第33話
彼女の肌を背中越しに感じる。それよりも僕たちの目に飛び込んできた星空に僕は夢中になっていた。とはいえ思う。ミカロは絶対に入りたかったのだろうと。
前に正星議員周辺の温泉に入りに行ったときもそうだった。男女1組でないと入れない条件難易度の高いお風呂に無理やり連れられた。そのたびに僕は疲れと一緒に誘惑の考えをないものにした。彼女の伸びをする誘惑的な声に反応してしまう。落ち着け。いつかのときと何も変わらないじゃないか。
満点の星空が僕をからかっている。
「リラとうまくいったみたいでよかったね」
「アレ、ミカロに言いましたっけ?」
「確か言ってたよ! 成功したって! もう忘れちゃったの? シオン、記憶大丈夫?」
そんな記憶がない。おまけに言えば僕にとって最悪のキーワードが聞こえた。これは彼女の言うように病院に向かう必要がある。本当に彼女に言っただろうか? むしろ彼女が僕を避けていたような、不可思議が僕をゴールのない道へと誘う。
彼女は僕に背中を預けたまま言葉を発しない。不思議だ。いや不自然だ。背中にいるのがミカロ・タミアではない。そんな気がしてしまった。
体の節々に湯が入り込んでくる。心の音が次第に安定していく。
「そうでしたね。何度も粘ったかいがありましたよ。おかげでボロボロですけどね」
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないでしょ! 早く傷を治さないと!」
「そうですね。そうしないと......」
「それで、どうするの?」
僕の言葉は彼女の撫でるような言葉に姿を消す。僕は首をかしげる。
何をだ?
ああ、修行のことか。ミカロとしてもリラーシアさんの強さの秘密が知りたいみたいだ。とはいえ弟子の特権ゆえ魅力だけ伝えよう。
「離れたかと思いきや、いきなり近づいたりして、結構驚かされますよ。厳しいかと思ったんですが、意外と飲み物を渡してくれたり、必要なものを持ってきてくれたりするので助かってますよ」
「そうなんだ。よかった」
彼女の言葉に微笑する。温泉があるからじゃない。きっと彼女に驚かされているせいだ。思っていたより普通の返事だった。
☆☆☆
「僕......しになってください!」
私はシオンのこの言葉に納得した。どうしてリラばっかり彼が追いかけるのか、その意味がいまさら理解できた。好きな子にはイタズラしたくなっちゃう男の子の気持ちが。
「いいでしょう。覚悟は聞かずとも?」
「はい、望むところですよ!」
シオンが遠くに行ってしまう。そんな気がした。
ううん、違うよ私。そんなこと前からわかってたでしょ?
――うん。なんとなく気づいていた。シオンが記憶を取り戻したら、きっと別のところに行って私のことなんて忘れちゃうんだろうなー。ってことぐらい。それがシオンの運命なら私は否定なんてしないよ。
どうしてだろう。窓から目を離せない。
――正直になろうよ。どうして目の前がハッキリ見えないのか。自分がよくわかってるでしょ?
言わせないでよ......言ったら私、シオンに向かって走りたくなっちゃうよ。ウソだって叫びたい。でも、彼の考えは変わらない。あの優柔不断のシオンが決めたことだもん。決めたことは曲げてくれないよ。
もう一人の私が私の衣を脱がそうとする。そんなことさせない。私は衣を奪い返し、彼女を消す。
……もう無理かな。昨日までが懐かしいや。
“ミカロ、大丈夫ですか!?”“ミカロは休んでいてくださいよ”“大丈夫です、僕がなんとかしますから”“またお風呂ですか!?”“協力してもらえますか、ミカロ?”
彼の言葉が私の心の衣の隙間に入り込んでくる。どんなに包んでも形を変えて私を貫こうとすることを止めようとしない。
どうして?
その答えを彼は返してくれない。
右手に涙が垂れる。私、もう将来がわかっちゃったよ。これが私の運命なんだね。認めるよ。認めるから。涙の止め方、教えて......
気が付いた時には私は彼に手を握られていた。そうだ、お風呂に入ったけど水を取るの忘れちゃって......
