第71話
「待ってくれっ!」
白い壁、白い天井。また殺風景な部屋に僕は連れてこ......
「シオン! バカッ! いきなり気絶してびっくりしちゃったじゃん!」
僕の身体に稲妻が走る。体がしびれ動きが、思考が鈍る。彼女の胸の感覚だけが唯一伝わってきた。
そんなとき緑髪の彼女はミカロの頬をつねった。
「いたいいたいっ!」
「ですからあなたを連れて行きたくなかったのですわ! シオンさまの今の反応を見て、なんとも思われませんの?」
「わ、わかってるわよ! ごめんシオン......でもうれしくって......」
僕は彼女の頭を撫でた。彼女は手を挙げることなく僕に従ってくれた。今日は鉄拳コースはお休みみたいだ。
狼さんは......と思ったけれど、ひょっこりとエイビスの方に乗っかっていた。彼は彼女に撫でられると懐いて頬を擦ろうと動く。手名付けられている。一緒にお風呂とか、入っているんだろうな。いやいや何を言っているんだ僕は。世紀末だなこりゃ。
ミカロはさっきの僕への対応が原因でこの緊急的に建てられた病院から退出することになってしまった。エイビスも僕と一緒にいたかったようだけれど、残念ながら検査のために彼女と同じにならざるを得なくなってしまった。
検査を終えた僕を待っていたのは、先に診断を終えたヒラユギだった。
何より驚いたのはその傷だ。包帯のない部分の方が少ない。僕は腕ぐらいなのに対してその功績が嫌でも理解できてしまう。
「体は大丈夫ですか?」
「問題ない、といえば嘘じゃが、神化はもともとこうなることを覚悟の上で行動しておる。今日敵が来れば、間違いなく余は倒されるじゃろうな。笑えん冗談じゃ」
僕は彼女のために笑顔を見せたが、彼女はあまりうれしい様子ではなかった。僕の極限突破と少し違うのか。少しうらやましいけれど、あの包帯グルグル巻きは勘弁だ。エイビスが心配のあまり3時間に1度変えてきそうだ。
呑気にベッドに就けることがこんなにも当たり前でないことに、今更気が付いた。柔らかくて温かい。まるで誰かが僕の背中にいるみたいだ。
「それよりも聞きたいことが山ほどあるのじゃが......」
彼女の輝いている目を僕は否定できなかった。
彼女は僕のことをいろいろと知りたいようで、チーム外で唯一協力してくれた人間なので、僕の憶えている全ての記憶を彼女に教えることにした。
天真の星屑に入った日のこと。リラーシアさんのと師弟関係を結んだこと。エイビスがチームに加入したこと。そして何より僕が記憶喪失であること。
この事実を伝えた意味を彼女に理解してほしい。
彼女は僕が記憶喪失であることに驚きを見せたが、それについて深く語ろうとはしなかった。僕をねぎらったのだろうけど、実際は気になってくれた方がうれしい。僕を覚えてくれている人が増えると思えばお安い御用だ。
彼女は椅子に足を乗せ体全ての体重をそれに押し付ける態勢を取り、僕に頭を下げた。
「余をおぬしらのチームに入れてはくれまいか? 何か、つかめそうな気がするのじゃ」
僕は彼女の頭を撫でた。人に頭を下げられるのは嫌いだ。だからなんとなく自分の手でそれを覆い隠してしまいたかった。
「そんなこと言う必要なんてないですよ。お互い同じ目的のために戦った者同士、とっくに仲間じゃないですか」
「そうじゃったな、よろしくたのむ」
こうして僕たち天真の星屑は7人目のメンバーを迎えた。
そのとき白服を着た彼が姿を現した。僕の気がかりは赤髪の彼女だ。お礼してもしきれない。けれど、いまここに姿を見せていないことを僕は気に入らなかった。
「なんと詫びればいいのか検討がついていないのだけれど、ただ謝罪したい。ありがとう。君たちのおかげでミナーニャさまたちを守ることができた。議院を代表して礼を言うよ」
