第90話「約束を守れる」
親愛なるシオンさまへ
お身体はお変わりありませんか? ミカロも心配していましたが、シオンさまは万事全力の精神をお餅ですので、ほんの少しだけ不安なのです。シオン様が私に心配されていることを情けなく思われたのなら、お詫びいたします。けれど私はできることならシオンさまのお側にいたかったのです。ですので、このわがままなわたくしをお許しくださいまし。毛かは異なりますが、1ヵ月後、新たなシオンさまにお会いするのが楽しみです。それではまたお会いいたしましょう。
エイビス
「なんじゃまた恋文か。修行中の身がなっとらん! あいつらは何を許しておるまったく……」
雲一つない青空を夜がキャンパスを深く黒を彩り、イルミネーションを散りばめたように星々がキラキラと輝き自らを壮麗なものに染めてゆく。パキパキと木々が火をほとばしらせ、僕はその景色に見惚れ飽き、1カ月前デバイスに届いていたエイビスの手紙を眠りどきに呼んでいた。
明日ようやく会える。2年の時を経て全ては明日に回帰する。
日が昇るやいなや、僕の身体は覚醒を迎えた。周囲には異常海流によって時おり渦潮が発生し、本来なら住むもの、訪れようとする者はいない。
けれど自分たちだけの時間を過ごしたい場所としては有名を飾った。だがその場所は渦潮の劣悪であり絶望の環境であるにもかかわらず、それを乗り越えた象たちの島になりつつもあった。
小さな滝で作られた池の水を掬い、パシャパシャと顔を清め洗う。身体全体がヒヤリと冷たい感触になり、僕を覆う影と目を合わせた。ジロリと睨みをきかせ3メートルは優に超える象が姿を見せた。はやくようにしなやかに鼻を地面にたたきける。
「ブロロロォ!」
鞭に似た開戦の音が島になり響く。怒りの轟雷を背に僕は木々の密集した小動物たちの世界へと駆け出した。雑草は生い茂り、踏むたびわさわさと音を放つ。感慨にふける間もなく、像は細枝を折るかのように両腕で収まりきらないほどの直径の木々をなぎ倒し、何ものにも構うことなく僕を追いかけてくる。
木々の茂みを抜け、草並みが整えられ、神聖に彩づいた天を覆うほど大きな頭を備え、きらりきらりと太陽が彼女を求めるように、光の差し伸べが一点に集まった大木にたどり着いた。右腕を背中に回し武器を掴む。けれど、誰の目にもそれは空を掴んだ仕草にしか見えなかった。
イノシシのごとく突き進む灰色肌の大きな巨躯の敵は、危機に勘づき自らの足をブレーキに、その歩みを大木からあふれ出、根から芽生えた草の地手前で止まった。
ここ一帯は100年前まではこの島も嵐の一部だった。済む人はおろか、動物も安心もそして他害もない島だった。けれど天の使いが落としたという輝く種が地に舞い降り、芽生えると雷は輝きを奪われたように姿を消し、風は争いを忘れた。その木は地中の命に根を巡らせ、地はそれに応え草を宿し、その草を求め虫が、動物が、そして人がこの木へと姿を現したという。
生命の偉大さを感じ取ってか、それとも僕らの想像にすぎないのか、この木々の周りで争うものはいない。危機を顧みない者でも剣を手にしようとした途端、死が脳裏に宿ったという噂があるほどに、暗黙の了解が僕らを呪縛で繋いでいる。
その名を神聖樹・バルシアダムスと呼んだ。
大象は後脚を足踏みさせ、体勢を整えると、羨望のキラキラとした眼差しで神聖樹を見つめた。さくさくと一歩ずつ足を進ませ、まるで母親に抱かれるように僕ほどの大きさの根に体を預け、こくりこくりと目を閉じた。
僕はその場から消滅したように、神秘で平和で静観な景色から離れた。
渦潮によって勢いを増した風が草木をかきわけ、僕の身体を撫でる。ふと草を噛分ける四かと目が合う。ふさりと葉の付いた枝が揺れ、シュタタと彼は黒緑に姿を隠した。僕の目にはこの島には希少な、ぱっぱと髪をふりかけたような白髪の老人が映ったまま離れなかった。
ほんの少しだけ不安に思う。自分もいつかこうなるのだろうかと。さっきの風達が頭部を丸裸にしてゆく。嫌と思えば思うほどに視界へと入って来る。けれど彼は僕の目線を気にする様子はない。前に視界を支配できている分、有利でいられるのだと自慢していた。その知識には苦笑いだったが、彼なりにそう留めていたのかもしれない。
よっこらしょと一言に彼は僕の隣で地に着いた。
「相変わらず生物には甘いな。自分の実力を本当に確認せず先へ進むつもりか?」
「生物はサンドバッグじゃないんですよ。無理に追いかけるのは好きじゃないんです」
「それが自分の死に関わるとしても、か?」
血流はゆっくりと細くなり遅みを見せて、目は狙いを定めたように縮まりを見せる。彼が現実の残酷さを知らせたいのを聞き、僕は小笑いした。
「いきますよ。僕にはまだすべきことがありますから」