何やってるんだろう私。シオンに、エイビスに迷惑かけて。情けない。シオンの方が立派に成長してるのに、私はどうしてその場で足踏みばかりして強気でいられるんだろう。バカなのは、私じゃん......
「いったいどうされたのですか? 先ほどまでの戦いではあなたはそんな簡単な罠にみすみす引っかかるようなお方ではないはずでは?」
「困った罠に引っかかっちゃったんだ。忘れたくても忘れられないいくつもの思い出に」
エイビスはこれ以上話そうとはしなかった。彼女もなんとなくわかってくれたみたい。よし! メソメソするのはこれで終わり! 天真の星屑のみんなに迷惑かけるわけにもいかないし!
シオンが誰と付き合うことになったって、集団の一員であることに変わりない。例えシオンがどこかに行っちゃうことになっても、私は笑顔で彼を送り出す。そう決めた。
☆☆☆
「彼女のこと、よろしくね。親友になっても時々心配事を隠す癖があるから、よく観察すること!」
「もちろんですよ。彼女が戦っている状況に黙ってなんていられないですからね」
「そうだね。うん。それでいいよ」
どうしてだろう。シオンが1人で頑張ってる姿がうれしいはずなのに、身体が重たい。シオンが幸せなのに、どうして私には反対の言葉ばっかり浮かんでくるんだろう。
「ミカロ、今の状況幸せですか?」
「シオンよりは幸せじゃないかな。私にはまだ相手もいないし」
また私はシオンを否定した。どうして私はそうしてしまうのだろう。楽しくなんてない。
「僕もミカロと同じですよ。まだ相手がいないですし」
私達は顔を合わせ、シオンの肩に力を入れる。
「どういうこと!?」
私は笑顔と興奮があふれだした。彼は私の気持ちを落ち着かせ答える。
「師弟関係を結んだんですよ。そういえばミカロの部屋の前で話をしてましたね」
頭が真っ白。朝の光景が浮かんでくる。
僕をリ......の......しにしてください。
僕をリラーシアさんの......しに。
僕をリラーシアさんの弟子にしてくださ......
私の顔は熱く燃え上がった。私はその瞬間まで、シオンと目が合っていることに気が付かなかった。
「シオンの変態―っ!」
「ムグッ......」
「あ、シオン! シオンー!」
シオンが目覚めた瞬間、私は彼から目を逸らした。血は流れてないみたい。私は謝ったけど、返事は帰ってこない。
私達は背中を合わせ......られない。
アレ? あれ? おかしいなー、耳には結構自信があったんだけどなー。ファイスのこととか正星議院でもちょくちょく名前聞くし、間違いないと思ったんだけどなー。
っていうか私がベッドでウジウジ考えてたあの時間の意味は!? シオンにも見られたし、穴があったら入りたいっ!
私は心の中で足をばたつかせて気持ちを落ち着かせた。けれど、全然落ち着ける気がしない。
★★☆
僕は彼女の肩を布越しに叩き、彼女の顔を確認する。反応はない。横顔を無理やり覗きこむ。
「もしかしてミカロ、のぼせ......」
「覗き成敗!」
僕はまた顔を湯の中に沈められた。
「ハハッ......ハハハ」
彼女から笑いが零れる。僕は彼女を許し感謝した。当然拳のことではない。ありがとう。僕たちはまた背中を合わせた。
「綺麗だね、星」
「三首犬を助けたからですかね?」
「悪魔と助けたら悪いことが起きそうだけどね」
「それはミカロが十分......」
「どぉいう意味かなぁ、シオン?」
「ゴボゴボ......何でもないです」
「よろしい!」
彼女の壁は姿を消していた。僕の目の前にいるのは紛れもなく、ミカロ・タミアだ。彼女と目を合わせ、僕はまた沈められた。夜空が僕の怒りを無にする。
「そういえばエイビスさんのことをまだ話していなかったですね」
「どうせ面白そうってファイスが誘ったんでしょ?」
「よくわかりましたね」
「嫌になれてきちゃってるから」
彼女は笑みを僕から隠す。
素直に見せてくれれば彼女らしくてすごくいいのに。否定のからかいはファイスぐらいしかいないだろう。
「うれしくないですか?」
「うれしくないわけないわけないわけないじゃん!」
彼女の顔は見えずとも彼女がうなずいたのは間違いない。いつもは自分から他チームの女性と時間を合わせる必要があったが、もうそれも必要ない。僕は彼女にバレないよう笑みを浮かべる。
星は輝きを増し、僕たちから視界を奪う。
「シオン、記憶探しは順調そう?」
「ううっ......」
それを言われると心が痛い。サボっていたわけではないが、リラーシアさんとの師弟関係を結ぶための犠牲にしていた。手掛かりといえばユースチス事件のあの出来事ぐらいだ。金髪の女の子と何かを約束した。
あのとき起こったことを再現すれば、もしかしたらまた記憶の断片が蘇るんじゃ......
