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第98話「シオンは知っている」

 こっちが泣きたいくらいだとぽつりぽつりと涙を流す空に、僕らはすぐ目に入った血で汚れたように見える薄汚れた灰色の外観ホテルへと入った。


ワンルームの続いた、寝るためだけに作られた少し不便な構造。話をするにはぴったりだが、なんとも空気の悪そうな場な気もする。困ったことに文句の言いたくなるような黒ずみの目立つ場所は彩あふれたカーペットが切り張りされており、無理にキャンセルとは言えない。何より見知らぬ言葉を翻訳の力で会話をしたために、自信がないのが本音だ。


 あいにく傘を持っていなかったせいか、体じゅうの雨粒を振り払うミカロはどこか不機嫌で今にも拳を向けてきそうだった。けれどさっきの出来事があまりに頭打ちで、完全にそれへの恐怖そのものがなかった。


 彼女はどさりと遠慮なくベッドに落ち座ると、僕の視線を見てか足を組みタオルを催促した。先にお風呂へと向かうのが毎回の習慣。おかげで僕は毎回そのクエストに対して反省する時間があったのだが、残念ながらそれは中止らしい。彼女が僕の話を優先した気遣いが心にぬくもりを与えた。


「ほら、話してみてよ。お茶が必要なら今から用意するから。味に自信はないけど」


「あ、お願いします」


 こういった相談ごとは実は苦手だったりする。早い話が結論も一言になり、理由も一言になってしまうからだ。好きか嫌いか。それだけを考えれば答えればいい。互いが合意の答えとなれば別だが、基本はそうなってしまう。


 後者の考えを持った僕にとっては長々と話をしているのが好きだ。


 戦闘で髪がほぐれたのか、それとも新たな戦いと考えているのか、彼女はポットのお湯を待ちつつポニーテールを結び直した。当たり前のように置かれているティーパックを手に取り入れたカップを持ってくると、今度はゆっくりと音を立てずに座った。


 意外にも飲み心地は悪くなかった。苦みに甘さの口味が僕らの空を舞う。


「味方も敵も倒す、ってことは私もその対象ってことだよね?」


「ええ。けど悪になりたいわけじゃない。僕の望むべき未来を成立させるには、必要なものがあります」


 これが僕の言葉の理由。新たな目標。いや、これこそが本当の目標だ。かつて目指した諸土の道。僕の掌で星が踊った。


「これは僕らの命と並ぶほど大切なもの。けれどこれが問題の根源なんです。これからの話を聞いてくれますか」


 彼女は考えるようにカップを手に取り茶を口に運ぶ。当然ともいえる。僕の言っていることは無謀で危険、おまけに犯罪者の行為ときている。戸惑いを得ないほうがおかしい。


 そう思った瞬間、彼女は自分の領域へと僕の腰に手を回して押し込んだ。風に波揺れるその銀髪からは良いラベンダーの香りがした。


「信じるよ。シオンが誰かの、みんなのために何かをしようとしているのはよくわかっているから。良い言葉があるよ。誰かを救うというのは、誰かを裏切るということである、ってね」


 鼻笑いを外に僕は彼女と同じように腰を手に回した。互いの息がわかるほどに近いその距離に脈はドラムのように細かいリズムを刻みだす。そのぬくもりは今まで以上に温かく、まるで羊の毛に包まれているように柔らかかった。


「その前に一つ聞きたいことがあるんだ」


「まだあるの? 今日はそれだけでお腹いっぱいなんだけどなぁ」


「重要なことだからね。さすがにそれは話をしないと」


 息を改め釣り眉を作って僕は雨のようにぽつりと、そして針のごとくに突きだした。


「君は誰だ」


 彼女は口に運ぶ予定だった茶を一気に飲み込み咳づいた。けれど僕の考えには変わらない事実があった。冗談でもなんでもないのだが、彼女は咳を止めると笑った。


「何か、もっと大事なことを言うかと思ったんだけどなぁー。私はミカロ・タミアだよ」


「もう少しハッキリ言うよ。本人と話がしたい」


「……」


 思った通りに予感は当たり、彼女は口ごもった。感触がいつもと違ったとか、戦闘でボロが出ていたとか、当然ながら僕を殴ろうとしなかったことでは決してない。たった一つ、おそらく彼女にもないであろうものが、僕の直感を事実に変えた。


