第40話
「どうして僕たちは今電車に?」
「それが、ミカロのお父さんから連絡があったようで、彼女のことについて話がしたいので対談をする結びになったのですわ」
ミカロのお父さん、か。どんな人だろう。
僕たちを呼んだのだから、きっと彼女のことを心配してはいるのだろうけど、きっとミカロと同じように強い勢いがあるに違いない。
親と娘の性格が似るのはよくあることだ。そう本で読んだことがある。
「シオンさまはそこで何をしておられたのですか? 疑っているわけではないのですけれど......」
エイビスにも僕に聞きたいことの1つや2つはある。
素直にそう言ってくれればいいのに、なぜか僕に対してだけは異様に言葉に引け目を感じる。
まるで何を言っても僕が彼女に暴力を振るっている、かのように彼女の言葉にはいつもの勢いが消えている。
僕を恐れているのか、それとも僕の反応を確かめたいのか。
どちらとは割り切れないけど、聞いておこうかな。
「リラーシアさんに呼ばれていたんですよ。記憶屋っていう不思議なお店があるらしいみたいで。エイビスは知ってました?」
エイビスは“記憶屋”の言葉を聞くと、いつものように開きっぱなしの口を右手で隠した。そりゃそうだ。彼女の反応が普通だ。
自分の中の記憶をどうにかする何てこと、考えただけで嫌な気分しかしない。
思わず自分の記憶を疑ってしまいそうだ。
「いえ、初めてお聞きましたわ。
まさかそんな違法なお店があったとは。
さすがリラーシアさん、長い間騎士団をしているだけあって、目の付け所が違いますわね」
「いや、彼女が言うには合法のところもあるみたいですよ。
といっても楽しい夢が見られる、っていうサービスみたいですけど」
エイビスはその記憶屋の集団に腹が立ったのか、右手の拳を彼女らしくなく強く握る。
僕はそれをすぐに止めさせ、彼女の考えを修正した。
まさかとは思うけれど、星を使わなくてもエイビスさんが出てくる。
なんてことはないよね?
そうなったらいろいろと困る。彼女が僕と2人っきりの環境だと知ったら、剣を構えてくるかもしれないし。
「なるほど、そういうことでしたか。
シオンさまは楽しい夢が見られるとしたら、どんなものをご覧になりたいですか?」
「そうですねー......」
といっても僕はエイビスほど思い出が多くない。
パートナーもたぶんいなかっただろうし、ミカロ初めてと会った時にあれだけ動揺していたのだから、幼いころから女性に慣れていなかったのは間違いないだろう。
と、何か言わないと彼女に悪い。とりあえずは......
「僕はチームのみんなが笑っている笑顔を見るのが、楽しいですよ。
平和だなーって一番感じられる時だと思います」
「そうですか。わたくしは――」
エイビスはそう言うなり、僕の膝の上に駆け寄る。
思わず僕は体を固まらせずにはいられない。彼女の下からの視線に目を逸らす。
そんな可愛げのある小動物のような小顔を、僕は真正面から見ることなんてできない。彼女はそういったいじわるが好きなのだ。
「わたくしは、シオンさまにこうして触れられることが一番の幸せですわ。
何よりも尊く、そしてわたくしの存在意義でもありますわ」
……きっと彼女は優しさがゆえに僕の名前を言っている。
本当は違うはずだ。彼女にとって最も尊いのは“話の出来ない世界にいるパートナー”のことだ。
どんな出来事があったのかはわからないけど、彼女がたった1人の異性として認めた相手だ。
きっと強くてカッコよかったに違いない。
僕とはかけ離れているほどに。
「あのエイビス......近すぎませんか?」
「シオンさまはこの時間が、このひとときがお嫌いでいらっしゃいますか?」
「そういうわけじゃないですけど」
「でしたらもう少しだけ、こうさせていてくださいまし。
シオンさまの好きなタイミングで、わたくしの顔を上げてくださってかまいませんので」
彼女はそう言って僕の膝に右頬をつけた。
手が浮いていることに疲れて、降ろしてしまいたいが、エイビスの体に触れてしまうと思うとそれができない。
……まいったなー。これはどうやら彼女の作戦勝ちみたいだ。
けれど、彼女の想像の中には僕はいない。
きっと彼女のパートナーなら、きっとこうやって手で髪を触れてあげるのかもしれないな。
僕は思うがまま、彼女の艶のある髪に触れた。
柔らかい感触といい香りが僕を包み込む。
彼女の緑髪は手に取ろうとしても、その艶がしなやかに僕の手をすり抜けようとする。
よく手入れがされている。僕のぼさぼさで手入れのされていない髪とは大違いだ。
清潔等にエイビスが厳しいところもあるかもしれないけど。
僕が彼女の髪から手を離し、もう一度あの髪が手をすり抜ける感覚を確かめたくなり、僕は彼女の髪に触れようとする。
けれど、その瞬間にエイビスは僕の膝から顔を上げ、僕に真っ赤な顔を見せた。まずい、ちょっとやりすぎちゃったか。ミカロだったら絶対にパンチの1発や2発、飛んできているに違いない。
彼女は僕と目を合わせることなく、立ち上がり口を開く。
「お、お花を摘みに行ってまいりますぅ......」
彼女は背中を向けてそう語ると、ボックスの間に位置する廊下を顔を両手で隠しながら駆けていった。
ミカロがいないせいか、思わずエイビスのからかいに乗っちゃったなー。
もしかしたら、もう治療をしてくれないかもしれない。
……いや、最悪エイビスさんでこっちに戻ってくるかもしれない。
とりあえず心を引き締めようか。
今ミカロに何が起こっているかはわからない。
けれど、僕たちがいれば邪魔なことだけは確かだ。
僕もそうしただろうか?
もし、ミカロの命が誰かに狙われているとして、僕だけがそれに気が付いていたとしたら。
……そうだ。僕だってミカロと同じように、チームのみんなから離れた場所で敵を倒す機会をうかがうかもしれない。
でもこんな僕に時間なんてかけないでほしい。
この思いを今ミカロに伝えられないことが、自分の心臓を手で摑まれることよりも悔しい。
確かに星の使い方も戦い方も覚えている。
けれど、僕はシオン・ユズキじゃない。僕はシオン・ユズキに近い別の人間、という方が正しい。思い出の何もない僕に名前はいらない。
だからこそ、彼女の顔を正面にして言いたい。僕のために“未来のパートナーを探すための、生活を安定させるための時間をムダにしないでください”と。
もし僕の予想が正しければ、彼女に会ってこの言葉を言おう。きっとこれで、彼女は少しでも僕の意図せずに作ってしまった呪縛から解放されるはずだ。メモしておこう。