第93話「こぼれる肉の蒸気と衝熱」
偉大さを示すように十、二十と重ねられた社の塔。赤神を主としているようにその色のレンガを並べ、カラワという鉄作りの町並。そこには写真の巨人が映画の撮影だったという誤報告だったとしか思えない、あるとすればセレサリアさんの奇跡と感じるほど、平和を見せていた。ピントレスに帰りたくない気持ちが高まっていく。
建物を増やしたあまり、日光による寒暖差をコントロールするため、彼らは中心の繁華街を夜の街と称し、電気製品を充実させた町、ニンバス。そのかいもあり、僕らは午前にもかかわらず、青やオレンジに光る木々のイルミネーションに魅了されていた。
自然と足は止まり、列車での朦朧としながら眠りと覚醒のループを繰り返していたことなどとうに昔の気さえしていた。
「何食べようかなー」
ふと出たのであろうミカロの一言で僕らは現実に引き戻され、そそくさと案内人のもとへと移動を開始した。そしてうれしいことに、その通り道には屋台の並ぶ繁華街があった。彼女が期待を膨らませるのも無理もない気がする。
彼女が言い出したことではあるが、ろくに休憩も食事をする時間もとれていない。少しわがままであるように思ったが、それを言うのは面倒すぎる。
何度となく巨像の写真を見ても考えることは一緒だ。カメラのレンズがもたらした一枚の絵に過ぎないと。それほどに町には変革はなく、人も争いを知らないような顔だった。羨ましさが体を流れ、それはじわりと手汗となって現れた。
「ひとまず散開だ。妙な動きがあったら連絡をくれ」
「オッケー」
「了解しました」
本来なら戦略を立てるのが筋だ。けれどフォメアに僕の考えが見透かされているのか、それとも誰しもそう思ったのか、僕らはくじ引きでグループを作った。僕とエイビスは赤色の棒を引いた。
「参りましょうシオンさま。わたくしも未経験ゆえ満足な行路とは言いかねますが」
「気を張らなくて大丈夫ですよ。僕もよく迷うたちですから」
気に入らないといったばかりにエイビスを睨むミカロを背に僕らは人の波を歩き出した。そして思い知った。人の多さとは脅威であると。
「人ってこんなにレールみたいにすぐ隣にいるもんでしたっけ? 僕がおかしいんですかね」
「確かに人通りは多かったですわね。毎日ここに住むのには苦労だけでは語れませんわ」
大通りの隙間。錆びたパイプから漏れ出た水滴が地面に飛び込む。彼女に背中をさすられると、するりと力が抜けてゆく。まるで軍隊のような気分だった。歩けど歩けど人、人、人。すでに空腹なんてものは頭を通り越していた。そして安堵と共に虫は空かせ時を告げる。
目が合うと彼女は笑顔を見せいつの間に手にしていた茶包みから何かを取り出す。ふわりと蒸気が舞い、僕にそれを差し出す。
「道中は混雑しますのでこちらでいかがでしょう?」
彼女の策略に僕は嵌った。けれどそれに後悔するより早く、彼女から包みを受け取るとそこには白いパンの姿があった。妙に感触が柔らかい。サクサクとしたい感触とは裏腹に手中に包まれるような温かさが一口にもたらした。
偶然にも個別の拠り所として著名なのか、そこにはひっそりと空席のベンチがあった。勢いよく座りもう一度それを口におさめる。肉汁が口を潤していく。エイビスは小さな口で何度か噛分け、その間僕を母親のような慈愛に満ちた笑みで見ていた。
「悪くない味ですね。最初は少し不安でしたけど」
「私たちの東にとってはなかなかに珍しいですわね。気候もありますが。今度おつくりいたしましょうか?」
「いやそこまでしなくても大丈夫ですよ。それより大切なことがありますから」
「そうですわね。久しぶりのクエストですから、厳しく参りませんと」
エイビスは最初に会ったときとは比べ物にならないし頭も上がらない。過ぎた年月で実力を知れていないこともそうだが、なにより考えを見透かしたような気配りの数々。そしてイライラが薄れていく彼女の満足気な笑顔。やれやれのため息よりも彼女に包まれている感覚の方が心地よいと考えるのは、彼女が言葉の悪魔だからだろう。
