「奇風」
シオンさまが青い玉を体に取りこんで今日で5日目。朝日は姿を消し、狼の遠吠えにふさわしき満月の夜になっても、彼の目は開くことはありません。
いったいいつになったら......そう思うと涙がわたくしの目を自然と覆った。意味のないものだとわかっていても、それは止めどなくあふれていく。そのたびに彼への気持ちが飛び出していった。
毛布の温かみをへて、朝の賑わいがウソのように寝息に静まり帰った白の病棟。シオンさまの手を握ったわたくしの後ろには銀髪の彼女、ミカロがいた。今日ばかりは仏頂面ではなかった。人を憂う優しい心が見えた。
「エイビス、さすがに今日はベッドで寝なよ。あんまり寝てないでしょ?」
「参りません。わたくしはシオンさまが目覚めるまでここで彼の手を握り続けたいのです。シオンさまは一人暗闇の中を歩いている。そんな気がするのです」
「そっか。それじゃあ私も一緒に……アレ?」
まるでミカロの中から魂が抜け出てゆくような、そんな気がいたしました。
「ミカロ! ミカロ!?」
彼女は目を開いたまま、わたくしには気づいていない様子でした。何度ゆすっても反応もなく、ただ彼女の吐息だけが髪を通り抜ける。眠気かそれとも誰かの罠か。わたくしの意識もゆっくりと夢の中に囚われを迎えた。
☆★★
「ミーカロ! 今日も元気そうだなー!」
わたくしの目に入ってきたのは、着替え終わったミカロに抱き着くシオンさまのお姿でした。そこには感動と同時に動揺がいた。
まさかシオンさま......
「もーそんなにはしゃがないでよお兄ちゃん! 身体は疲れてるはずでしょ?」
「3日も寝てたら疲れなんかなくなるだろ。フォメアたちに挨拶してくるわ」
「いってらっしゃ~い」
わたくしの中には動揺と戸惑いがつきませんでした。ミカロに抱き着いたシオンさま。そしてそんな彼を兄と慕うミカロ。そしてそれに何の疑問も持っていないご様子のヒラユギさん。
むしろこの空間においてはわたくしだけが異常者の状態にありました。
わたくしは美容のことを忘れ彼女の肩に飛びかかりました。
「ミカロ、シオンさまとはご兄妹なのですか?」
彼女の反応はありませんでした。もしやこれは敵の空間? けれどそのような感覚にしても明らかに敵意をむき出しにし過ぎている状態に、わたくしはその考えを消しました。
次に彼女の顔を見たとき、彼女の顔はだんだんと青くなってゆきました。いつもの笑顔は曇り、だんだんと気分のすぐれない顔へと変わってゆきました。
「し、シオン? シオンは天真の星屑のメンバーで、私の、わたしの......ともっ、ともだっ......おにいちゃ......そんなわけないっ!」
彼女は両手で頭を抱え、床と対峙していました。両手を床布に打ち付け冷静になろうとしていました。
それを見かねたわたくしは、彼女を寝台に寝かせ青い月で冷静さを取り戻させ、彼女から話を聞くことにいたしました。
何事も素直に受け取り判断する彼女が何かに迷っていられる姿に、わたくしは動揺を隠せませんでした。彼女の気分を悪くするほどの出来事、いったい何が......
けれど、彼女は紅茶を飲んだ後、わたくしの質問には一切答えてはくださいませんでした。
“ごめん、今は何も聞かないで......”
その言葉と共に彼女は寝台の中に姿を隠しました。納得はいきませんがミカロのためを思えば仕方ありません。
わたくしはシオンさまを観察するため、ひとまずフォメアさんたちの話を聞くことに......
