第111話「銀髪の彼女は激昂に喜する」
前回のあらすじ
・セインが管理者であることを知り、他言無用の契約を交わす。
・セプタージュ所属のロビンと出会った。
ミカロは黙ったまま何も話してこない。珍しい。けれど彼女がいるのに声が聞こえないのはなんとも不気味で気持ちが悪い。朝食でも考えているのか?
「シオンも誰かに誘われた?」
「丁重にお断りしといたよ」
「そっか、そうだよね。信じてなかったわけじゃないけど心配してた。ちょっとスッキリしたよ」
「夜食のことでも考えると思ってたよ」
「そんな呑気なこと真剣に考えているわけないでしょ」
「困ったときはリンゴ、ですもんね」
「わかってるじゃん」と言わんばかりの澄まし顔。「ちょっと、一走りしてきてよ」とでも言われる予感がしたが、その命令は来ない。リンゴの味に飽きてきたのか、それとも減量を極め終わったに違いない。真相は鉄拳の後に知れる。聞きはしないが。
「なんだか気が抜けて小腹が空いてきちゃった。何か買ってきてよ」
「おあいにくさま。リンゴのおかげでスズメの涙ほどしか残っていないもので」
ミカロは明後日の方向を向いたまま振り返らない。拗ねちゃったか。にしてもその後ろ姿は寂し気が漂っている。思えばエイビスには何も頼んだりしていなかった。信頼が傷ついていたこともあるけれど。
蜂針のような指で肩を二度突かれ、振り向くとミカロは何度か僕と目を合わせ、囁くように口を開く。
「だったら私が奢ってあげなくもないけど?」
「ミカロにしてはなかなか面白いこと言いますね」
「冗談に決まっているでしょ。明日もあるんだしぃ!?」
「行きますよ。ミカロもたまには人に合わせることを学んでほしいと前から思っていましたから」
久しぶりにひたりと笑顔を彼女に見せつけ手に取る。石のように固まったかと思えばクッションのように柔らかみをともしたその手は嫌々な感情を語らない。ミカロは僕に連れられるまま歩いてくる。目を合わせようとすると逸らしてくる。いつもの立場が逆転したようで恥ずかしいに違いない。
気分は悪魔のように傲慢で怠惰だ。何も考えず呑気に歩いたのはいつ以来かと現状が誤魔化され気分をさらに盛り上げていく。さながらオーケストラの音楽上で踊っているときのうれしさだ。
空を眺めてやっと見ることのできる僕らの宿舎。セプタージュ地区から離れ国境を挟んだ市街地ではジョッキを片手に笑いあう男女の姿が見える。僕らの町ではなかなか見ることのできない光景だが、平和の文字を押し付けられているように思える。それにしてもよく通してくれたな。ウルカさんとかもここで楽しんでいるかも。
店員も僕たちに妙に目をとめることなどなく、しかも礼儀正しく静かにお酒を楽しむ二階席に案内してくれた。感謝のチップを差し入れ席につくとミカロは腕を組み納得のいっていない顔を見せる。何も頼まないのも失礼なので、僕が店員を呼んだ。彼女は否定しない。
「私は飲まないからね」
「そこはわきまえているよ。それに僕も味を知らないから」
彼女の不満顔は人気のない暗闇に光るランタンやロウソクに火で電飾された煌びやかな景色を向く。けれどやってきた一皿を前に衝撃色を見せた。中央に配置された布団の如くもっちり柔らかいパンケーキ。頂点には羽ばたく鳥をあしらったリンゴ、隅にブルーベリーやいちごのソース。
僕のすまし顔など見ることなく、ミカロはナイフとフォークを握り金銀財宝を見るような目でそれに焦点を整える。店員が去るなり手早く一口大を頬張り、ほっぺが落ちないように高揚の顔で押さえる。
本当なら紅茶を飲みたいが、明日を考えると水が精一杯だ。味が乏しい。ミカロは申し訳なさそうな顔で一口大のフォークを僕に突き付ける。本当に言いたいことほど話すことができないのは変わっていないみたいだ。
味はとろけるような感触を何度も味わいたくなるほど新鮮で濃厚だ。全てを喉に通すその時まで目を逸らすことなく、なくなったかと思えば、さらにフォークを構える。
「美味しい?」
「うん。ミカロが喜んでくれたようで嬉しいよ」
「ありがとう。シオンは注文しないの?」
「甘すぎるものは苦い思い出があってね」
「そっか、ごめん」
「気にしてないよ。早くしないとパンケーキ冷めちゃうよ」
また謝らせてしまった。真実を離せば苦く、嘘で塗り固めればとても甘い。そんなコーヒーゼリーのような自分が恨めしい。ミカロがこちらにパンケーキをよこしてくれない。事実は残酷だ。僕自身のせいでなかろうと変わらない。
皿は真っ白になり、ミカロは会計を済ますため立ち上がったかと思えばメニューをもらって一喜一憂する。やっぱりリンゴだけの生活は腹を強欲にさせていたに違いない。体重計の上で絶句する結果にならないといいが。
決められなかったようで僕にメニューを押し付けるように見せる。ページに映るハンバーグなどのボリューミーな肉の数々。これを食べろ、いや食べてほしいともとれる願いこもった上目遣いを前にすると少し断りづらい。
「少し眠っていたんだからお腹空いているでしょ。私の奢りじゃ気分悪い?」
「そんなことないよ」
さすがに水だけじゃ奢った気にもなれないか。先にアイスでも頼んでおけばよかった。ここまで提示されては食べるしかないよな。注文すると彼女は久しぶりに満点の曇りない笑顔を見せる。
確かに美味だったが、やっぱり腹には程度を超えていてミカロにも手伝ってもらった。なんだかんだ彼女は4割ほど食べていた。やっぱり我慢できなかったんだな。
「美味しかったー。シオンは?」
「とろける肉厚、また食べに行きたくなる味だったよ」
緊張と不安の影はどこかに消え、彼女に自然と笑顔が灯っているのが救いだ。時計も既に頂上。ホテルに戻るか。
こんな風にのんびりと夜を無駄にしていたら、しかめ面のリラーシアさんがひょっこり姿を見せるんじゃないかと思ってしまう。今何をしているのだろう。
宿舎に戻るなりミカロは僕に財布から札束を取り出し僕に差し出す。これだけあれば彼らの鎧を十個買っても余るだろう。お父さんパワーは強い。
「遅くなったけど、この前のお礼。直でごめん」
「冗談ですよ。お金には困ってないよ」
振り上げられた右拳は顔へと接近し目を閉じる。顔の横を通りすぎねじ込むように僕のポケットにくしゃくしゃになる紙がねじ込まれていく音がする。また失敗をした苦みの感触がする。
「それだと私の気が収まらないの。シオンは嫌かもしれないけど、これで終わり。パンケーキ美味しかったよ、ありがとう」
ミカロはバスルームに逃げるように姿を消し、ふかふかのベッドに寝転がると、疲れはシャワーを考える先、僕を虚無の空間へと連れ去り睡魔はニタリと不敵に笑った。
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