直立し神樹を背に海を眺める。渦潮のはるか先、以前とは比べ物にならないほど実力になっている、みんな。それを考えただけで血は滾り、鼓動は太鼓のように激しく脈打つ。ふんと老人はほくそ笑み、杖を右手に取ると僕に突き付けた。僕は背中にふと現れた麻袋を背に彼の杖頭を掴んだ。
「それではまた会うとしよう。シオン・ユズキ」
「こちらこそ、ロー」
「その名を言うでない」
やれやれのため息と同時。老人の詠唱に呼応し、彼らは姿を消した。急に現れた風の渦に鳥たちは波のように飛び立った。
☆☆☆
2年の時が経ち僕は成長したハズだ。正直を言えば実感はない。確かに島の動物たちとは何度も戦った。けれどそれがクエスターとして、対人戦での実力としてつながっているとは言い難い。
そして何度も脳裏で自分だけは成長できていない。それを理解せざるを得ない状況、自分だけが倒れ、歯を食いしばってみんなが戦う姿を何度も夢に見た。その悪夢の度に起き、夜中鉾を振るっていたことを思い出す。
右ポケットが震えている。こうして入れていたのも2年前か。ポリゴン型の二対の突石で作られた黒光りのボディを持ち、耳穴におさまるよう自動で形を芯に外に寄せる中心部。
本来の形なら音声が世界への彩を見せるはずだが、青く光るライトが出現していない状態においては耳には何も響かなかった。けれど受信メールの宛先、ミカロの文字に僕は約束を想起した。
空を揺れ踊る鳥たちは異変を捉えたように一斉に飛び立ち、ピントレスまでの一本道には僕一人だけとなった。通信端末はすぐさまピコン、と通知を発したかと思えば、通話の連絡を知らせた。よっぽどのことでもあるのか、それも彼女だった。通話の確認をするまでもなく、声が聞こえる。
「こっちこっち、左」
耳に聞こえた方角を向くと、そこにはまるで飛行機のように雲をかき分け姿を現した髪をポニーテールに結び扇とともに風に踊るいつもの彼女の姿があった。ふわりと柔らかに銀髪が揺れるなか、僕の目線はひらひらと何かの舞う足元に移る。
丁寧に一つ一つ織り込まれた外縁部。可愛さと代償に変態を呼び寄せるアイテム。そして何より戦闘には不向き過ぎる無防備な素材。短い風潮が気になるミニスカート。彼女の成長が裏目に出たのか。不安がよぎる。
扇で風を防ぎ僕の元へ現れても、彼女の自信総意の顔は変わらなかった。本人に言うべきか迷うほど、それは風にさらわれ宙を吹いていた。見ている者がいないだけまだここは平和だ。
「シオン、元気だった?」
体は自然と彼女をよけた。今見た光景を言えばきっと殺される。言葉よりも目に現れたいた。ミカロは首を傾げる。行っても構わないといった表情だった。言っても感謝が帰ってこないという事実が一番に怖い。
彼女から溢れてくる花の香りに僕はため息をつく。心はトランポリンにやってきたように弾みを見せる。
「ひょっとして緊張してる?」
「してないですよ!」
「ホントに?」
「本当ですよ!」
彼女は得意げに顎をしゃくり上げ唇を揃えて笑みを見せ、背を向ける。故郷の思い出を振り返ったようにも思えるダイヤモンドの目が映る。それだけを見たはずなのに彼女は不満げに眉間に皺をよせ、僕を見た。
「ジロジロ見過ぎ! ヘンタイ!」
「なんでそうなるんですか」
「冗談、ゴメンね。そうだメールにも書いたけどさ」
「覚えていますよ、約束。僕が守らないように思いますか?」
さっきのメールは本当に一言だけだった。まるで乱入のごとく、流星のように現れたその言葉は頭の中を今も反芻している。答えはもう出ているのに。
約束を覚えているのか。記憶が戻った今でも彼女は僕の保護者をしていたいのか、異様に女性交友に対して警戒を張っている。まぁ今回の場合は男女どころか、人に会えるかどうか微妙だったのだが。
それだけの言葉だった。それ以上に彼女との会話はこれを入れても2年ぶりだ。けれどこの懐かしい感覚がするのは時が経ったからだけにするのは、異様に違和感を持っている。
「見えるよ。あのとき来ないでほしい、って言ったのにわざわざ来ちゃうんだから」
「それはミカロのやせ我慢でしょう? 僕は嘘ついていませんからね」
ミカロはぷくりと納得のいかない膨れた頬袋を見せ、僕から目を逸らす。彼女を打ち負かしたと思うと少し誇らしくもあり、残念でもある。
「確かにそのおかげもあって私は今もここにいられるわけだもんね。ありがと」
こちらに見せた彼女の笑みは胸にぐさりと来た。けれどそこに血の域はない。不吉な摩擦と熱が頭へと走る。身体は一本の骨でつながった機械のように動きを見せない。思わず空を向き礼に答えても、彼女の笑顔は変わらぬままだった。
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