第29話
「武器を捨て我に従え」
「ダメ、ですわシオンさま。わたくしのことは構いませんから、敵にトドメを......」
彼女の足から紫色の水が流れている。彼女の眉間の力が抜けていかない。……どれだけ彼女を苦しませれば気が済むんだ。狙うのなら直接戦いに来ればいいじゃないか。いや、そんな真っ当な人だったら悪い人なわけがないか。
目の前の敵を考えると歯に力が入る。
「武装発光!」
敵の視界を光で包み、彼女を左肩に乗せる。それと同時に敵を打ち上げ地面にたたきつける。定番の三段攻撃を仕掛けようとしたが、その必要はなかった。
「エイビス! 聞こえますか!」
「シオンさま......わたくしは幸せですわ。あなたのような素敵な方の隣でこうしていつかやってくる天を待つことができるのですから」
「バカなこと言わないでくださいよ! 俺にできることを教えてください!」
「愛のキス、というものをご存知でいらっしゃいますか?」
なんだ? 僕の頭は真っ白になった。彼女が目を閉じた瞬間その意味を理解した。どうする!? こんなので彼女を救えるのか? 彼女の眉間の力が強くなっていく。
「ふぅ~、冗談ですわ。本当は解毒用の薬剤がわたくしのポケットにございますので、ご安心ください」
崩れるように地に座り込んだ。彼女には勝てる気がしない。薬を飲むと彼女の眉間への力は姿を消した。これで一安し......
彼女は僕に飛び込んできた。いや違う。揺れている。耳に違和感を覚えた。
『聞こえる?』
『おう、バッチリだ!』
『はい!』
『敵がいなくなったせいかケルベロスが自我を取り戻したわ。このままいればどうなるかは想像つくでしょ? 早いとこ地上に戻ってくることね』
頭に言葉が流れなくなった。揺れが激しくなった。どうやら本当みたいだ。エイビスの手を取り......彼女は座ったまま困惑していた。仕方ないっ!
僕は彼女を両手で持ち上げ走り出す。階段4階分は辛いが登り切るしかない。階段が姿を消していた。ワインズか? 気にしない。
目印のように1階へと続く道が穴がある。柔らかさの入り始めた床。どう行くか。
鉾の衝撃と共に宙へと飛び上がる。頭を真っ白にして光を目指した。
光で照らされたとき、僕は彼女と目が合った。輝きに満ちた、悪くない目だった。不思議な人だ。さっきまでさまよっていた人物とは思えないほど彼女は僕に重みを預けていた。
「シオン! 大丈夫!?」
「なんとかなりました。とはいえ全ての真相は彼の腹の中になってしまいましたけど」
「そうだね、まったく動物を根城にしてたな......」
僕は彼女の体を押さえる。中身のない感触に手が震える。僕は星を解除して彼女をおぶった。
彼女の考えなんてお構いなし。困ろうが僕の知ったことじゃない。
彼女が暴れたとき、その意思を尊重しようか迷う。けどそんなことしたら彼女に失礼に思った。なにより彼女が感謝をつぶやいたのを見逃さなかった。
またファイスの口が潤いそうだ。エイビスさんはなぜか睨むように僕たちのことを見ている。やっぱりあの冗談を真に受ければよかっただろうか、とはいえ僕も彼女と同じ状態になるような気がしていた。
殺気。僕は彼女たちを背に近づく足音に耳を傾ける。皺のない紫色の厚着が目立つ帯で整えられた服。赤色の傘を持った不自然な姿に僕はミカロを彼女に任せた。
「ようこそ来ぃはったなぁ。うちともお相手よろしゅうなぁ」
彼女の柔らかい言葉と裏腹に矢が空間を砕く。彼女の顔の前で矢は木くずへ姿を変えた。
赤髪の背中を見て突き進む。交代に攻撃を仕掛けるも上空から見ているかのように服すらかすらず攻撃をかわす。
僕の鉾は宙を踊った。僕はファイスたちを遠くに投げ飛ばし彼女の手......剣?
