第85話「彼女の姿は奇跡のように」
「ぶふっ!」
セインの思いがけない一言に、俺は絶句した。口から液体が飛び散り、まるで茶色の血をはきだしているかのようだった。その姿を見た瞬間、彼女は俺を拒絶するどころか、むしろクスクスと笑った。ここまで用意周到済みだったかと思うと、なんだか白い生物が恨めしく思えてきた。
それより気になったのはセインの切り替えの早さだった。自分のことが好きな人を無視しておきながら、無理やりにでも別の人を選ばせようとしている。彼女にとってはそれが謝罪なのだろうが、なぜだか振られたときよりも今の方が胸にグッと痛むものがあった。
「私からするに、エイビスちゃんはなんでもできそうな感じだよね。シオン君はケガとか考えないで動いちゃうから、いっつもボロボロで帰ってきて、それを彼女がケアしたりしてくれる。悪くない気がする!
ミカロちゃんは明るい家庭を築こうとしてくれるよ。ちょっと意地っ張りなところはあるけど、いつでも明るい言葉をかけてくれて、自信がないことでも自信があるみたいに言えるところが彼女のいいところだよね~、それに......」
俺はセインの情報収集の多さに驚かずにはいられなかった。彼女が二人に会ったのは今日で二日目。にもかかわらず、情報は本人たちの確信を突いている。まとめきれてはいないものの、その情報は俺のものを越えていた。そのことを少しだけ羨ましく思ったが、何より彼女は絶対に欠点を口にはしなかった。
彼女のそんなところが本当に好きだった。そう感じた瞬間、胸に棘が刺さっていたことを思い出した。
「焦る必要はないと思うよ。でも、待ってばかりじゃダメだよ? 気が付いたときには、二人とも相手が決まっている、なんてことにならないようにね」
「ああ、そうだな」
彼女は自分を抑えてくれた。というよりはむしろ焦りを見せた。セインの言うように、俺には時間がない。20を迎えるまでにあと4カ月程度しかない。それまでに二人のどちらか、あるいは他の誰かと納得がいかなければ、決めるのは政府。その厄介になるわけにはいかない。
考えにふけっていると、白い生物が青い点滅を見せた。彼女はポケットに手を突っ込み、その手には時計サイズのふくらみにはあり得ない長方形の電子端末があった。まるでバッグ感覚だな。と思ったが、白い生物はまんざらでもない笑顔な様子で僕を見つめ返してきた。
セインはメールの内容に目を通すとバネで弾かれたように飛び上がり、全身で伸びを行った。それにつられ、俺も彼女の真似をした。それを終えると、彼女は右手を差し出した。
「それじゃあもう行かなきゃ。私もまだやらなきゃいけないこと、まだ残っているから」
「そうか。結婚式には呼んでくれよ。きっとミカロもエイビスも喜ぶ」
「うーん、どうかな。今は立て込んでいるから当分は無理そうかも。でも、日取りが決まったら連絡するよ。シオン君には特別に私とツーショットで撮らせてあげる」
えっへん、といわんばかりに腰に両手を当て、偉そうに空を取るセインに、それは楽しみだな、と俺は返した。彼女は現状に満足しているような笑顔を俺に見せ、膝のポーチから光を弾く紐を取り出した。よく見ると、それは銀の輪がいくつもつながった、ネックレスだった。そして中心には狼の顔があった。
「これあげる」
「これは?」
「私がシオン君と会えるのに時間がかかっちゃう少し前、シオン君の誕生日のために、お父さんに用意してもらったの。いつもケガばっかりしていたから、モンスターに襲われないようお守りに、って」
俺は疑問が目を覚ましたことに気づいた。が、いま彼女を問いただすと、胸の中の針が僕を突き破ってしまうような気がして言えなかった。
セインはネックレスと俺に差し出し、それを首に巻く。形もぴったりなことに驚かずにはいられなかった。
「ありがとうセイン。大切にするよ」
「うん、壊したら禁固刑だから、注意してね!」
「え、勘弁しろよ」
「冗談、それじゃまたね!」
その言葉に小笑いしつつも、僕は光を足場に行進する彼女に手を振った。彼女が見えなくなった瞬間、名残惜しむ余裕すらなくシオンの体は光に包まれ消えた。
目を開けると、そこにはいつもの僕たちの部屋があった。セインの能力に感謝しながら、部屋に進んだ瞬間、待っていたとばかりにミカロとエイビスが姿を現した。
「シオンさま、チームを抜けないでくださいまし!」
エイビスの近距離にはいつも驚かされるものがあった。けれど今回は少し特別だった。彼女は僕を離すまいと袖を握り、腕をふるふると震わせ、にじんだ目で僕を見ていた。
ミカロは僕から距離を取り、エイビスに隠れるように顔を覆い隠し、表情を見られなかった。けれど、エイビスの言葉を聞き、彼女は僕を押さえる手を掴んだ。
「シオンに無茶言わないでよ、エイビス。二人にも、二人だけの時間が必要、だろうし」
「そう、ですわね」
二人は互いに目を合わせると、しゅん、と勢いが消え去ったようにうつむいた。ヒラユギも入り口手前で三人が集まっていたことに気が付き、なんじゃ? という顔を傾げてこっちを見た。
「どういうこと、ですか?」
「言わせないでよ。セインさんと、約束を果たしたんでしょう?」
二人は何かを信じているように両手をぐっと握り合わせ、視線を僕に集中させた。僕は右手を後頭部に当て、にかっと笑いを見せた。
「振られちゃいました。情けない話ですよね。それに例えセインと恋人になってもチームを抜けるなんてことはないですよ。ミカロやエイビス、ヒラユギにも恩返しができてないですからね。そんな無責任なことはできませんから」
二人はまるで時間が止まっているかのようにきょとん、と僕を見つめたまま動かなかった。彼女たちの視界を手で遮ると、エイビスはスイッチが入ったように僕に飛びついた。
「シオンさまぁ~!」
エイビスはその事実を聞いたとたん、上機嫌で僕に紅茶と夜食を用意してくれた。が、ミカロはむしろ思いつめたようにぐっ、と胸前で拳を握っていた。
エイビスはつきっきりで僕のケアをしてくれた。そのおかげで自然とセインのことを忘れることができたような気がした。けれど三人が眠りついても、僕は暗礁に拒絶され、しょうがなくココア片手にバルコニーで体には厳しい冷たい風を受け、頭を冷やしていた。
「眠れないの?」
振り向いた先には銀色に光る空。僕はまた鼻で笑った。
Twitter「@misyero1」で更新情報を確認できます。