 体はうれしくともただ一つ、頭だけは冷静だった。これは異質だ、と静かに情報を発信続けていた。


 話が進むことなく部屋の中に鳴り響くデバイスの着信音が図々しく口を開いた。彼女が仕込んだのか、困ったことに宛先は僕。仕方なく耳に装着しコールの緑ボタンを押す。


「シオンなら気づくと思ったよ。あえて言わなかったけど、ゴメンね」


 彼女の言葉が右耳だけに響いた。もう一人の彼女は暇を持て余しそうだ、と両手を広げると、毛布の中へと逃げ出した。彼女の応答確認の声だけが雨音とともに耳を突く。


「聞いてる?」


「こっちが見えているみたいだね」


「当然! そうじゃないと指示も何もないからね」


 耳に伝わっている声が彼女自身でないはずなのに、僕はなぜだか砂漠でやっとの思いで水を手に入れたような感覚に浸っていた。茶を一口進め、僕は会話を続けた。


「いつからですか?」


「残念だけど最初から。けど久しぶりにシオンが見られてうれしかったよ。バレることにはなっちゃったけど、一緒に戦えたし」


「まだ修行をしたい、ってわけじゃなさそうですね」


「ちょっとだけ面倒に巻き込まれちゃったの。うれしいことだけど、わざわざシオンが来なくても大丈夫だよ」


「どうかな。僕としてはミカロがニュースの一面を飾らないかどうか不安ですよ。背景に大爆発を描いたやつとか」


「フフッ、面白い冗談をありがと。今度はちゃんと会えるから心配しないで。その時さっきの話、詳しく聞かせてよ。セプタージュでよろしくね」


 腹に不意をつかれたように、口から茶が躍り出た。喉に飲み込みじまいの少量残った感覚が気に入らないが、疑問はなくしておきたい性格だ。彼女がさよならを言いかける前に返事を押し出した。


「ミカロ、セプタージュって何?」


「セレサリアさんに聞けばわかるよ。その前にエイビスなら教えてくれると思うけど。あと私の分身に何かしたらどうなるか、わかるよね?」


 ついでと言わんばかりの釘打ちに少し笑いつつ、僕は口を開いた。心だけは晴れ晴れとした心地よいものだった。


「もちろんですよ。その代わりミカロが戻ってきたら、散々文句を言わせてもらいますからね」


 通信を切ると、少しだけ心の灯が弱ったような気がした。追い打ちをするようにさらなる着信音が響く。今度は相手が既に登録してあることに困った。ヒラユギの文字。僕はため息の煙混じりにそれを受け入れた。


「炎帝の社まで来い」


 聞いたこともない上から目線の言葉でそれだけ放つと、彼女は断りもなく電話を切られてしまった。ぶつりと歯がゆい音だけが耳に残ったまま、僕は傘もなく一人寂しく雨夜を歩きだした。


 反論されるのは承知の上だった。けれど最初に戦うのが元仲間というのは予想していなかった。全ては炎帝の掌。歯がゆくも仕方がないと覚悟を決めていた。


「逃げ出すかと思うていたが、どうやらその意志は本物のようじゃな」


「……」


 紫の傘で雨粒を防ぎ、彼女は吐くようにそう言った。けれどあえて僕は手を差し出した。雨にぐっしょりと濡れ冷え切った手を。


「ヒラユギ、協力してはもらえないか?」


「ならぬ。恐らく言葉の意味とは違えど、信用に値しない。当然チームも脱退させてもらう。これは4人の半数による判断で決まったことだ」


 すでに4人の反対。考えずともまだ話せていない3人とヒラユギに違いない。エイビスが嫌でも僕を逆らえない、見えない鎖で繋がれていることを知っていることも考慮にはあるが。


