第94話「焔の守護」
白衣のローブを巻き、顔を除いてその姿は隠れていた。手に携えた籠には数個の果実。彼女は僕を興味の顔で見つめたまま動かなかった。ふと我に返った。
「エイビス!」
彼女からの返事はなかった。武装を解き先ほどまでの普段着をあらわにする。油断の策か焦る間もなく、僕の正面には建物を登りゆくパイプたちの姿しかなかった。
厭きていてもおかしくない状況。それでも彼女は僕を目に捉えたまま何も語らず動きもしなかった。パイプがひとしきり水滴を垂らすなか、僕は静かに鉾を消した。
姿を消した2人のことよりも、何も語らない2人に不安だけが頭を走る。何か冗談を口にしようにも、白い女性にとっては無意味なようもした。僕はエイビスの手を引き笑みが姿を見せる。
「ひっそりと2人でここにいることに何か問題がありますか?」
「……いえ、失礼しました。私はあなたの案内人。ご同行願えますか?」
「ええ」
うなずき足を前に進めようとした瞬間、エイビスは僕の服を握ったまま離そうとしなかった。目は地面に向き頬はほんのり赤く染まり、自分の世界を駆け巡っているようだった。
「大丈夫ですかエイビス?」
「え、ええ……」
心残りと言わんばかりの返事を落としものに、僕たちはその場を後にせざるを得なかった。歩きを進めるたびに夜が増していく。無限にも思える階段を登りつめると、彼女は息を落ち着ける様子もなく背を向けたままつぶさに語り始めた。
「本来であればあなたがたを呼ぶには至りませんでした。けれど今、西では長期における戦乱の最中。申し訳ありませんがあなたがたにここを託すほかないようです」
陽は群青のさよならを語り、円状の竹串に紙を貼りつけた縦長円筒の明かりが目覚めてゆく。それは道を示すように僕らのいた町までを照らし、そのコントラストに僕らは目を奪われていた。
「戦乱。西はだいぶ荒々しいんですね」
さっきの洗礼はあながち偶然ではないらしい。あれがここでの常識。見つけたのは僕自身でなく、金銭のことを言っていたのか。彼女は久しぶりにこちらを向き、首を傾げた。
「内容を削りすぎました。正確にいえば祭というのが正しいでしょうか」
「祭ですか?」
「ええ。ある意味では戦乱より狂気かと」
張り詰めていた意識がとほほと力抜け飛んでゆく。確かにそういえなくもありませんわね、とエイビスのフォローをしても、彼女が何かに気づいた素振りを見せることはなかった。
祭と考えると楽しいイメージを浮かべるものだが、彼女の表情は思いのほか眉に力が入っているほどに険しい。
それは確かに戦乱に向かう顔だった。彼女の背後にそびえる赤色の社に目が移る。
社が2つ。けれどそれ以上に不可思議なのは奥の社は茶色く、手前のものは塗りたてのように紅く濃く薄めることを知らないようにべっとりと塗られていた。そのせいか凹凸がさらに層の違いを深めている。
彼女は一礼の後、人が通るには無駄に大きい4メートルはあろう扉の鍵を解き、木のきしむ開場音と、案内をするように奥を手で指した。
彼女の導に従い進んだ瞬間、そこには写真の想像では比べ物にならないほどに大きい、顔を見るのに見上げるのが精いっぱいな外縁部に皺を寄せた怒り顔が姿を見せていた。そしてそれもこれまた岩のようにでかい。
門から直進に彼がいることに疑問が浮かんだまま、消えない。社の言葉に疑いが消えない。
「どうしてここにいらっしゃるのでしょう? 設計ミスでは?」
「古来よりここは宝物庫として作られました。ここにいらっしゃる炎帝様は守神であるのです」
耳はほっこり温もりを得ている感覚だ。先程までの言葉より、守神のことを語らっている方が好ましい。興味と尊敬が行動に現れ、彼女は彼の名盤を布水ですすぎ、乾拭きの後、一礼をもって扉を閉じると、僕らを見た。
「明日の昼には戻ります。あなたがたにはそれまでの時間をお願いします」
彼女はそれだけ言うと、再度門に礼をして姿を消した。
僕らはポケットを探り、黒い石に似たフォルムの端末を取り出し、それを羽のように二つに広げ、耳に装着した。ローディング……という電子音声と共に、5人の顔がディスプレイに現れた。銀髪の彼女が笑みとともに口を開く。
「やっとシオンたちもたどり着いたのね。なかなか来ないから、心配しちゃったよ」