気に入らない、というのは少しおかしいか。正星議院はそれだけで成り立っているわけではない。前にも襲撃を受けたことがあり、それ以来正星議院は基本的に中身のない箱として立て直されているのだ。
理由はいたって単純だ。クエスターの精神にこうある。“人を救う者が機関に捕らわれそれを拒むことがあってはならない。もしその社会が成り立つのであれば、クエスターは廃止すべきである”と。
機関を救う余裕があるなら、それを人のために使え。そういうことだ。
「そしてリラーシア・ペントナーゼのことについてだが......」
彼の顔が曇った。結果は見えた。赤和服の女性を倒したとき、確かにリラーシアさんは正星議院で倒れていた。万全とはいえないけれど、彼女を回復させて僕はミカロたちの元へと向かった。
考えられるとすれば誰かにさらわれた、あるいはあの女性が、または自分1人で何かをしているかだ。
濃厚なのは2つ目だ。あり得ない話じゃない。現に僕たちの倒した敵は誰一人として姿を消している。噂じゃ僕たちが正星議院を攻撃したのではないか、なんてくだらないものがある。
少し考えればわかるはずなのに、なぜか町は冷静さを失っていた。
今リラーシアさんは苦しんでいるんじゃないか。そう考えると痛みを忘れ拳を握ってしまう。
「リラーシアが生きていれば、おそらく連絡が来るはずだ。おそらく僕よりも先にキミにね」
「どうしてセレサリアさんじゃないとわかるんですか?」
彼はそれを聞くとやれやれ、といった表情で僕のことを見た。
「それは君が彼女に誰よりも信頼されているからだよ。彼女は確かに強さに冷静な判断力を持つ素晴らしい戦士だ。けれど決して弟子に応じたりは今までしなかった。君を除いてはね。だから君には何かがあるんじゃないかな。彼女が君を受け入れた何か大切なものが」
僕にはその意味が理解できなかった。確かにまれなのは理解できた。けれどそうであってもミカロには負けるはずだ。彼女がリラーシアさんにとっての最初の友達だ。最初ほど思い出深いものはない。
「今は天真の星屑の一員水入らずで休暇を楽しんでくれたまえ。彼女を探し出すかどうかはその後に教えてくれれば構わないよ」
いなくなれば捨てる。納得はいかないがこれが社会か。リラーシアさんはいったいどこに行ったんだ?
第4の選択肢が生まれた。彼女は......彼らを追ったのか?
今は気にできる場合じゃないか。彼女のことは彼女自身に任せるほかない。その実力は誰よりもわかっているつもりだから。
ミカロたちが見えた瞬間、僕は悲しみを切り捨てた。ようやく約束を果たせる。本人が憶えていればだけど。
冗談さ。きっと憶えているに決まっている。僕のテーブルに置かれた輝石がそう言っている。
「ねぇシオン、リラ見てない?」
「ええ、見てないですね」
「やっぱり町の修繕とかで忙しいのかな」
「リラーシアさんの部下の人から聞いた話けれど、彼女は今回のことを踏まえてしばらく旅に出ることにしたみたいですわ。行く先も期間も彼女の赴くまま。残念ながら誰も動向は掴めていませんの」
僕には事実が理解できていた。一瞬この場が凍り付いたような気がしたが、例えウソだと分かっていても顔色変えず言い切ってしまうところが、エイビスのすごいところでもあったと思い出させられた。
「そっか。リラは1人で考え込んじゃうからなー。悪い方に転ばなきゃいいけど」
「だ、大丈夫ですよリラーシアさんなら! 何より僕の師匠ですからね!」
「それもそうだね」
僕は笑いを作り、彼女たちは自然な笑顔を浮かべた。僕たちは悪いことに転ぶのを恐れ、彼女に虚無の事実を作った。彼女が真実を知ったとき、彼女はいったいどうするだろうか、それは考えたくもなかった......
