第30話
「ありがとうございます。僕たちは助ける側だったのに、わざわざ治療までしてもらって......」
「皆さんが大きな傷なく何よりですわ。わたくしにはこれくらいしかできませんから」
右腕を上げれば彼女の薔薇のマークの施された包帯が目に入る。彼女のおかげでミカロの呼吸も落ち着きを取り戻していた。回復薬は実際味がひどい。今回は苦しまなくて済むことがどんなにうれしいことか。
……いや、少し失礼だな。
彼女は自分の心を押さえつけるように、両手を胸前で握った。
「不安ですか?」
「期待もありますが、否めませんわ」
「口に出すのはいいことだと思いますよ。誰かが心の治療には書きなぐるかしゃべりたおすのがちょうどいいと言っていますし」
「話しつくす、ですか。シオンさま。お付き合いいただいても?」
首を横に振る必要はなかった。何より彼女に恩返しができることに腕を振り上げたいぐらいだった。負傷者に向かってそんな興奮めいた事は出来ないけれど。
エイビスさんは彼らに捕らえられるまでは1人でクエスターをしていた。楽しく過ごしていたようだけれど、彼らの人数差には勝てず僕たちと出会うことになったのだという。
砂男と氷の武器を使う2人は倒したというのがすごい。僕は戦っていないからわからないが、おそらく彼らも生半可な強さではないだろう。やっぱり1人の方が責任で強くなれるのか?
「けれど、今回の出来事から感じたことがあります。人数もありますが、わたくしだけでできることには限りがあるのだと。そしてさらに不安なこともあるのです......」
考えは消えていた。僕が望んだことだったのか、それとも彼女に乗せられたのか。僕は希望の言葉を彼女に向ける。
「僕たちのチームに入る、というのはどうですか?」
彼女は体を傾けたまま動きを止めた。重圧が押し寄せる。思わず唾を飲む。頭を下げるべきか? もしかしてリラーシアさんの考えているように僕は......
「その言葉をお待ちしていましたわ。シオンさま、今後よりよろしくお願いいたしますわ」
彼女は目を輝かせて僕に意思を告げる。その勢いにうなずかないわけにはいかない。彼女の治療技術やさっきの話での力量はきっと僕たちにとって何かの変化を起こしてくれるはずだ。
冷や汗が頬を流れる。
「でも、大丈夫ですかね。僕はリーダーじゃないですし勝手に決めるわけにも......」
「そんなにお堅い方なのですか? わたくしにはそうは見えなかったのですが」
心では考えは決まっていた。何より100%問題ないとわかりきっていた。僕の知っている彼はそうするはずだ。女性メンバー増員のため、治療のた......いや違うか、白状した。それを僕はこころの中にしまいこむ。
「大丈夫だと思います。彼は寛大が取り柄ですから」
「よろしくお願いします、シオンさま!」
彼女は身体ごと僕に飛び込む。目線が近い。僕はソファーから立ち上がりミカロのことを彼女に任せた。
景色の変化が難しい。どうやって場所を見分けているんだろう。そんなことを考えていたらいつもの3人組と出くわした。
「お、ミカロと彼女は大丈夫そうか?」
「ええ。ファイスも問題ないみたいですね」
「まぁな! 実際やられたのは肩だけだったから痛みも少なかったしな」
「何を言っている、肩でも十分重症だ。エイビス・ラターシャがなんとか処理をしてくれたからよかったものの、本来なら2、3日は苦痛に悩まされている所だったんだぞ」
また論争が始まってしまった。話し倒すことが大切だとは思ったものの、終わりの見えないものほど恐ろしいものはない。僕は彼らの間に無理やり押し入り提案を始める。
けれどそれは話がほぼ終結したころだった。息が痛い。リラーシアさんとの日々に影が見え始める。
「1つ報告があるんですけど」
「んぁ? ようやく付き合うようになったのか? 全くそんな報告しなくてももうとっくに気づい......」
「違いますよ! エイビスさんをチームに引き入れませんか? 彼女の許可もありますし、何より治療の幅が広い彼女ならクエストもジャンルが広がると思うんです。どうですか?」
珍しく彼は考える姿勢を見せた。顔つきは眉間に力の加わったものに変わり、フォメアと話し始めた。僕が景色の変わらない空を見上げたかと思えば、話し合いは終了していた。
「問題ねぇよ。偶然とはいえ知り合えたわけだしな。俺たちとしては大歓迎だ。エイビスだっけか? そいつにちゃんと伝えておけよ」
「は、はい!」
ずいぶん簡単に納得してくれた。さっきの行動はいったい何だったんだ? フォメアには納得をするため残ってもらった。
「ファイス、何に悩んでいたんですか?」
「くだらない話だ。“あいつ、ミカロを捨てたのか?”と相談してきてな。“知らん”と返して納得してもらった。おそらくチームにエイビス・ラターシャを入れることは二つ返事だったが、ミカロのことは放っておけなかったのだろうな」
「妄想が激しいというか、迷惑というか......」
「まぁあいつはミカロの保護者のような時期があったと聞く。そうなればさっきの行動や前々の冗談も意味を成すんじゃないか?」
ファイスの印象が変わる。そうか、だから彼はミカロを心配して......てっきり彼女のことを好いているのかと思っていた。もしかしたら感情が変化することもあり得なくはないけど。
僕は彼にエイビスさんを連れてくるよう言われ、その後にミカロの体調確認を彼女から任された。そうだ、彼女への言葉を忘れるところだった。
彼女は髪を整える最中だったのか、全てを毛布の上に置き、机には櫛が置かれていた。僕に気が付くと彼女は窓を向いた。……嫌われるのも無理はない。
椅子に座り彼女の体調を訪ねる。言葉は帰ってこない。寝ていると思いたいが、彼女に限ってそんなことはあり得ないだろう。彼女は窓の雲のない場所の景色を楽しんでいるように見えた。
僕に気が付くと彼女は身体を固まらせた。どうやら気づいていなかったらしい。僕は苦笑して彼女から目を逸らした。気づいてもらえたところで僕は上半身を彼女に倒した。
「すみませんでした、ミカロが疲労を溜めていたことに気が付けなくて......今度からは気を付けますが、できれば、教えてくれるとうれしいです」
沈黙。当然だ。恩人に失礼なことをしてしまった。僕に彼女の言葉は必要ない。大切なのは向上し......
頭が揺れる。いつものお手つき(チョップ)だ。けれど羽毛に包まれていたように柔らかい感触がした。
「気にしなくていいよ、私が原因だもん。コントロールがうまくいかなかっただけだから、シオンのせいじゃないよ」
「どういうことですか?」
彼女は答えをくれなかった。逃げるようにベッドの中に隠れ休養を取り始める。僕は彼女の願いを聞き入れた。
彼女のことを気持ちが悪いと思ったのはこれが初めてだ。心の中に雲が浮かんでゆく。そんな彼女に僕は言葉を失っていた。
僕のベッドに飛び込み目を閉じる。さっきの彼女のことが頭から離れない。いったい何があったんだ。知りたい。アスタロトさんなら教えてくれるだろうか......