く同じだ。おかげで準備が忙しくなりそうだ」
罠と捉えるべきか、それとも即時に準備できて当然と思われているのか、明後日には北の会場まで集合しなければならない。せっかく一人静かな日々が過ごせると思っていたものの、上機嫌なことに変わりない。
それとうって変わってエイビスの顔はどこか寂しさを見せていた。
「不安なのかい。無理に手伝ってほしいわけじゃないけれど」
「いえ、それがわたくしにはまだそれが届いていないのです」
彼女が指したのはまぎれもなく僕の封筒だった。
「冗談じゃない、よね?」
「こんなことを言うのはミカロだけで十分ですわ。ですが心配ありませんとも。わたくしもなんとかしてシオンさまについてゆく所存ですわ」
きっと彼女はスーツケースか何かしらに収まる覚悟をしているに違いない。ため息まじりに彼女の手を取った。餅に似た感触に驚きを隠せないが、言葉は呼び出た。
「エイビス、指示があるまではここに残ってほしい。できるかい?」
困ったことにセプタージュには内容保持がある。今までにネタ晴らしがあったこともなければ、誰かがそれに潜入したという噂もない。おおかた捕まったか資格剥奪になったのだろうが、そんな荷をエイビスには負わせられない。
何か言いたいのであろう彼女の口は言葉なく開いたが、動きを止めると彼女は目に結晶を映してうなずいた。
「わかりました。お気をつけて」
「行ってくるよ」
エイビスの迎えはなかった。彼女なりの考えがあるのだろうと何も言わないのが筋だ。
彼女を背にセプタージュは幕開けを迎えた。
Twitter「@misyero1」で更新情報を確認できます。