第35話
「それではお願いいたします、シオンさま」
「……はい」
僕とエイビスは正星議院の隣に位置しているトレーニングルームにやってきていた。
ミカロが勝手にどこかへ行ってしまったまま戻ってこないので、戻ってくるまでの間、エイビスが自分をコントロールするための修行の手伝いをすることにした。
僕としては金髪の女性のことについて、セレサリアさんにいろいろと報告をしたかったところだけど、今回はあきらめよう。
僕の記憶がもとに戻ることよりも、彼女が戦闘に加わってくれることの方がよっぽどチームのためになる。
でもそのために手を抜くつもりはない。
僕とエイビスは運動ルームを借り、木刀で星を使わずに肉体強化も含めて鍛錬をすることにした。
殺風景な灰色と白色の触ると力の押し返される柔らかい壁に囲まれ、4mの奥行きと幅がある。
良い気分とは言えないけど、戦うのにはぴったりの場所かもしれない。
「エイビスはまだ自分で星の力を使ったことはないんですか?」
「ええ。星を使用すると、気が付いた時には特殊な空間の中に閉じ込められてしまうのです。原因は彼女でしょうけれど、こういった日常のときに現れても困りますので、お互いさまにしているところです」
……やっぱりここはエイビスさんに認めてもらうほかないか。
けど、いきなり断られてエイビスのやる気を根こそぎ取られても困る。
とりあえず、エイビスの実力が彼女を上回れば納得してくれるはずだ。
やってみよう。
エイビスは僕のためにすべてが青色のドリンクボトルをたくさん買ってきてくれた。
なんだか申し訳ないな。
ルーム料金は僕が払っておこう。 彼女が気づかないうちにやらないと、彼女が勝手に全て支払ってしまいそうだ。
彼女の戦闘用の、黒色の下着に近いようにも見えるシャツやスパッツの服装は、とても珍しい。
彼女自身もあまり慣れていないためか、妙にソワソワと何度も部屋の中を歩き回っていた。
僕は彼女に木刀を渡すと、腰を低くし構えた。
僕の姿を見て彼女も僕の意思を感じ取ったのか、彼女も構えを取った。
けれど、彼女の今の状態はあまり力が入っていない。
むしろぶつかることを怖がっているような、そう思えるほどに彼女の構えは柔らかさのあるように見えた。
「剣には詳しくないですけど、相手くらいにはなると思います。
剣を弾かれるか、頭に突きつけられたら勝敗を決めましょう」
「はい、お願いしますシオンさま!」
僕は足を踏み出し、彼女の元に剣を突きつける。
鉾星の感覚を消しきれていないせいか、ときどき右手だけで剣を持ってしまったり、飛ぶことのできる距離も考えずに壁を使ってしまったりした。
エイビスも最初は僕の攻撃を防御するばかりで、僕と変わらない初心者だった。
力の差もあり木刀が手に当たって落としてしまったり、僕の力に押し負けてしまったりした。
けれど、彼女の戦略がここで上手く反応してきたのか、僕が近づくたびに動きを変えてきた。
僕の動きに合わせて防御し、そのまま首元にカウンター。
僕が防御から攻撃に移るように手加減し、その一瞬を狙い頭を突く。
剣から手を離したと思えば、それを足で蹴り、僕の頭への直撃を狙おうとしてもいた。
もしかして元からエイビスさんのような考えがあったような......
そんな気がしたけれど、ちょっと恐ろしいので今は考えないことにした。
「ハァ、ハァ。 結構やりますね、エイビス」
「ハァ......いえ、そんなことありませんわ。
シオン......さまの方がより剣の使い方がうまく、なってきていますわ」
彼女の吐息が激しい。 やっぱりあまり運動をしてきていなかったのか。
それもそうか。 彼女は僕やミカロとは全く違うところからやって来たような感じがする。
時間の使い方や、食べ物の違いを見てもそう思う。
……さて、やるか。
「せいっ!」
僕は彼女に近づき先手必勝、彼女の顔に向けて刀を突く。
けれど、彼女はそれを紙一重でかわし、僕と同じように顔を狙ってくる。
それをしゃがんで避け、そのまま回転の勢いで彼女の刀を掃おうとしたが、残念ながら後ろに下がってかわされてしまった。
さすがエイビス。 だてにずっと強制的に戦いを見させられていない。
僕の動きはお見通し、といったところか。
「動きがよくなっていますね、エイビス」
「ハァ、ハァ......光栄ですわ。
けれどまだまだですわ。 わたくしはまだ――」
「エイビス!」
彼女は何度もふらつき、地に倒れた。
僕は手伸ばしたけれど、彼女との距離には届かず、ギリギリ足で彼女を救った。
ふぅ、心臓に悪いや。 限界だったら言ってくれればよかったのに。
……いや、僕があんなに真剣に勝負に挑もうとしている手前、そんなことできるわけないか。
エイビスはそういう自分や誰かのために何かをするところには厳しいし、彼女自身もそれを実行しているのだろう。
いや、こんなことをしている場合じゃない! エイビスの無事を確かめないと!
