第32話
温泉の離れにまさに戦闘に適したような洞窟が海に面していた。彼女もここで修行したのだろうか? と考えてしまうほど足に迷いがなかった。僕1人で戻れるか少し不安だ。
そこには深緑髪の彼女もいた。姿が見えないと思ったらこんなところにいたのか。できればミカロのことをお願いしたい、と言いたいが首を横に振られるのは承知できた。
「どうして彼女が?」
「最初のステップで手伝ってもらうことにしたのです。あらゆる分野での攻撃を避けることが攻撃への道となりますから」
僕とリラーシアさんとの鍛錬は始まった。最初はアスタロトさんの矢を放たれた矢の3倍の距離から避けるというものだった。時間で言えば2,3秒ほどだ。一瞬でも彼女の狙いを読めなければ僕の身体に腕が一本増えることになる。
始めは彼女も手加減をしてくれたのか、目線で場所を教えてくれた。不意に関係のない位置を放てる材料となってしまったが、かすり傷だけで済んだ。気が付けば彼女との距離は直の距離、1秒もない世界だった。
まるでゲーム感覚だけれどガードをするのは禁止だった。あくまで避けるための感覚を働かせるための訓練。鉾がないだけで僕は意外と素早いことに気が付けた。鉾を持った後の自分に傷が大量についたのは言うまでもない。
苦い回復薬が体に、いや喉に染みる。彼がこれは飲み物ではないと拒んでいる。無理に押し込む。傷が消え、そして見えないところで増えた。
そしてリラーシアさんとの鍛錬、彼女の動きには無駄がなかった。僕は読みを深めるばかりで意味をなしていない動きを彼女に何度も注意された。体の傷よりも腕の注意の方が多いような気がした。僕は部屋に連れられ気絶していたことを知った。情けない。けれどうれしさのある1日だった。
夜空がハッキリと見える。星々をつなぐとある形になるというけれど、あそこまでわかりやすく三点がつながって見えるとは思わなかった。いい日だった。明日も頑張......
銀髪の彼女は僕に横顔を見せつけていた。魅了されてしまった僕は彼女の隣に座る。彼女が遠ざかる。近寄る。遠ざかる。近寄......
「ミカロ、昨日何があったのか教えてもらえませんか?」
「別に何もないよ。すぐ近くにいる必要はないかなーって思っただけで」
彼女は僕に目を合わせ僕のことを見ていなかった。……どうしてこんなにもうまくいかない。気に入らない。僕は彼女を地に追いやり彼女の動きを封じる。床の冷たさと彼女の温かさが伝わる。
「シオン!?」
「教えてもらえないですか? ミカロの励みになりたいんです!」
「……私はシオンの保護者だけどさ、シオンは私のこと気にしなくていいんだよ。明日もリラとの修行あるんでしょ? だったら早く寝ないと身体に悪......」
「そんなこと関係ないですよ! ミカロが落ち込んでいるような姿だと気になって仕方ないんです。いったい何があったんですか? 僕が原因ですか?」
彼女は目を逸らす。彼女との距離が遠い。いくら近づいても気づいた時には米粒のような大きさをしていて、追いかけてばかりいる。そんな自分に納得がいかない。
僕は悩んでいる彼女よりも、陽気で明るく声をかけてくれる素直で少しおっちょこちょいな彼女の方が好きだ。床を握りしめる。
「……ショックだったんだ」
「え?」
月明かりに照らされた彼女の顔、艶やかな唇、輝く目に僕は彼女の言葉が耳に入ってこなかった。僕は動きを忘れ冷静になるために彼女を起こす。
息を循環し彼女の話を再開する。
惑星霊。つまりは彼女には新しい聖霊が仲間になったのだという。いや、最近コントロールできるようになったみたいだ。けれど制限時間どころかまだ1/5の実力も出せていないのだという。彼女はアスタロトたちや僕を重ね、自分には何ができたのだろう。リラーシアさんがいなければ和服の女性に僕やアスタロトさんたちの、やられる姿をまじまじと見せつけられかけた。
それがどんなに恐ろしい想像かは嫌でも理解できる。僕が囚われた状況下で、果たしてエイビスさんのような覚悟の言葉を僕はミカロに放てただろうか。例え二度と誰とも会話ができなくとも、その先の何かを変えるために自分の命を投げ打つ覚悟が僕にあっただろうか。
……いや、きっと僕はそんなことは言わなかっただろう。彼女の助けが届くと信じて疑わず彼女を待ち続けるだろう。例え彼女が傷つけられても今の状況に納得し決して自分からは......
情けない。リラーシアさんの弟子になってもまだ彼女の隣にいるのはふさわしくない。そう思えた。けれど現実からは逃げられない。僕は彼女の顔を見る。
彼女の目からは天の川が流れていた。長く滞りのないその川に僕は彼女の手を握る。天の川が2つに増える。
「シオンのバカっ......握らないでよ。涙、止まんないじゃん......」
僕は彼女の後悔を耳で共有した。柔らかい感触よりも僕には彼女の思いに気づいてあげられなかったことに自分自身に腹が立っていた。横腹を殴って倒れさせたいほどに。
「あ、すみませ~ん。ちょっといいですか?」
黒髪の僕たち同じくらいの年の男女が僕たちに声をかける。僕たちは手を互いの肩から離し肩に力を入れたままうなずく。
「これ、使います? 本当は彼と入りたかったんだけど、私が飽きてきちゃってー」
彼女たちから金色の鍵を渡された。そこには“貸切り風呂 星空の湯”と書いてある。僕には意味が読み取れたが、ミカロは2人を見たまま何も言わなかった。落ち着け。返すっていう手もある。それを教えれば彼らも納得してくれ......
僕たちは2人が僕らを無視し身を寄せ合い、唇を近づけているのに気が付きミカロの手を掴みその場を後にする。僕の手には困った鍵だけが残った。
今更ながら女将さんの言葉を思い出す。“夜中に女性に会いに行ったら、どうなるかわかりはりますなぁ?”
殺される。間違いなく言葉を発するまでもなく首を掻っ切られる。ミカロは僕が注意を張り巡らせていることに疑問を感じている。彼女はさっきまで空を眺めていた。きっと部屋にしかさっきのことを伝えていないのだろう。
正直なところこのまま一緒にいることもマズいんじゃないか? そんなことを考えている間に僕たちは貸切り風呂の場所に訪れた。流星の間、浮星の間、色星の間、そして星空の間。どれも魅力的なことだけは間違いないだろうけど、今回はお預けだ。さすがにそろそろ寝ないと危険だ。明日リラーシアさんの剣に血が付かなきゃいいけど。
「ささっ、早くお入りな! 時間ないよー」
「ええっ!?」
「タイマー作動。制限時間終了マデ退出ヲ禁ジマス」
僕たちは星空に捕らわれた。何度まばたきをしても状況は変わらない。風が体に入り込んでくる。少し寒いか......けどこのまま待つほかないか。そうすればロックは解除されるだろうし。
彼女は僕の肩に優しく触れる。思わず身体が固まってしまう。夢中になっていたとはいえどこで女将さんが見ているかわからない。いない。よし。
「あのさ、寒いし一緒に入らない?」
「いいですよ。……ええっ!?」
きっと僕の顔は真っ赤になったことだろう。けれど彼女の言葉が何を意味しているのか僕には理解できた。反対する理由がない。僕の本心がその答えをすでに出していた。