「……あと1年と2ヵ月かぁ。早いなー」
「何が......ですか? もしかして何か恐ろしいイベントか何かですか?」
「そんなんじゃないよ。もっと素敵で楽しいことだよ。......相手がいればね」
彼女の最後の言葉が心に突き刺さる。僕は彼女の手を握る。さすがに彼女も抵抗しなかった。僕は彼女の行動に念を入れて警戒する。
「シオンにはまだ言ってなかったね。病院の人にはパニックを生むかもしれないから落ち着いたときに伝えるよう言われてたの。私たちは20歳になったら結婚を義務づけられているの。例えそれが望まぬものだったとしても、その形に意味があるんだって」
僕は彼女から手を離す。けっこん? ミカロが言うにはあと1年と少し? そんな短期間で、これから何十年と一緒に暮らす相手を見つけなくちゃいけないのか!?
僕は湯船に映る星を静かに眺めた。彼女への返答を忘れてしまっていた。
「ビックリだよね。あと1年で誰かを決めなくちゃいけないなんて。シオンならきっといい人が見つかるよ。それに......」
彼女の言葉を聞きたくなかった。たとえそれが僕にとって希望であったとしても。僕は心の中で彼女の考えに首を振った。
やめてほしい。ミカロが僕に責任を感じる必要はみじんもない。それはまた別の問題のはずだ。
「もし誰も相手がいなかったら、私がシオンの相手になってあげるよ。さっき話した感じだと毎日楽しそうだし」
僕はずっとお湯の中に沈んでいたかった。が、無理やり外へと引っ張り出された。僕は自分が無力であることを思い知らされた。
彼女を救いたい。誰でもいい。力を貸してくれ。
「……ありがと」
僕は彼女の言葉を聞かなかったことにした。それは今もらうべき言葉じゃない。彼女が理想の相手と結ばれたとき、聞きたい言葉だ。
相手を探そう。師弟関係は完了した。ミカロのためにも絶対にあきらめられない。最悪正星議院にバレてもミカロには幻を見せよう。
僕は対策を心の奥に隠した。
僕たちは制限時間を乗り越え、浴衣で外の風を感じ、清涼感のする透明の泡の飲み物を口に含んでいた。とはいえ何度も彼女の一糸まとわぬ姿を見てしまった。これは、彼女が冷静になるたび鉄拳が飛んでくるだろう。
まぁ誰かに混浴の事実が漏れそうだから、もしかしたら何とかできるかもしれない。特にファイスに聞かれたら1週間は彼女から口をきいてもらえないだろう。
彼女とは聖霊のコントロールについて語り合った。気が付いた時には彼女が3本も同じものを飲み干していたことに驚いたが、それほど夢中なことに思わず微笑してしまった。聖霊の力、どんなものか気になるけれど、見せてもらえるのは彼女の真価になってからだろう。
「それじゃあ私は先に寝るね。明日もリラと修行なんだから早めに寝なよ?」
「もちろんですよ。おやすみなさい」
「おやすみー」
僕は彼女の背中に誓う。記憶のこと。何より彼女の人生を華やかにすることを。流星が流れる。僕の気づきが気持ちを逸らせたかな。