「ここから先は私の戦場です。巨栄・吹雪!」
背筋の凍るような感触がする。5mはある剣が敵に襲い掛かる。距離を作ったかと思えば、存在を消した。リラーシアさんが周囲に神経を張ったが、変化はなかった。
彼女は僕を見て笑顔を浮かべた。
「またお会いしましょ、シオンはん」
彼女は姿を消し、僕は今更座っていたことに気が付いた。
僕たち全員はリラーシアさんの空撃の雲によって保護される運びとなった。落ち着きを感じた。
ミカロはエイビスの隣で眠っている。きっとワインズよりも強い敵と対峙していたのだろう。そのせいかアスタロトさんは身体に問題のない様子でリラーシアさんと話をしている。
雲に化けた戦艦の風を受けると気持ちが和らいでゆく。僕は忘れる前にすべき事を思い出した。
彼女は僕の目の前に現れた瞬間、頭を下げる。こんなことで許されるとは思っていない。けれどこんなことでもしなければ僕は甘い考えを選んでしまう。エイビスさんに頭を床にたたきつけられなくても文句は言えない。彼女は僕の肩に触れた。
「僕のせいでエイビスさんが傷つくはめに......」
「顔を上げてくださいますか、シオンさま?」
顔を上げるとそこには青空が広がっていた。雲1つない僕の心とは全く違う空間。面白すぎるほどに全く違っていた。
「シオンさまがいなければ広大な青空を見ることができませんでした。シオンさまが謝る必要なんて1つもありませんわ。わたくしは......」
彼女の両手に乗るべきか、それとも大海に身を沈めるべきか。僕はその答えを考える暇なく、彼女の肩を受け入れた。彼女はゆっくりと優しさを持った寝息を僕に見せた。
「……いい身分ね。幸せそうで何より、ハーレムを好きなだけ楽しむといいわ」
「ちょ......寝台に運ぶの手伝ってくださいよ!」
「寝込みの奇襲報告なんていらないわよ」
「違いますって!」
僕は彼女を背負い風から逃れた。安堵してエイビスさんは疲れがあふれだしたのだろう。僕はリラーシアさんを探......
「2人は疲労が原因ですか?」
「僕の責任です。ミカロが前々から疲れがたまっていたことに気づけなかったなんて......」
リラーシアさんの眉に力が入る。親友ならなおさらふさわしい行動だった。彼女の時間なんて知らない。僕は守りを貫き通す。無理にでも願いを聞き入れてもらう。
「弟子にしてくださいっ! 僕の不甲斐なさを救えるのはあなたしかいないんです!」
「一歩間違えれば愛の言葉のように聞こえる勢いですね。嫌です、と言いたいところですがあなたには勇気が見せられました。そして何かしらの陰謀のようなものに巻き込まれているような予感もあります」
「それって?」
「いいでしょう。ミカロとエイビス・ラターシャ、その他方々も休養を取ってもらいます。ただあなたにはキツイ日々になるでしょうが」
そういうことか。僕の行動は直接関係していない。それでも喜びと葛藤が入り混じる形だ。まだ灰色よりは数倍マシさ。
彼女は目を合わせてくれない。いつもと違い僕に気づかれないよう僕のことをチラ見している。頬は赤くない。
「どうかしたんですか? 何かに気づいているような顔をしていますけど?」
「いえ、殿下とあなたが知り合ったことの運命点を少し考えてみたのですが、エイビス・ラターシャを手ごまにしていたあたり、女性を誘惑しやすい境遇にあるのだと思えば納得がいきまして......」
「そんなわけないじゃないですか! セレサリアさんにそういった趣味があるのは否定しませんけど」
「殿下を愚弄するとはずいぶんと偉くなったものですね。弟子入りを許可したことを非常に後悔しています」
目の前には赤い剣。僕は両手を挙げて彼女に笑みを浮かべる。理解してもらえたのか、彼女はその場から去って行った。危ない、あやうく殺されかけた。さっきの敵もそうだけどリラーシアさんもたいがいだ。彼女を手で転がすような発言は控えよう、特にファイスのような冗談を言ったら間違いなく耳が吹き飛びそうだ。
「シオンさま......」
聞きなれてきた女性の声。僕は優しく包んできた彼女の手に従いつられていった。やってきたのは僕の部屋だ。3人一室なのだが当然リラーシアさんは僕やミカロを同じ部屋にはしてくれなかった。……いや、それが普通か。エイビスさんもきっとそれを望んでいるに違いない。
僕たちはソファーに腰掛け彼女が話すのを待った。彼女はどうするのだろう。確かに休養は大切だ。けれど彼女には僕とは少し違う空白の時間が存在する。聞いてみたい。いや、わざわざ古傷をほじくり返すようなことは遠慮しておこう。彼女に失礼だ。
何より僕には、僕たちには彼女にいうべき言葉があった。