「それならそうするのも君の道かもしれない。ただ警告だけはさせてほしい」


 彼女は背中を向けたまま、何も語らなかった。ただその背中は何かの正義を負っているようにも見えた。


「僕にも大切なものがある。それを攻撃しようと動けばどうなるか、説明はいらないですよね?」


「案ずるな。我はお前と縁を切るといったのだ。お前が会おうとしなければ、刀を交えることは永遠にないだろう」


 僕はその日、一番に汚い笑顔を覚えた。その中に黒く渾沌とした考えを浮かべ、口を開いた。


「そうなれば、いいですね」


 雲が風に穿たれたかのように彼女は消え、僕は考えなしに雨音響く地面に寝っ転がった。じわりと水たちが僕を取り囲み、服に侵入してゆく。なぜだか不快はなかった。それよりも自分の考えを貫いていることにうれしさがあったのだ。


 目を閉じると、その快感がより身体の中へと入りこんでゆく。まるで自分が水に溶けてゆくかのような感覚を受け入れていたそのとき、ぽつぽつと雨を塞ぐ音が耳障りに聞こえてきた。


「こんなところで寝ていては、風を引いてしまいますわよ?」


「裏切り者にはぴったりの格好だと思いますけどね」


「いいえ、シオンさまが裏切り者のはずありませんもの。そうであっては、わたくしが今ここにいるはずもありません」


 鼻からクスリと笑いが吹き抜けた。その瞬間、少しだけ心が軽くなったような気が立ち込める。


「確かにそうですね。これからは忙しくなりそうです」


 彼女の火照ったようにも思える手を掴み立ち上がると、後ろから銀髪の彼女が僕らの元へと近づいていた。


その顔が不安色になるまで、時間はかからなかった。けれど彼女はなぜだか安堵したように息をこぼした顔もした。そのとき彼女はまるで僕と同じような青年の声をあげた。


「ミカロが見ていなかったから、タイミングとしてはバッチリだね。彼女にはショックだろうけど直接言わないと冗談に思うたちだから」


「そうか、それはよかった。いやキミがそうしてくれたのだろう?」


「あはは、ばれちゃったか。その通り。ミカロの記憶には扉を出ていくキミが寂し気に見えたんだ。彼女は視覚までは対応していないから、今頃僕らはベッドで眠っていることになっているよ」


 話を続けるべきと思ったが、さすがに僕の不意打ちをくらったように顔を固まらせたエイビスの姿を無視するわけにもいかず事情を説明すると、彼女の目は雨よりも冷徹に、頭の中で彼女に哀愁の目を見せているように空を見ていた。


「シオンさま、どうして先に言ってくれませんでしたの? おかげでシオンさまを疑わざるを得なくなってしまいましたわ」


「エイビスも気づいているのかと思っていたんですよ。いつも一緒にいる仲ですし、何より女性同士ですから」


「2年も経っているのですわよ。表情はともかくとしても、本人かどうかの判断は一概には決められませんもの」


「ハハッ」


 風船が矢で穿たれたように僕の中から笑いがこみ上げてゆく。エイビスは初めて僕に声を強めた。


「笑いごとではありませんわ。事実として彼女はわたくしたちに疑いを持っているのですわよ」


「いや、問題もあるけど収穫が大きいよ。エイビス、自分の意見をようやく僕に差し出してくれたね」


 彼女は顔を火照らせ、みじんとも動きを見せなかった。そしてミカロの心が乗り移ったかのように傘を振り回して、しとりと濡れつつも口を開いた。


「からかわないでくださいまし! わたくしはその、シオンさまのお役に立てればと思って行動することに決めたのです。断じて冗談ではありませんわ」


 僕の鉄球はスーパーボールのごとくに空高く弾んだ。それは思わず空でさえも凌駕した。その澄んだ心は彼女が鞘で僕を殴るのではないかとさえ考え浮かばせた。晴れ晴れとした気分に迷いの手はするりと逃げ去った。


「ひとまずミカロを探しましょう。とはいえそれ以前にも問題は多少ありますけど」


「と言いますのは?」


「セプタージュ。その意味が僕にはわからなくて。何かの合図なのか、彼女が作った言葉なのか……」


 彼女のそれを聞いた表情はネズミがネコを捉えたそれだった。我に返ったような表情をとると、口を開いた。


「戦闘最前線機関、またの名をセプタージュ。そう聞いたことがありますわ」


 やれやれとため息をつきつつも、それを回避し得る手段がないことは目に見えていた。エイビスと共にうなずき、僕らはシェトランテさんたちの元へと報告に向かった。



Twitter「@misyero1」で更新情報を確認できます。

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