「私、ちょっと外出てくるね。エイビス、ちゃんとシオンを見張っておいてね。また無茶しちゃいそうだから」
今回のことを含めて、彼女は僕に無理をさせたくないと決めたらしい。僕と緑髪の彼女、そして狼さんだけが部屋に残った。
ヒラユギは診断を受けて席を外している。今なら......
僕の考えを読み取った狼さんはその場から席を外した。うれしいけれど彼を少し恐ろしく思う。僕は彼女の目を見た。そして彼女は僕の隣にやってきた。
彼女の柔らかい頬に触れ感触を確かめ、顔を近づける。
「んっ......」
ブルームーンの香りがする。彼女の紅茶が飲みたくなってきてしまった。厳しいことに僕たちには警戒が張られてしまっている。しばらくは彼女越しに飲むしかないか。
背中の枕にもたれ彼女と目を合わせ直す。
「もしミカロがいたら拳が飛んできますわよ?」
「いいんですよ。それが彼女なんですから」
「さすがシオンさま、といいたいところですが。……真実を告げないことが本当に彼女にとっての優しさなんですの?」
正々騎士団、ひいてはクエスターにはあるルールが存在する。“事故や事件によって行方不明者が存在した場合、その人物からの連絡による除外材料がなければ戦死したものとする”というものだ。
けれどそれはその事態を経験したものと、正星議院の上層の者たちしか知りえないことで他言無用。一度経験をしてしまっているエイビスはそれを知っていた。僕はそれを彼女から知り、ミカロを欺き秘密を保持した。
リラーシアさんの空っぽの心のこもった墓は議院の裏に建墓されている。これはセレサリアさんと僕とエイビスだけの秘密だ。そして彼女の元パートナーの墓がそこにあることも。
後のは気にしないかもしれないけれど、僕が動こうとするのをミカロが監視してくるかもしれない。たぶん謁見できるのは1回限りだろう。いや、そうした方がいい。彼女の存在を知られるわけにもいかない。
「彼女は認めないの一点張りで形式を壊そうとするかもしれない、もしかしたら何日もそこから動こうとしないかもしれない。だから僕はミカロには話しません。僕がリラーシアさんを探し出して墓を壊す、僕にはその責任がありますから」
「シオンさまらしいですわ。わかりました。けれど彼女をないがしろにするのは反対いたしますわ。決してわたくしたちの関係が変わろうとも、彼女とは今までと変わらぬように接してくださいまし」
「わかっていますよ」
僕は彼女の頬に手を動かし、約束の印を彼女にした。彼女は笑顔で僕を眺めた。僕は彼女を認めた。彼女も僕を認めてくれた。
今更告白というのも男らしくないけれど、僕らしいといえば変わって来る。それがシオン・ユズキなんだ。
「僕と付き合ってくれますか、エイビス」
「もちろんですわ。もとよりそのつもりでわたくしは天真の星屑に入りましたもの」
彼女の背中に手を回......
彼女の鞄のデバイスが光輝いた。僕は彼女から離れた。
「良いのですか? わたくしは構いませんのに」
「確認しておかないと、何か面倒なことが起きる気がしたんだ」
「了解しましたわ」
彼女はデバイスを耳に取り付けメールの内容を確認した。僕は彼女の感覚を自分の口で確かめていた。やっぱり柔らかい。思わず何度もしてしまいたくなっていた。彼女には頭が上がらないな。
クエストのときは禁止した方がいいな。上の空で戦いになりそうもないや。
彼女はデバイスを外すと僕にわかるように指で空を示した。誰かに呼ばれている、みたいだ。
もしかして......いや、きっと気のせいだ。僕はエイビスに別れを告げて屋上へと向かうことにした。とはいえきっと屋上には鍵がかかっている。扉の前で誰かを待っているのだろう。
彼女とはもう少し時間を共にしたかったのが少し気がかりだ。でも、これぐらいがちょうどいい。時間を忘れ過ぎずに済む。
扉の前で待っていたのは銀髪の彼女だった。笑顔の中に曇があるのを僕は見逃せなかった。