第88話「二択」
敵に接近し、幅を詰める。幸運にも敵はエレベーター側を背にした。このまま攻撃できれば、彼女たちに被害が及ぶこともない。けれど、彼はまるで僕の考えを見抜いているかのように、寸分の狂いもなく攻撃を避け切った。下段からのはらい、上段からの振り落とし、柄の牽制からの刃の対称攻撃。
僕を昔から研究していたかのように、全ての動きを見切られた。気づけば思わずにやりと笑みを浮かべ、再度彼に近づいた。
「若いってのはいいな。判断は成長する。が、その分新たな隙にも気づけないものだ」
彼は僕を見ていなかった。彼の目に映った火の玉は、彼の右手の動きを真似、後ろで倒れていたエイビスに近づいていった。足を翻し、飛び上がると同時に、俺は彼女の体を覆った。
「如月刹那!」
火の玉は散りとなって姿を消した。荒れる息と共に、現れた二人の姿を確認する。そこには戦うには不十分な服ではあったが、心強い味方がいた
「あまりに戻ってこないので、心配で来てみたが、やはりどこも変わらんの。それがクエスターの宿命、というものか」
「大丈夫シオン?」
「二人とも下がってください! この人は複数人だと不利になります」
その言葉を聞くと、二人はこくりと理解の頷きを見せ、僕に彼との対面を許した。彼はにっと不気味な笑みを見せ、三人となって姿を現した。一人に警戒の攻撃がヒットし、空の色となって消えた。
火の玉を打ち出すとともに、上空に飛び上がり、鉾で天井にぶら下がり距離を広げる。敵が近づくのと同時に鉾を構えた状態で天井から飛び下りる。彼は岩の壁を作り、鉾の自由が奪われると共に、衝撃の風が髪をなびいた。横に見えたもう一人の彼。
彼が炎を放った瞬間、鉾はかちぃんと響きの鈍い音を立てながら、それを消滅させた。下の刃が欠けた。炎の煙と共に彼の腕が僕の首を掴んだ。老人でありながら、彼は僕をたたきつけた。抵抗しても出てくるのはかすれた声。分身はヒラユギたちの方へと向かい、彼は僕の右手を押さえ、抵抗を力で押さえた。
タイルの砕ける音が響き、抗おうとしても老人はさらに強い力で反撃してきた。同時に僕の腕は限界を迎えていた。
「ぬぐああああああああっ!」
ばきばき、という音ともに、老人は枝を圧し折るように僕の手首を力任せに折った。腕の手の甲は慰め合うように身を寄せていた。体中が燃えるように熱い。無理強いした力だけが僕を巡った。
「これが、力の差というものじゃ。これで貴様も、負けじゃな」
その言葉の数秒。老人は刀を素手で防いだ。彼の血がシオンの顔へと垂れ流れ、彼は剣の持ち主に目を向けた。
「天災を望むのか、イツキ?」
「……」
「シオンから手を離して」
「やめろミカロ!」
「私だってシオンを守りたいの!」
彼は風を生み出し、イツキごと、ミカロを貫いた。僕の目には涙よりも願いが流れていた。彼女は僕から目を逸らすことなく、自分にできた穴を手で押さえ、倒れず留まった。彼は僕に杖を突き付けた。
「選べ少年。貴様だけが死ぬのと、貴様だけが生きる、どちらを選ぶか?」
ミカロは僕に手を向けた。拒否のメッセージだった。けれど僕には全身に風が流れているようなすがすがしい気持ちだった。にこりと彼女に笑みを浮かべ、口を開く。
「僕だけが死を」
「シオンっ!」
彼女の威嚇に似た言葉は僕を威圧した。全身が押さえつけられているような、心臓ですらその域にある。そんな気がした。彼も危惧したのか、彼女から目を逸らそうとはしなかった。
彼女は敵の心配などすることなく、彼をどけ、頬を思いっきり力強く引っぱたいた。右腕のことなどおかまいなしに、左に吹き飛んだ僕をタイルにたたきつける。
「自分が何を言おうとしたのかわかってる? そんな簡単なことじゃないんだよ......そんな余裕そうに言わないでよ。バカッ......」
