第113話「波動」
前回のあらすじ
・視界のない状況での脱出課題、敵から上手く逃げ出せた。
一安心とも言えない。地面が妙に沈む。盛り上がったマシュマロの手触りがする大地、その奥にはゼリーを思わせる二つのコブ。そして服に似た触れあいの肌。浮き上がり消えると、首に何かが当たる。ゆっくりと何かが体へと垂れていく。
「良い度胸だね。けどここでもうお終いだよ」
羽交い締めの痛みなんて気にもならない。声が妙に彼女に似ている。
「Shineなのか?」
「シオン君?」
「そうだ。モキュは一緒にいないのか」
「うん、じゃあシオン君と私しか知らない恥ずかしい出来事を教えてもらおうかな」
「冗談だろ?」
「声を真似できないとは限らないからね」
「互いの服を交換してそのまま遊んだことがある」
セインは何も言わず、けれど首に当てていたものを外し僕に背中を合わせる。さっきまでの感触はやっぱり彼女だよな。少し謝りづらい。
「まさかこんなにすぐ会えるなんて思わなかったよ」
「ミカロちゃんも毎回大変だよ。よくパンチで済むね。……あの人にもないのに」
「何か言った?」
「なんでもないよ。それよりシオン君も鍵を持っているの?」
話していて忘れていた。となるとセインはそこまで動いていないみたいだな。鍵が合いそうな気はしないが、やってみよう。
右にひねっても一向に動かない鍵。そう簡単に開放できるはずもないか。
擦れる草履の音が耳に流れる。次第に大きくなっていき、僕らの前でそれは止まる。咆哮の香りはない。セインを後ろに立ちふさがった。頭の中では一人だけが浮かびあがっている。ちょうど立ち止まっているだけならいいのだが。
「ほう、二人が同時に見つかるとは思わなんだ。けれど我だけが見えている状況で斬るのもつまらん。鍵を置いていったら見逃してやろう。どうじゃ?」
ヒラユギだ。けれどえらく冷静だ。姿が見えているのはハッタリなのか? いや、暗闇なら二人だとわかるわけもない。セインの毛が耳に被さる。
「シオン君、どうする?」
「ここは引きましょう。残念なことに姿が見えているようですから」
彼女の声はハッキリとかがんだ僕らに向かって話している。それに何より適当に投げた鍵を一発で取れるとは思えない。ウソであっても時間は稼げる。
「わかった。シオン君は反対に言って。私はできるだけ近づいてみるよ」
「親友をそんな簡単に見捨てて行くわけないだろう。僕を悪者にしたいのか?」
「さてどうかな。シオン君は目の前のチャンスを逃す人とは思えないけど」
モニターで塞がれていても表情が思い浮かぶ。人の不幸を笑うような不敵な笑顔。裏切らないと分かっていても恐怖がある。
「行くよ」
鍵の着地と同時にバイクの走行音が周囲を支配し、草履が振り向いて止まる。飛びかかり両手斧を振り下ろすと刀独特の直線上の反響が鳴る。彼女は僕だと気が付いただろう。
「まさかこんな状況で再会か。最前線機関は何を考えておるのかわかったものでない」
「それだけ切羽詰まっているのでは?」
「いやそれはない。それに主はここで終わりだから気にする必要もないの」
仲間だった過去もあって攻撃方法はあまり変わっていない。左右の振りで牽制して正斬。不思議とダメージも受けていない。視覚を超越できるなんて思ってもみなかった。
「手破冷白!」
彼女から冷気が広がっていく。確か剣技だけじゃなく体術も得意だったっけ。両手斧で地面に印をつけ、足の感覚で距離を測る。大体大振りと同じだ。見えていなくても体は覚えている。
「地表遊離」
「くっ」
ぬかるんだ地面に体が埋まっていく。男の声だった。ヒラユギのチームメンバーまで揃っていたのか。
「ずいぶんと面白いことをしているじゃないか。視覚遮断の戦闘を行うなんてね」
「主はどちらの味方じゃ?」
ヒラユギの興味が僕らから逸れている。やはり姿は見えているのか。最悪なことに彼の声は僕の後ろからする。挟まれた。