僕は彼女を手で抱えながら、青いドリンクボトルを取り、彼女の顔を起こして少しずつ水を彼女の体に運んでいく。
ゆっくり、慎重に、そして確実に彼女に水を送る。
ドリンクの半分ぐらいを飲んでもらえば大丈夫だろう。
飲み過ぎても栄養が増えるわけじゃないし。
彼女の唇が部屋の照明と相まって妙に輝いて見える。
……キレイだ。 プルプルでほどよく水を含んでいて、それでいて柔らかそうで......
って何を言っている! 今はそんなことを考えている場合じゃないだろ!
僕は彼女の頭をゆっくりと地面に降ろし、彼女の体をまっすぐな地面と平行にした。
呼吸も少しか細い感じがしなくもないけれど、問題ない。
僕はドリンクを飲み、星を使用する。疲れで限界だった身体が力でみなぎってくる。
悪くない感覚だ。やっぱり僕たちは星がないと生きていけない。もし星がなくなってしまったらと思うと、明日が恐ろしい。
まずは瞬発力の強化だ。僕は壁から壁へと体が地面に落ち始めるのよりも先に、他の場所へと移動していく。このルームでは本気で星を使用してしまうと、壁に亀裂ができてしまうというので、互いに星状態で戦闘することは禁止されている。
けれど、1人なら攻撃は1点にしか及ばない。それであれば、ここの壁の反動相殺効果で問題ない。
他の部屋を借りれば本気で戦えるところもあるだろうけど、今回はそこまでやる気もなかったし、何よりエイビスの体がもつわけもないからこの場所にした。
……実はというとお金がかかるのもあった。 ホテル代より高いって、使わせる気があるのだろうか。
「し、シオンさま! これはいったい?」
「あ、目が覚めましたか?」
エイビスは、僕が2回目の休憩を取ったところで目を覚ましてくれた。いいタイミングだ。まだ鍛錬をしているときに目が覚めてしまうと、きっと彼女はまだ戦おうと言うだろう。そのときは僕が彼女のために休むわけにいかず倒れちゃうだろうし。
僕は彼女にことのいきさつを話した。
彼女はそれを聞くと右手を胸前にくっつけ、重い病気になってしまったときのような不安でいっぱいな表情を僕に見せた。
「そ、そうでしたか。 申し訳ありません、せっかくシオンさまが協力してくださいましたのに......」
「いやいや全然! エイビスのおかげでいろいろと鍛錬できましたし、動きも俊敏になれましたし、むしろエイビスには感謝してますよ」
エイビスは僕が疲れのあまりバラバラに置いてしまったドリンクボトルの場所をまとめ、僕の元へと歩いてくる。
その新鮮な姿を見ると、やっぱり目を逸らしたくなってしまう。
仕方ない。 これは誰でもすることだろう。
いや失礼だ。 ちゃんと彼女とは顔を見て......やっぱり無理だ。
「それならばよかったですわ。 さて、再開いたしましょうか」
「はい、やりましょうか。 手加減はしませんよ」
「もちろんですわ!」
僕たちはお互いに倒れるまで勝負を続けた。
エイビスの判断が慣れてきたせいか、僕が負け越すかと思ったけれど、最終的には僕の3本勝りだ。
彼女もそれを悔しく思っているようではないし、いい感じな気がする。
意外と本気でやってみると、刀も悪くない。またこの鍛錬をやってみようかな。
……いや、これ以上刀を褒めたらフォコォスさんがこのこと聞きつけて拗ねてしまいそうだ。
僕はずっと鉾一筋でいこう。
「そろそろホテルに戻りましょうか。 もしかしたらミカロが戻っているかもしれませんし」
「そう、ですわね。 さすがに彼女も戻ってきているでしょうし」
僕の言葉を聞くと、エイビスは僕から目を逸らし、入り口の方を見て僕に賛成してくれた。
僕もできることなら今日一日中、彼女と戦っていたい。
けれど、仕方ない。 僕たちクエスターは暇な時間が少ない。
これは変わらない事実だ。
「でも、また時間ができたときに手伝いますよ。
僕もエイビスと一緒に、クエストで戦ってみたいですし」
エイビスはその声を聞くと、拾い集めていたドリンクボトルを手から放し、僕に体をくっつけてきた。また、僕は彼女から目を逸らした。
「わたくしも同じ気持ちですわ!
またいつかよろしくお願いいたしますね」
「は、はい。 頑張りま――」
「おいそこのカップル! イチャつくなら外でやりやがれ!
気になって仕方ねぇんだよ!」
僕とエイビスが入り口を見ると、そこには赤い闘志を背中に見せる僕よりも何倍も筋肉のありそうな、両腕を全て見せている格好をした男性たちが僕のことを睨んでいた。
僕だけを睨んでいた。
......理不尽だ。
僕たちは足早にトレーニングルームを後にしホテルへと向かう。
エイビスが起きる前に僕はお金を払っていたので、彼らに睨まれる時間が少なくて済んだ。
きっと手が震えて危なかっただろうし、もしかしたらケンカが始まっていたかもしれない。
エイビスは人気者だ。正星議院に彼女と行くと時間が止まっているようにまったく動きを見せない男の人たちをよく見かける。これがパートナーのいた人といない人の違い、なのかもしれない。
こればっかりは仕方ないと悟り、僕たちはその場を後にした。