彼女は涙を流し、服の袖を力強く握ってきた。左手を彼女の背中に回すと、涙と嗚咽はより一層気持ちを現すように大音量となった。震えた手で僕の首に手を回し、彼女は涙を隠すことなく、僕を見つめていた。
「ごめん、頼りなくて」
「そんなことない! シオンは......シオンは......」
彼は立ち上がり、エレベーターの前で僕たちに背中を見せた。僕の目線に気が付くと、翻し、また杖をこちらに向けた。
「もし今の自分たちの実力がわかったのならば、夜にここに来なさい。身を砕くのは嫌いでな」
その時の彼は会ったときとは違った。優しみのある、非礼を詫びるときのような静かで和やかな声だった。彼の時計のアラームが鳴ると同時に、エレベーターは彼との別れを告げ、扉を閉めた。
扉が閉まった瞬間、まるで眠って居たようにファイスやフォメア、ナクルスが目を覚ました。一番驚きだったのは、彼らが無傷でいたことだった。
「シオン、大丈夫か!」
ミカロが涙を流している間、ずっと切ろうと考えていた。確かに今の技術だったらそうしなくてもいけるかもしれない。けれど彼の申し入れ、意図を受け入れるには、それしかなかった。懐かしむように細い目で右手を見ると、思い出が蘇るようだった。
「おそらくその心配はないようじゃの。分身が面白いものを持っておった」
人差し指と中指にメモを挟み、一歩。また一歩と近づき、ヒラユギはシオンにそれを手渡した。メモには1Hとだけ記され、シオンには疑問を探るよりも痛みをこらえるので精いっぱいだった。
「これは?」
「おそらくじゃろうがこれは......」
「1hour。1時間で治癒するということでしょうか」
突然無傷で目の前に現れたエイビスにシオンは飛び上がるほどにびっくりさせられた。けれど動かない右腕のせいでそれは叶わず、抵抗むなしくタイルに右腕がたたきつけられた。稲妻に似た衝撃と、初めての柔らかい手の感触に、背筋が凍る。
「お、驚かせないでくださいよ、エイビス」
「申し訳ありませんシオンさま。今治療をしますので、少しだけお待ちくださいまし!」
エイビスはそう言うなり、周りのみんなを気にすることなく、階段で地上階へと駆け出していった。そのときばかりはシオンは痛みよりも衝撃が神経を覆っていた。
「にしてもなんだったんだ、アイツは」
「敵ではないようじゃ。とはいえ侮れん」
老人はあの歳で実力は浅いものの、僕たち7人を相手にしていた。それも僕らを圧倒する強さだった。もしも万が一彼がクエストの敵として現れたら、正星議院もただでは済まない。
それ以上に僕らは自信過剰になっていたことに気づかされた。正星議院を守り、個人でクエストを受け持つ。これ以上のクエスターとしての名誉はなかった。が、それは幻想に過ぎなかったのだ。左手で紙を握りしめ、右手を押さえて立ち上がる。
「俺は当然行く。このまま一発も殴れずじまいじゃ、納得がいかねぇからな」
「行くのは同感だ。だが、敵でない以上殴るのは禁止だ、ファイス」
「しょうがねぇな」
やれやれ、といった表情でファイスたちはその場を後にした。彼らは何も言わなかったが、シオンは嬉しかった。彼らだったらきっと右手に影響を及ぼしてしまうだろうと考え、どうすればそうならずに済むかを案じていたが、その必要がなくなった。何カ月も一緒にチームを組んでいるだけはある、と少し関心を得ていた。
幸いにもここは予約制の日焼けルーム。本来であれば熱さはあるものの、10人分のタオルが敷かれていただけで、ドーム自体は開いていなかったので、ミカロの出血を押さえるのには十分だった。ヒラユギはそれらを手に取り、彼女の腹に巻き、ふぅと一息ついた。
ミカロは赤みがかった茶色のタオルから手を離し、赤い手で僕の左手を掴んだ。その目は血に動揺しながらも、真剣なものだった。そして何より、潤んだ瞳に僕は目を逸らせなかった。
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