わたくしが扉を開けた瞬間、シオンさまはわたくしを自分の胸に引き入れてくださいました。何度としたことでしたが、なぜかそのときは今までとは違う感覚に苛まれました。
「エイビスここにいたのか! よかった~。てっきりミカロとどこかに行ったのかと思ってたよ」
わたくしはシオンさまがわたくしの肌の感触を得ようと頬を擦り合わせるのを拒みませんでしたが、疑問が尽きることはありませんでした。
「全くよく飽きんもんじゃの。良いことといえばそうじゃが」
「ヒラユギもいい人が見つかるといいな」
「それよりも我はシオンたちを見ているだけでお腹いっぱいじゃ。いつもいつも見せられていては、こっちが参ってしまうかの」
いつも? 毎日?
わたくしにはまたしても疑問が湧いてしまいました。シオンさまと恋人関係にあることはお互い秘密にしているはず......
「シオンさま、あの時の約束を忘れてしまわれたのですか?」
「何を言ってるんだ。告白したその日にエイビスが喜びのあまりみんなにしゃべってしまったんじゃないか。まぁ今となってはわざわざ言う必要がなくてうれしかったけど」
わたくしが話した? そんなはずありません! わたくしがシオンさまとの約束を破ることなど......
わたくしの中の疑問は決して費えることはありませんでした。むしろ大きなものとなってわたくし自身を取り囲もうとしているようなそんな気がいたしました。
わたくしはシオンさまから真相を聞くべく、ロビーでお茶を交わすことにいたしました。なによりミカロには酷な話のようにも思えましたので、この考えは成功のように思えます。
彼はわたくしのためにお飲み物を注文なさると、すぐそばにいた方と話をしていました。それ自体が異変でした。シオンさまが天真の星屑を除いて話していた方は正星議院の関係者もしくは凛華の修研者の方だけでした。
けれどシオンさまの隣にいた男性の方はどちらとも違いました。剣を飲み物と同じ机におき鎧姿を見せつける彼は、わたくしのことを見てシオンさまをからかっているご様子でした。
「エイビス、紅茶。これ好きだっただろ?」
「はい、ありがとうございます、シオンさま」
やはりわたくしの感覚に間違いはありませんでした。彼が飲んでいたのはただの水。わたくしはシオンさまがいつもわたくしの紅茶をお飲みになっていたことを見逃しませんでした。
青月だけでなく、酔恋、金盞橙。ありとあらゆる味を堪能していただきましたが、シオンさまは決して文句を言うことはありませんでした。
もしや......シオンさまは無理にわたくしの紅茶を飲んでいたのでしょうか?
その考えもわたくしの頭を悩ませました。けれどそれよりも今はシオンさまに語っていただくほかありません。わたくしは彼に疑いをかけられぬよう慎重に情報得る方向へと移動することにいたしました。
けれどなんとなくわかっている気がするのです。これが本当のシオンさま、であるのだと。
参りましょう。たとえ事実でなくともそれを衝撃としてシオンさまに与えるのです。真実を知るためには必要なことですから。
わたくしは紅茶を飲み終え彼と話をすることにいたしました。シオンさまは以前は何もしていなかったはずの組む足を反対にしてわたくしと目を合わせます。
「相変わらずシオン様とミカロは仲がよろしいですわね。少し憧れてしまいますわ」
「まぁ兄弟だからな。何十年も一緒にいたら誰だってああなるよ」
シオンさまとミカロがご兄妹? それにしてはシオンさまの髪、黒色ではミカロともミカロの父様とも特徴が一致いたしませんわ。もしかすれば母様、がそうなのかもしれませんが。
きっとミカロもわたくしのように今までとの境目にいるはず。ですから彼女はそれを不気味に思い体調を崩した、というところでしょうか。
ただ気になるのはわたくしとシオンさまの関係。確かに昨日とはあまり変わらない気がするのですが、その割にはずいぶんと公言されているような気がいたします。
何より服装が不思議でした。彼はいつも茶色のストラップベルトの付いたミニズボンを袖のない白シャツの上に羽織った動きやすい服装でした。
けれど今のシオンさまは自らの肉体を自慢するように、くたびれたそれを着ているだけで、シャツの姿はありませんでした。
