「虚構」
「エイビス、ミカロの調子はどうだ?」
「熱はない様子ですけれど......どうにも今日は外に出たくないの一点張りで......」
「そうか......少し残念だけど仕方ないか」
彼は布団から零れた彼女の髪に触れ、感触を確かめると、わたくしに金色の電子鍵板を差し出しました。それは男女混合の許された最上階のお部屋。
それが何を意味しているのか、2カ月もお付き合いしているわたくしには考えるまでもないことでした。それよりも気になったのは、彼がもう一枚、合計3枚の電子鍵板を持っているということでした。
まさか......わたくしの直感は最悪の方向へと向かいましたが、案の定、わたくしとシオンさまの意見は一致していました。
「これ、ミカロの分ね。気が向いたら来るよう伝えておいて。俺はしばらくファイスと話をしてるから、用があったら知らせて」
「はい、かしこまりました......」
わたくしの声は力強さをなくし、むしろ彼という存在に意見したくなるほどでした。まさか妹であっても、シオンさまの愛情は変わらない、ということでしょうか。
それとも単にシオンさまはここで寝泊まりされていないから、わたくしたちと交流の機会を作りたい、ということなのでしょうか。
あたりを見回してもシオンさまの鞄は見当たりませんでした。やはり少し違う。いえ、シオンさまの記憶が戻ったので、ミカロがわざわざ見張る必要がなくなった、と考えるべきでしょうか。
わたくしは部屋全体に輝きを取り入れ、彼女に支度をさせます。ここにはほかにわたくしたちと同じような境遇に見舞われた方はいらっしゃらないようですわ。彼女の髪を結び、わたくしたちは普段のクエスターとは違う休日の恰好で正星議院まで向かうことにいたしました。
若き女性らしく整った首筋から肩を見せ、真っ白の身体にちょうどあったワンピースに黒を基調とした花を散りばめたロングスカート。本来であればシオンさまがいればもっと明るいものを使うのですが、正星議院は別ですので。
あそこであればもしかすれば、彼女は何の影響下にもないのでは。という想像がわたくしたちを駆け巡ります。けれどそうあってほしいのもまた事実。彼女であればあり得なくない話。きっとわたくしたちと同じ状況にあるはずですわ。
それにファイスさんがここにいることも捨て置けませんわ。やはりここは昨日までの場所とは少し違うところにいる、ということなのでしょうか。
わたくしたちは正星議院へと向かい、彼女と会うことにしたしました。けれどこのときまさかあの人物と最初に出会うとは微塵も考えておりませんでした。
長く自慢のように伸ばしていた赤髪は姿を消し、わたくしと違い、手入れをせずばらつきの目立つ彼女の髪にわたくしたちは動きを忘れてしまっていました。
心臓の部分に騎士団の印が付いたワンピースと同じ形でできている鎧。そして鋼鉄の靴。腰に付けられている2本の剣。彼女の変わり果てた姿にミカロが口を開くまでわたくしは考えを改められずにいました。
「リラ!」
彼女は手を取ろうと動いた瞬間、彼女はその手を勢いよく弾きました。やはり以前の彼女とは違っていらっしゃる。いまならシオンさまだけでなくミカロにでも剣を向けてしまわれるような、そんな狂気な感覚がいたしました。
「馴れ馴れしい手で触れないでください」
現実は残酷でした。ミカロにとってすればようやく会えた親友との再会。けれどリラーシアさんはそれを気にしている様子はありませんでした。
むしろこちらを睨みつけ“何を見ているのですか?”と言っているような表情にわたくしたちは彼女の姿をした何かに騙されているような感覚に浸りました。
「そうだね。ゴメン......」
彼女の心が涙を流していました。止めたくても止められない。その感情を受け止められないわたくしも、心の中で同じ対策を取りました。
一体ここはどこなのでしょうか。悪者はわたくしたちなのでしょうか。
わたくしたちは彼女の元へと向かいました。目的ははっきりしているのですが、リラーシアさんの件もありわたくしの彼女への期待度は下がる一方でした。
けれど、彼女は会うなりわたくしたちを歓迎してくれました。
「お、エイビスにミカロ! 久しぶりー」
「久しぶり! シェトランテ-!」
ミカロは気持ちを抑えられず彼女に飛びつきました。当然のことです。できることならわたくしも飛びつきたいくらいでした。ようやく見つけることのできた希望。そして何よりの理解者。
思わずわたくしは右目に涙を宿していました。
「わわっ!? どうしたのミカロ!? またシオンに嫌味でもやられたの?」
「そうじゃないけど......そうじゃないけどぉ......」
「よしよし、よくわかんないけど大変だったんだね。よく頑張ったよ、うん。ってなんで泣いてんの!?」
「だってぇ......なんかあふれて止まんないんだよっ......」
「もー、ここ水物厳禁なんだけど......」
彼女はやれやれといった表情を見せましたが、ミカロを拒むことはありませんでした。彼女の中の心の雲が雨で流れていったような感覚がいたしました。
ミカロの涙を拭きとると、彼女はわたくしと目を合わせました。わたくしはスカートの両端上げ、敬愛を込めます。
彼女はわたくしを見るなり笑顔を見せてくださいました。やはり彼女もわたくしたちと同じように、この場所に異変を......
