第36話
地下鉄を降りると、いつもの平和なピントレスの風景が広がっていた。
走り回る子供たちを見ると、なんだか安心する。
さてと、ミカロにはいろいろと話を聞いておかないと。
一応、みんなに迷惑をかけているわけだし、それくらいは教えてもらわないと。
「ミカロが部屋を出るとき、何か変な感じがしませんでした?」
「そうですわね......彼女は扇を持っていきませんでしたわ! いつも嫌でも持っていたのにおかしいですわね」
扇を持っていかなかった、か。
確かに彼女はクエストをしないときも、買い物をするときでも、まるで親しい友達のように常に扇と行動を共にしていた。
それを持っていかなかったってことは......
まさか温泉?
いやいやそんなわけないだろう。
だったら僕はともかくとして、わざわざエイビスを断る必要はないじゃないか。
……いつもケンカしているのが原因、と言われれば文句はないのだけれど。
大丈夫かな。また前みたいに知らない男の人に絡まれているんじゃ......
いや、ミカロならいざというときは星を使うだろう。
そこは問題なさそうだ。
……どうしよう。結構心配になってきた。
ファイスはよくあることだと言っていたけど......
その考えが浮び、僕が小動物ぐらいでしか通れないような、幅の狭いレンガの建物の隙間をふと見ると、そこには光に煌めく銀髪が映り込んだ。
……間違いない。ミカロのものだ。
彼女の顔は見えなくても、僕にはそう思えた。
彼女のような白っぽくも見えるけれど、光に煌めきを見せる銀髪は、すごく珍しいのに加えてあまり見かけない。
自信はないけど行ってみよう。もしかしたら彼女に会えるだろうし。
「今、あそこの奥に銀髪のようなものが見えませんでした?」
エイビスは僕の言葉を聞いて顔を僕の背中の方向から飛び出たせ、隙間を覗いた。
何か柔らかい感触がするような......
いやいや気にしちゃいけない! 彼女はそれに気づいていないのだからっ!
エイビスは僕の右隣りの位置に戻り、歩き始めた。
「……いえ、何も見えませんわ。けれどもしかしたら左の通りにミカロがいるかもしれません。行ってみましょう!」
「そうですね!」
僕たちは奥の曲がり角へと走り、彼女の姿を探す。
けれど彼女の姿も煌めく銀髪も見えない。どこかへ行ってしまったのか。
それとも......
とにかく、今はホテルに戻ろう。もしかしたらもう戻ってしまったかもしれないし。
僕の力のこもっている右手に柔らかい感触が走る。
僕が見たときには、エイビスが僕の手を包んでいた。
「……そんなに心配する必要はありませんよ、シオンさま。彼女が一番戦力としてはお強いことを、ご存知でしょう?」
エイビスは僕の目をまっすぐ見て、僕の安らぐような言葉を伝えてきた。無駄な力が抜けていく。悪くない感覚だ。
「そう、ですね。ミカロに限って悪いことが起きるわけありませんよね。
ホテルに戻りましょうか」
「はい!」
そうだ。彼女の言うように、まだミカロがどんな状況にあるのか決まったわけじゃない。きっと帰って来た僕たちにいつもの勢いの強い言葉をかけてくるに違いない。
けれど僕がワクワクしながら扉を開けた先には、誰の人影もなかった。
いつもと何一つ見え方の変わらない部屋のはずなのに、なぜか僕の心は鉄でも入れられたかのように重たくなった。
「シオン、さま?」
エイビスは僕の異変に気が付いたのか、目を震わせ動揺を隠しきれていない僕のことを見つめる。いやいや落ち着け。彼女まで不安にさせてどうする。
ここはとりあえず彼女の紅茶でも飲んで、気分転換をして考えよう。話をするのはそれからでも遅くない。
「エイビス、紅茶を頼めますか?」
「はい、ほんの少しお待ちください」
エイビスはドリンクボトルが大量に入っている布袋を彼女のベッドに置くと、いそいでお湯やティーカップの準備を始めた。
僕は手を洗い、彼女の邪魔にならないようテーブルの窓際の位置に座った。
鳥たちが昼日を見て喜ぶように鳴いている。悪くない景色だ。
……ミカロ、今どこにいるのだろう。
「お待たせいたしました、シオンさま。
今日は落ち着くのに最適な青色、サルベルン・ブルーですわ」
「ありがとうございます。でもそんなに慌てなくても大丈夫ですよ。
エイビスのいつも美味しい紅茶を僕は飲みたいですから」
「いえいえ、それほどでもありませんわぁ~! それにわたくしは着替えをしなくてはなりませんし、シオンさまには早く落ち着いていただきたかったのですもの」
エイビスは両手で赤く染まった頬を押さえ、首を何度も横に振って僕に考えを伝えてくれた。
そんな僕の褒め言葉に喜びを得ている彼女の顔を見て話すことなど、僕にはできない。けれど、彼女の赤く染まった頬の見える笑顔は、とても綺麗で見ていて僕も自然と笑顔になれた。
「それではわたくしは着替えて参りますので、シオンさまは少しお待ちください」
「はい、ゆっくりで大丈夫ですよ。落ち着くのには時間がかかるでしょうし」
「かしこまりました! それではしばしお待ちくださいまし」
エイビスはお風呂場に行き、着替えに移動した。そういえば、以前はいろいろと彼女の着替えに関して事件に巻き込まれてしまったことを思い出す。
1回間違えて彼女がお風呂に入っているときに、お風呂場にやってきてしまったことがあった。エイビスはある意味で歓迎してくれていたけど、ミカロにはすごく怒られたなぁ。
おまけにチョップを10発ぐらいくらわされたっけ。記憶に懐かしい。
ごくりっ。美味しい。気持ちが安らぎ身体から無駄な力が抜けていく。
ジリリリリ、と電話が着信を告げる音が部屋中に鳴り響く。誰だろう。もしかしてミカロかな?
「もしもし?」
僕が声を発したとき、帰って来たのは気持ちの弾む彼女の声ではなく、呑気にも能天気にも聞こえる赤髪の彼の声だった。
同じチームなのに、いちいち呼び出さなきゃいけないのは少し不便に思う。ロビーで会うって手もあるけど、それは移動が面倒だし。
「お、シオンか? ミカロは戻って来たか?」
「いえ、それがまだ戻っていないんですよ。ファイスの方には連絡は来てますか?」
「いや、それがなんにもねぇんだよなー。まぁ午後になっても何の連絡もねぇってことは、最悪......」
そのファイスの言葉を聞いた時、何となく僕にも彼の思い浮かんでいることが頭をよぎった。またなのか。どうして彼女だけがそんな目に遭わなくちゃいけない。別に僕だっていいじゃないか。できることなら代わりたいくらいだ。
「ま、そんなに心配すんな。今フォメアに調べてもらってるからじきにわかる。それまでは待機しといてくれ」
「はい、了解です」
僕は電話を切り、もといた席に戻った。どこに行ってしまったんだ、ミカロ。彼女がここにいないだけで、こんなにも不安で体におもりを背負っているような気持ちになる。
なぜだろう。やっぱりミカロのあの言葉が気にかかっているからだろうか。
“最後に困ったら私がシオンのパートナーになってあげるから”
......簡単に言えることじゃない。そういう意味で言えば、ミカロは僕よりもずっと大人で年上のようにも思え、ずっと心の中に残り続けていた。