確かにシオンさまの肉体は特徴的でそれぞれの筋肉がはっきりと見えるのですが、やはり疑問を感じずにはいられません。
「それにしてもずいぶん懐かしい言葉を使うんだな。シオンさま、か」
「お気に召しませんでしたか?」
「いや、俺たちが恋人になって2カ月ぐらい経つけど、なんか懐かしいなーって思って。あのころのエイビスはいじめがいがあったなー。さまを取ればいいだけなのに、結構照れてたから。可愛かったなー」
わたくしは顔を真っ赤にしてしまったのでシオンさまから目を背けました。
どうしてそのような大切な出来事を忘れてしまっているのか、自分が憎らしいくらいです。けれど、やはりここはこの場の流れに沿って行かなければいけませんね。
シオン......シオン......心の中がほっこりいたします。安心で満ちていきます。
わたくしは彼の隣へと移動し、彼の感触を確かめることにいたしました。これが幻想だとすればわたくしから離れようと動くはず。けれど彼はそんなことなく甘えるわたくしを受け止めてくださいました。
彼の鼓動が聞こえる。やはりここが真実。ここが現実であることは間違いないようですわ。彼を見つめると、わたくしの鼓動はだんだんと間隔が縮まってゆきました。
「仕方ないではありませんか。わたくしにも恥ずかしく思うことの1つや2つあるのですよ?」
「そうだな。確かに昨日も、ものすごく照れてたもんなー。声が思ったより大きかったからひやひやしたよ。今日は元気をひねり出すのに苦労したよ」
声が大きかった? 昨日? 元気をひねり出す......まさか......
わたくしはシオンさまと目を合わせようとしますが、彼はこちらを向いてはくれませんでした。彼の見ている方向はお腹の膨れた女性。まさか......大胆すぎますシオンさまーっ! どうしてわたくしは大切な部分だけ記憶を失っているんですの! 自分を呪いたいくらいですわーっ!
シオンさまはわたくしの頭を撫でてくださいました。とても暖かく、何より幸せでした。
「冗談だよ。エイビスは疲れて眠っちゃってたから、キスしかしてないよ」
そ、そうでしたか。少し安心いたしました。……やはりこちらのシオンさまも奥手な方なのでしょうか? わたくしでしたらいつでも構わな......いえ、なんでもありませんの。
けれどなんでしょうこの気持ち。以前の時よりもシオンさまに対するわたくしの想いが薄れているような、そんな気がいたします。シオンさまに尽くしているわたくしだからこそ、気づけたことかもしれませんが。
「そういったことは二人だけの時にしてくださいまし。恥ずかしくてみなさんのお顔が見れなくなってしまうではありませんか」
「そうだったね。これじゃエイビスに失礼だな。そういえばミカロはどうしているんだ?」
彼を信頼するべきか、それとも......わたくしは目の前の彼をシオン・ユズキだとは思えませんでした。例え口づけを交わしていたとしても、その先を歩んでいたとしても、付きまとう異変をわたくしは信頼いたします。
そしてミカロが唯一この環境下においての仲間であることも踏まえれば、極度な干渉は避けさせるべき、でしょうか。
「彼女は......疲れが溜まってしまったようでして、しばらくはベッドで1人きりにさせてあげてくださいまし。夜には顔を出してくださるでしょうから」
彼はそれを聞くとわたくしの腕を掴みました。大胆な行動でうれしさはあったのですが、やはり疑問がわたくしの中から消えることはありませんでした。
まるで誰かがシオンさまの皮を被って動いているような、そんな違和感がわたくしの中に広がり、彼を拒絶してしまっているようにも感じました。
「あ、また敬語使ったでしょ? やっと敬語をなくして話せるようになったと思ったら、また戻っちゃったかー。やっぱり長年の経験は変えるのに時間がかかるってことか」
――長年の経験。そうです。もし本当にこの場にいるのが本当のシオンさまであるのなら、あのことを彼に告げているはず。例えその記憶がなくとも、それだけは揺るぎのない事実として残っているに違いないと。
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