第92話「お金瞳のすまし顔」
キリキリと歯車が舞い、白くシックで高級感の漂うティーカップにロボットが温かい紅茶を注いでいく。その絵は奇妙でもあり、悪くない新世界の感覚でもあった。
ところどころにスパナなどの調整器具が置かれており、日常の研究に明け暮れているであろう頼もしく、顔の乱れに不安を感じさせる背中が想起される。その姿を見ていない自分が言うのもなんだが、思わずその姿にほくそ笑む自分がいる。なかなかに興味深い煙たい匂いが頭を誘惑する。
それと裏腹に彼女は不機嫌の表情で新たな紅茶を口にする。オレンジの柑橘、酸の匂いが広がってゆく。
「まぁ座りなさいよ。椅子は邪魔だから全部捨てたけど」
優雅に紅茶の波揺れるさまを見て彼女はそう言った。静寂に耐えきれないと言わんばかりにまたも彼女が言葉を発する。
「冗談よ、前は会議室だった場所だから椅子は有り余っているわ。好きなところに座りなさい」
彼女はテーブルの下、おそらく自分で仕掛けたのであろうスイッチを押した。それは不思議に四角く囲まれた空間から暗闇の顔を出し、僕らは目を疑った。擦ったときには椅子だけが寂しそうにいた。
彼女の行動に反応する暇もなくひとまず席につく。本当なら危なさの一つでも教えたいところだが、そのまま椅子ごと落とされそうな気がして言うに得ない。
その心を抑えられたのはエイビスのてきぱきとした茶和への態勢だった。迷うことなくおそらく唯一女性らしい、埃で多少灰色の混ざった白いタンスから茶を引出し1つ1つ綺麗に注いでいく。埃すら踊ることを忘れる静かで優雅、美麗な彼女の歩みに僕たちは目を奪われていた。
そういえば前によく話していたと言っていたか。そういう意味では彼女に話を任せたくもあり、僕はエイビスが口を開くのを待った。案の定それは来なかった。
「ところでどうして私達を呼んだの?」
「歓迎会、と言いたいけど違うわ。ちょっとした精算ね。あんたたち黙ってリゾートから出たっていうじゃない。抗議というには大げさにしても苦情が来たわ。まぁお金をもらったらにんまり笑顔だったけどね」
やはりと予感が道をゆく。今更ながら、といっても修行の1日目に気が付いていた。チケットの裏にはこれでもかとびっしり予定が詰まっていた。とはいえどれひとつとして修行以上の満足感のないアミューズメントや美容などのサービス。
きっと豪華クルーズの船長は僕らの昼食をのんびりと味わえたことだろう。それだけでも感謝してほしい、と言いたいものの、彼女の顔は敵のそれだった。
「何をしていたかはだいたい想像つくけど、断りもなしってのはねぇ」
「すみません。今度からは気をつけます」
「怒っているように見えた? 本当は少しうれしいと思っているわ。アイツが何を考えたか知らないけど、あのリゾートは充実も何もないわ。ただの自堕落。頭のニンジンを追いかける馬ね」
シェトランテさんの闇が見えたような気がするものの、そこには触れず紅茶を口にする。口にほんのり甘さが残る感覚。悪くない。地面に砂のようなものがあることを除けば。
「まぁそれはどうでもいいわ。それより早速頼みたいものがあるのよ」
羊皮紙に黒インクで描かれた懐かしの手配書。こんなものを書く暇があるのなら、今すぐそこに向かうべきだろうと正星議院の全員に説教の1つでもしたいところだ。けれど“管理”の一言に限っては攻めるわけにはいられない。
写真にはギョロリと巨大な目をこちらに向け、写主の安否が気になるほど力の込められた左拳が構えられていた。けれどそれ以上に不思議だったのは、区域が西ということにあった。
「西区はここの担当とは違うんじゃないですか?」
正星議院を中心としたラグルーシアの地域では、主として北南を担当することが多い。それはその近辺での流通が活発であることもそうだが、人の集まる中心地だからこそ、寒暖差に慣れた人物が多いだろうという考えからだ。とはいえ僕らはエイビスが寒さに弱いことを考慮すると、西がちょうど良いのも事実。正直言えば悪くない案件だった。
「人員不足、ということらしいわ。とはいえそれはこっちも同じ。けどちょうどあのトラブル必至のチームが帰って来るっていうじゃない。ちょうど資金も底を尽きて、否が応でもクエストをしなきゃならない、でしょ?」
図星を見抜かれるのを空に、僕は彼女から目を逸らした。けれど金色に輝く目色をして、内にある興奮、いや欲望を抑えられないように瞬きを繰り返すミカロの様子にシェトランテさんはにやりと不敵な悪魔色の笑顔を見せた。
「見せて! ふんふん……」
エイビスのため息を背景に、ミカロは宙に数字を描き計算し始め、納得したように指を空へと向け僕らの元へと戻ってきた。それは骨を得た犬のようにも見えたが、僕とエイビスは互いに苦笑いを見せごまかした。
「みっともないですわミカロ。わたくしたちがお金に困っている可能性があるのは確かですが」
「ち、違うわよ! ここに写っているのが気になったのよ」
彼女の言葉に僕たちは羊皮紙に顔を近づけ、エイビスのふわりと柔らかな髪とバラの香りを背景にミカロの指さした位置に着目した。
写真には右手に剣を持ち、どこかへと飛び移る直前を捉えていた。けれど一番に不自然だったのは右手の剣が外を向いていることだった。そしてそれを見抜いてほしいと言わんばかりに写真には捉えられていない左手。印象は完全にあの人だった。
忘れもしない。全身全霊、まるでぼろ雑巾のようになるまでに争い勝利した戦い。けれど民衆たちは首謀者が捕まらなかったことに際して、それを僕たちの陰謀だと考え、抗議をもちかけた。けれど偶然にもその日、僕らはバカンスを過ごしていたためにそれが成立することはなかった。
先の不安と似た姿で、赤髪をツインテールに結び、整った顔とは裏腹に毒づいた言葉を余すことなくふりかざす双剣士の女性、名前はリラーシア・ペントナーゼ。
彼女と修行していたあの日が今も頭の中にふと浮かんでしまう。
ミカロは自分の力を誇示するように両手の甲を腰に当て、にんまりとした顔を見せる。
「わたくしの勘違いでしたか。ごめんあそばせミカロ」
エイビスは彼女に頭を下げ、謝罪のしぐさを見せる。けれどそこに心のこもっている感覚はなかった。友達なのだからお互い様、と暗に言っている気がする。
ミカロが見せたのは鼻歌まじりのすまし顔だった。
「いつまでも同じ私じゃないからねー。シオン、ファイスたちを呼んできてよ」
「今から行くんですか?」
「モチロン! 思い立ったが吉日って誰かが言ってたし」
温床に検討のつかない自信を盾に、僕へと命令という拳を振りかざし、静まりを迎える夜のピントレスに向かって彼女は無茶千万を振りかざす。ため息とともにこぼれる笑い。僕はやれやれと面倒に思いつつ、それを了解した。なによりその足は軽やかだった。
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