頭に彼女の腰に両手の甲を当てる姿が浮かぶ中、僕のため息は誰かと重なり伝言として通信の道を回る。彼女だけが唯一、それを不思議に思ったのか戸惑いの言葉を漏らす。
「なんか私、変なこと言った?」
「さっきまで中華まん頬張っていた輩が、何を言うのかと思っての。卑怯は大の嫌いでな」
「ミカロのことですから、自分のないがしろにするのはいつものことですわ。3ヵ月を経ても全く変わりのないことも無理ないかと」
確かにそう言えなくもない。おそらくファイスたちも言葉に出さずともそう思ったに違いない。人知れず頷くと、彼女の超音波にも思える威嚇が飛んできた。その勢いは遠くから叫んでいるようにも思える激痛が耳を襲った。
「お腹空かない人なんていないでしょうが! みんなだって何か食べたんでしょ!」
そういう問題じゃない。と話を続けたいところだったが、ため息と共に切り返し、冷徹を飲み込み、僕は通話のボタンを押し込み話に押し入る。
「そろそろ時間です。その話はまた今度にしましょうか」
了解、とその一言だけが光の波を走る。エイビスは僕の考えを見たように、会釈だけすると、腰に刀を構え、群青色の空を見つめたまま、動かなかった。
宝物庫は全てで3つ。ナクルスとミカロ。ヒラユギとフォメアとファイス。そして僕とエイビスで各場所に付いている。けれどやはり気になったのはあの写真だ。あれが宝を守るために拳を振るった、まさにその瞬間だとするならシェトランテさんの掌で僕たちは遊んでいるのだろう。
けれどなぜだかそんな雰囲気もしない。ひやりと冷たい風達がそれを告げているような気がする。
「ずいぶんと世話を焼いたものだ。わざわざ人を寄越すとは」
一閃と一振りは互いに均衡の後、大風を伴った。その先にはこちらに狙いを定めたエイビスの姿があった。女性の声だったが、彼女のものとは違う。もう少し年を得た感覚だった。何よりさっきまで3人だということにすら気が付いていなかった。
「シオンさま!」
下がる瞬間、またしても思い当たるふしが視界を覆った。外縁部に皺を寄せ、まるで嫌悪な物体を見たかのごとくに目を飛びたたせ、拳を振るう巨人の姿を。舌打ちをするように歯を鳴らしこちらを見降ろし態勢を直立へと戻してゆく。
一振り一振りに迷いはない。けれど打つたびに強く跳ね返りを見せる彼の身体に考えが鈍る。正しいのか、それに答えを出すことなく、彼を挑発するように駆けあがり太ももから視界へと踊り出る。彼の拳はこちらを向いた。
「見参劉、桜!」
図体の割に器用に動くそれはまるで足に目があるように足元のエイビスの攻撃をかわした。さらに彼は左足を僕に構えていた。
衝撃は社正面を粉砕し、僕を魔法陣の餌にするように周囲に文様が描かれていく。痛みはない。といったものの少し痛い。さすがに遊びが過ぎた。
空へと飛び起きると同時に彼女が一閃を放つ。見事といえばよいのか、彼は左手を軸に逆立ちを披露する。お礼に顔面へと飛び立つ。
「餓狼式、水速沫!」
鉾から放たれた無数で微小な鉄玉は弾ける水のごとく、滝の勢いを持って彼の顔を穿った。いつもは煙まみれになるはずのこの攻撃も、今回ばかりは神聖な石のおかげか浴びずに済んだ。
「シオンさま」
こくりとうなずき確認した。足が消えている。鉄玉のせいで見るに見かねた空を見ると上半身の姿もない。分裂の線はない。
「これで終いか? まだ戦は始まったばかりぞ?」
烈火の焔は口を開き僕を押しやった。瞳に移ったのは紛れもなく女性。エイビスが刀を取るも、その攻撃は女性の意志のように1つも体との衝撃を見せない。彼女を操るように灯籠に登り、石の砕け散る音が間を舞う。
動かない。いや動けないというのが正しい。エイビスの剣技は隙間が命。それを埋めては連携も何もない。僕はひたすらにその場を眺めていた。ただひたすら一撃の隙を待ちわびる。一歩の距離へと彼女が誘うのを信じて。
「シオンさま!」
敵の身にまとった白い衣がふわりと空に揺れ、僕の鉾を映す。腰をかがめ勢いをため一直線に貫く。鉾にまとわりついたのは焔の赤だった。
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