「シオンとは順調そう、エイビス?」
「その......順調、ですわ。みなさまから見ていかがなものかはわかりかねますけれど」
「ふーん、とか言って本当は結婚のこととか考えてんでしょ? うらやましいわー。創星の一族はなんか過保護すぎるほどに守られてるから、そういうのが簡単にできなくてね。前にいいかも、って思ってた子も、まんまと騙されて今は正星騎士団にいるし、困ったもんよ。あれは絶対に私を外に出さない口ね」
わたくしはその瞬間、自分の墓穴に気がついてしまいました。以前のシオンさまとともにハル=ゲフェイル向かったとき、あのときシェトランテさんにお付き合いしていることを言わなければ、現在の彼女の状況が把握できましたのに。
現在では公言されていてみなさんが知っていることになっていますので......やはりシェトランテさんもみなさんと同じような状態に至ってしまっているのでしょうか。
「そういえばミカロはリラと喧嘩でもしたの?」
「え?」
「いやーなんだか最近リラの機嫌が悪いみたいでさ。正星騎士団の何人から、どうにかしてほしいって頼まれてるんだよ。ミカロなら一番知り合って長いから、何かわかるんじゃないかって思って」
「あ、そっか。そうだね......」
彼女は目を細め口を閉じました。久しぶりとはいえさすが親友通し、といったところですわね。彼女はリラーシアさんがどんな胸中にあったのか、なんとなく理解できましたわ。
きっと彼女はミカロがシオンさまに叶わぬ恋をしていることに気付いているのでしょう。そしてそれが生んでしまった悲劇も。だからこそ彼女はミカロをないがしろにし、普段よりも顔を強張らせ、それが口にも行動においても影響を与えてしまっている、というところでしょうか。
ミカロもそれに気が付いているでしょう。そしてそれを解決するのには何より辛い、炎の中をくぐるようなことである理解も。
けれどここは話を逸らしましょう。せっかく戻ったミカロの瞳を暗く戻すわけにはまいりませんもの。
わたくしたちはシェトランテさんの椅子を借り3人で話をすることにいたしました。本来であれば紅茶がほしいところですが、研究兼実験室ゆえ仕方ありませんね。
「シェトランテさん、実はわたくしたち......」
彼女は残念ながらわたくしたちと同じ境遇にない。そのことを仮定としたわたくしは以前のシオンさまの記憶を彼女に話すことにいたしました。
念のためにわたくしはシオンさまとお付き合いをしていないという前提の元、わたくしたちの記憶に異変があることを告げました。
彼女は何度かうなずき驚いた様子を見せましたが、彼女から質問してくる様子はありませんでした。わたくしの心が曇ったのは言うまでもありません。
「まぁ記憶は専門外だから生意気なことは言えないけど、記憶は基本的にはCDみたいなものなんだ。一度書き換えたら前のものは戻せない。よくあるでしょ? 幼少期の楽しいころを思い出せなかったりするやつ。あれと同じ感覚だよ」
「なるほど......」
彼女は大きなヒントを置いてくれました。CDと同じ形式、とすればわたくしたちの今の記憶は今と前のものがごちゃ混ぜの状態にあり、次第に前のものを忘れていってしまう。ということになります。とすれば、わたくしたちはシオンさまをどうにかしないことには......
「ところでそれがどうかしたの?」
「いえ......シオンさまのことについて気にかかることがありましたのでその解決を、と思いまして」
「そういうこと。よくできた彼女、ってシオンが自慢するだろうね。エイビスは良いお嫁さんになれそうだよ」
「いえいえ、わたくしなんてまだまだですわ。シオンさまには迷惑をかけてばかりですもの」
この会話の最中も、ミカロはうつむいたままでした。わたくしはその場で彼女の背中をたたきたいくらいでしたが、今の雰囲気を壊すわけにもまいりませんもの。
わたくしたちはその場を後にし、ミカロと話をまとめることにいたしました。何より少しの怒りを含めて。
「ミカロ、いつまでそんな暗い顔をしていますの? 以前のシオンさまがそんな顔のミカロと会いたいと思いますか?」
「わかんない、わかんないよ! シオンは私のお兄ちゃんで、リラは久しぶりに会えたと思ったら怒ってて、ファイスはなぜか天真の星屑に戻ってきてて......」
わたくしは彼女の体を引き寄せ胸の中に手繰った。不本意ですが、彼女の背中に触れるのよりも早く、彼女の心臓の音が耳を打った。それは不安を弾くほど激しく波打つ素晴らしい期待だった。
本当に羨ましい限りですわ。できることなら交換してしまいたいくらいです。
「わたくしも不安で不安でたまりませんの。シオンさまも隣にいらっしゃらない。わたくしの考えていることが真の意で合致しているかどうかも理解しがたい。そんな状況であっても、わたくしはミカロを信じたいのです。まだたった数カ月かもしれませんが、わたくしを信じて顔を上げてくださいませんか? そうでないと、わたくしまで下をむきたくなってしまいますから」
「……うん。そうだよね。シオンたちを何とかできるの、私達だけだもんね。わかった、やってみよう。でも、後悔しないでよね」
「当然ですわ。ここは夢に違いありませんもの。きっとどのようなことでも叶うに違いありませんわ」
わたくしは彼女の心の音が安定したのを確認すると、シオンさまを探しに向かいました。気にする必要なんてありませんの。はっきりと彼の口から聞きたいのです。ここが現実か否かを。
わたくしたちが正星議院を出た先に待っていたのは、黒鎧に身を包み、槍を持つ正星騎士団の軍隊。彼らは私達を囲みました。わたくしたちは背中を合わせ、警戒が身体を流れてゆく。
「クエスターのわたくしたちにいったい何の真似ですの?」
「エイビス・ラターシャ、ミカロ・タミア。身柄を拘束させてもらう。抵抗すれば容赦はしない」
「エイビス」
わかっていますわ。当然このまま止まっているわけには参りませんもの。夢の中でくらい好きにさせてほしいものですわ。わたくしたちはこのまま止まることなどあり得ない。剣はその心に答えるかのように、彼らへと牙を向いた。
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