耳に留めてしまうほどの失笑の声。次第に大きくなっていくそれはまさに自殺行為だ。それでも彼は僕らを虫のように嗤う。
「興味すらないよ」
何かを突風の勢いで飛ばし、ヒラユギの悶える声が広がる。目が合ってもその正体を理解できた気がしない。間違いなく強い。
「鍵を彼らに返したまえ。セプタージュでは殺生は禁止されている。けれど重傷はその限りではないだろう」
「……了解した」
二回鍵の落ちる音がすると風が吹き抜け、二人の息遣いが消えた。顔を確認できなかったのが何より悔しい。
「どっちがセインのだろう?」
「バルフリートさんもいたんだ。少しビックリしちゃった。鍵はどっちも同じ形みたいだから、私は左をもらうね」
さっき遭遇した人の名前か。何か交友がありそうだが、こんな奇襲にも気づけない状態で時間を割ける余裕はないな。
「しばらくは一緒に行動しよう。二対一なら攻撃を仕掛けてくることもないだろうし」
「うん、みんな別のチームの人と手を組んでいるのかな。どうやって集まろう」
シャルルフォーゼさんとエイビスみたいに二人とも知り合えていればいいが、そうでないと合流させてくれるとは思えない。交渉でなんとかするしかないか。
デバイスも別のモノに替えられているから電話もできない。条件はみんな同じだが。
「ンガァァアア!」
「シオン!」
その声は一番聞きたくのないものだった。棍棒に似た長物が地面にたたきつける音。土屑が自分へとぶつかって来る。怪物の方向が正面から響く。ポータルが近いのか?
「シェト、何が起こっている?」
「あいつが追いかけるのを止めてくれなくてね。モニターをいじったせいかも」
「それが原因かもしれない。僕も開錠しようとしたら襲われた。シェトはサポートを任せる。視界は見えるのか?」
「見えないわ。鍵が合っていないみたい」
見えないのか。シェトランテなら破壊くらい簡単だと思ったんだが。ここで助けないと困ったことになりそうだ。
「セイン、攻撃と同時に飛び乗る。下は任せるよ」
「了解。こっちを見てくれればいいけど」
身を屈め読み通り横の風が流れると飛び上がり、両手斧を正面で振り降ろす。頬を擦る攻撃など気にせず、顔側面に横振り、吹き飛んだ正面に垂直線。衝撃の渦中で後ろから熱が近づいてきている。セインか。
「光鹿二双!」
飛び上がり一撃で終わらせる。逃げられては位置もわからない。
「炎翔!」
セインの光を纏い加速する。炎焼の音が聞こえ正四辺の攻撃から朦朧とするところを一突き。咆哮は聞こえてこない。
「ガァアアア!」
岩の落ちる音。さっきまでの装甲か。身軽になられるとそれこそ留めていられるか微妙だな。
「準備できたわ。一気にやりなさい、シオン」
電子音が響き怪物の咆哮が唸る。けれど地響きは減っている。浮かんでいるのか?
「両足を仕留めたわ。適当に叩きこんで」
ずいぶん雑なサポートだ。視界が見えないからしょうがない部分もあるが。セインは一足先に飛び上がる。火が起きそうなほどに素早い発収の繰り返しが声の高なりを大きくしていく。
「ソードビット!」
「ムァアアア!」
肩が熱い。苦し紛れに火を僕に喰らわせたのか。悪いけれど怒るのはこっちも得意なんだ。彼女がよくそうするから。
「波動・炎天!」
「ガァ!」
突風のような炎の咆哮。火事にならないか不安だが、今は感謝している。おかげで全身に焔が行き渡った。
「炎天・紅爛!」
激突した部分は弾丸のようにいとも簡単に吹き飛んだ。頭でないと信じたいが、さっきまでの咆哮が聞こえてこない。少し興ざめだ。
メールを受信したような電子音が響き、モニターは空へと飛んで行く。霧に包まれ数歩進んだところまでしか先が見えない。これじゃあ耳を集中させているみんなが有利だな。ハメられた。いやシェトランテの罠かもしれない。最悪なことにゴーレムの頭が足元にあるし。
けれど慎重に動く彼女を見ていられるのは少し楽しい。
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