どうしてそこまで僕を支援するのか。確かに命の危機はあったかもしれない。けれどそれは偶然。そうでなくとも彼女は生きる運命にあったに違いない。今の彼女を見れば誰もがそう思うことだろう。
けれど彼女の巧みな言葉の一つ一つが僕の考えを奪い、否定をもたらす。忠誠という光の中にすっぽりと包みこまれてしまう。それが2年の中で最大の彼女への後悔だった。
「満たすには至りませんでしたか? 心配ありません。まだご用意していますので」
紙袋が落ちる間。僕は卑怯者だった。彼女の体を引き寄せ顔を合わせる。リズムが刻まれる感覚とともにふと我に帰る。距離を空けると彼女の手は寂しそうに自分の元へと寄せた。
「すみません。ちょっと落ち着かなくて」
「シオンさまが謝ることなどありませんわ。わたくしもそういったことには慣れていますので」
エイビスの右手の拳に力がこもる。寂しさよりも僕の気持ちを汲んでくれた。そのままでいるのが正しいのか、それとも彼女に近づくべきか。不明瞭な時間だけが過ぎる。それは夢から飛び起きたようにふわりとどこの空へと散った。
「見つけたぞ」
剣と鉾の叫びが町の中に怪しく響く。ローブにしては風に舞いを見せない黒い服装で手だけを見せ剣を持った中肉中背の男。そしてその後ろで耳に光る端末を付け黒い服装に身を隠す人物。運が良いことに大通りの集団はこちらに興味のない様子だった。
エイビスは剣を構えると、男は口を見せて開いた。
「抵抗はいらん。黙ってついて来い」
「残念ながら依頼主ではないようですわね。シオンさまは下がってくださいまし」
「どうやら下がらせてはくれないみたいだ」
エイビスの言葉からヒントをもらったのか、後ろの人物は素早く僕らの後ろに移動し、挟み込んだ。けれど背中合わせのこの状況に僕は少し楽しみを得ていた。ちょうどいい運動の気分だ。
「シオンさま」
「参りましょう」
「町に無茶は勘弁ですよ」
「もちろんですわ」
エイビスの一閃を火蓋に彼らも真眼をあらわにした。人の傷を、死を見たことのある狂気な目だった。
鉄の亀裂と魔法陣が火走る音。まるで何も考えていないかのごとく拳の連打攻撃が暗闇を照らす。1発1発を丁寧に弾く先、横蹴りの登場に空へと飛び上がり、エイビスと横で対面を果たした。うなずきを見せると彼女もそれを返しスイッチに動く。
今にも切れかかる電線のように音を絶え間なく立てる火花を背に、僕の鉾は長剣に阻まれ彼の身体前で止まった。
「こちらに向かってくるとは思いもしなかった。この好機はありがたくいただく」
「それはこっちの台詞だっ!」
以前から思うところがあった。僕の攻撃は重いものであると。相手の攻撃スピードより遅いわけではない。単に攻撃方法の違いだけがもたらす亀裂と差。両手と片足の相手にとっては防御必至になってくる。だからこそ相手を長剣の彼に変えた。甘さが残ると彼に言われそうだが、勝ちとそうでないかは全く異なる結果を生む。
長剣の一閃による攻撃を下に転げて受け流し相手の胸中へと飛び込む。すぐさま振り向き見えるはローブに隠れた無防備の背。右カットの攻撃が力のままに突き進む。男が空を舞うと同時にエイビスはこちらへと下がった。
「残念ながら手ごたえはなかったようですわね」
「けれど戦法がわかったのは大きいところです」
彼らの動きはまるで巡回行動のようにも思えた。フォメアに限らずたいていのチームは前衛と後衛のタッグを作り上げる。それはバランスという意味でもあり、撤退を防ぐものでもあるのだが、それを理解していてか僕を後ろに誘いこんだような。無駄な思考だと思いたい。
目が合うと同時、距離は狭まり鉄の響きが鉾を伝って僕へとやってくる。力を入れた瞬間、声が晴天の雨音みたいに現れ出た。
「そこで何をしているのですか」
衝撃の感触は煙のようにふわりと消えた。
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