第102話「緑髪の彼女は小さく頷く」
目の前に現れたのは間違いなく居合わせてしまったことに喜びを隠せず笑みをこぼしつつそれを右手で隠す。けれどケアの行き届いた緑髪までは誤魔化せない。
彼女の手を取り扉のある場所まで駆け出し、彼女を入り口の目線から体で覆い隠す。心の中の怒りはもう喉まで出かかっている。それを必死に絞り殺す。彼女の考えもあながちわからなくない。
「シオンさま?」
「言っただろう、呑気に来られるところじゃないって。見つかったら何が起こるか」
「申し訳ありませんシオンさま。実は2人が出発した後、わたくしにも招待の通達が参りまして」
「え」
自分の行動を殴り消してしまいたかった。ランドリーの取っ手が何とも反省するにはぴったりでしゃがんだ姿勢に似合っていた。
考えればわかったことだ。セインが無理やり連れてくるなんてあるわけないのにな。
「シオンさま、わたくしはうれしかったですわ。わたくしをどれほど大切に思っているか再確認できましたもの」
「済まなかったエイビス。一緒に参加できてよかったよ」
「ええ、わたくしもですわ」
席に戻るとまたもやセインはほくそ笑みで僕を見ていた。僕の情けない姿を陰で覗いていたような顔だった。
「シオン君は心配性だなぁ。そんなだからよく転んだりしてたんだよ」
「それは関係ないだろう。心配してやったことに損はないよ」
「ええ。それより今のお話を詳しく聞きたいのですが」
エイビスの興味は今より過去の僕にあるようだ。フォローになっていないのが何とも悲しさをくすぐる。
「その話はまた今度ね。夜が更けちゃうから」
「そうですわね」
2人とも満面の笑顔を見せたが、この時ばかりは思い出せる限りのセインとの出来事を一つ一つ見ていきたい気分だ。そんなに変なことがあったのか。この話にミカロが聞きつけてきそうだ。
「お待たせしましたシオン様」
エレベーターから降りるなり小走りで僕の前に現れたメイドさんはまるで瞬間移動のように背に姿を見せた。驚きよりも先に返事が出ていた。彼女の目は奥のセインに移っていた。
「Shineさまとお知り合いなのですか?」
「小さいときから遊び合った仲でね」
「そうですか。交友関係がお広いようで羨ましい限りです。お部屋へとご案内いたしましょうか?」
まだ話をしたいところだが、ひとまず荷物を開ける時間も必要か。やれやれセインとの話は当分わかりそうにないな。
「それじゃあエイビス、Shine、また会いましょう」
「確かにちょうどいい時間だからね。またねシオン君」
「失礼いたします。シオンさま」
2人が外へ出向いたのを見て振り向くと、メイドさんは礼をして僕を案内した。その静かな様子がなんとも不気味な気がして落ち着かない。
ついに扉の前まで言葉を発することはなかった。
「それではこちらがカードキーになりますので、無くしませんよう」
「ええ。ありがとうございます」
「それでは失礼いたします」
扉を開けた先に広がったのは、銀髪をまとめる彼女の姿。やっぱりそうだったか。けれどそれを明かさないのもエチケットか。
「おかしいなぁ」
「何がだい?」
「何でもないわよ」
シェトランテならメイドさんを命令することもできたが、おそらく公平を見せるためにランダムにしたのだろう。髪を結ぶことなく振り乱し、ベッドに腰掛けるその姿はあのときと情景が重なってしまうデジャヴに不満をこぼしたいほどだった。
「エイビスには言ったの?」
「まだ。けど明日には伝えようと思ってます」
宿舎が違うのは都合がいい。変に目に付くこともないだろうし、何よりセインがいるのも大きい。ただどこから監視されているかわかったものじゃないが。
「そっか。私はちょっと用があるから外に行ってるね。私のモノに触れたらただじゃおかないからね」
「心配しなくても触らないですよ」
「ならいいけど」
やはり最後まで不安を捨てきれないのか、扉が閉まるまで自分のバッグを見つめていた。そんなに気になるのなら持って行けばいいのに。
とはいえやることもない。ベッドにもたれるだけで疲れがあらわれるようだ。ちょっと早いけれど、先に眠っておくか。
何かが耳を震わせたような気配がする。目を開いてもその姿はない。気のせいならいいが。
いつの間にか空は月へと替わり、ミカロの寝息だけが時折空間に響いていた。体調はバッチリだが、さっきの感覚がまだ残ってとてもじゃないが眠れるような気分じゃない。ひとまず散歩でもして気分を紛らわせるか。
宿舎の側面に鳥たちの集まった小さな井戸の前にいたのは剣を振り下ろす女剣士。エイビスとは違う人を寄せ付けようとしない気迫からすると、起こされたのは彼女のおかげか。
「悪くない剣筋ですね。鳥たちが逃げ出さないなんて」
彼女が振り向くなり鳥たちは夜の空へと飛び去っていった。神聖な修行を汚した目付きの彼女に手を挙げると、彼女は剣を鞘に収めた。
「修行を邪魔してすみません。明日はお互い全力を尽くしましょう」
「柔軟な物腰と背中に何かを担ぎ忘れたような体のバランス。あなたがシオン・ユズキか」
腕を組んだ彼女はどこか上の空みたいに足の位置をぎこちなくずらし、何か困っているような顔を見せた。男性に緊張しているに違いない。ここは斬られないよう慎重に話をするか。なぜか名前は知られているようだし。
失礼にもこんな言葉しか浮かばない。
「どこかでお会いしましたっけ?」
「会ったことは一度もない。けれど君のおかげでエイビス・ラターシャとまた会うことができた。感謝してもしきれない」
「エイビスの知り合いだったんですか」
彼女から聞いたことはないが、きっと何か理由があるに違いない。秘密は嫌いだが、プライバシーはその限りではない。
「その通りだ。名はシャルルフォーゼ。西部では均衡の指揮を任されている」
内の純白に外には敵の名誉を彩ったような紅のマント、そして麗しい白色の乗馬服。リラーシアさんが頭の中に浮かんで消えない。
ときおり合うその瞳はエイビスのことを知りたそうで、仕方なくベンチに座った。本当に指揮をしているのか不安になるほど、自信なく距離をおいて座った彼女に心でため息をついた。無理に寄せるのもなんだか悪い。
「よかったらシャルルフォーゼさんが出会った頃のエイビスについて教えてくれませんか?」
「そうだな。多少話せないところもあるが、基本は問題ない。いいだろう」
言葉は意外にも自分の感情とはお構いなしみたいだ。友好な話ができそうなだけ前進だな。
「私は町に住むことを好きでなくてな。森の中腹を少しばかり開拓し、自分の場所を作り上げた。そこが自分にとって最大限心が休まる場所かと思っていたんだ。小鳥や鹿がいなければ」
「よくセプタージュに参加しに来ましたね。いろいろ大変そうですけど」
独立というより自給自足か。珍しいタイプだけど、実力は折り紙付きと誰かに思われているのだろう。日々実験し自分たちにこなせない仕事は下級に回す技術者のような人が。
「まあそうでもないさ、小鳥や鹿たちは従順だからな。関わりを捨てるのはそうそうできるものではないようだ」
彼女の目が不満でないと語っている。僕らは悪魔であり天使でもあるんだ。人が一番に恐ろしい。
「たまに負傷する動物たちを治療し始めたころだったな、彼女が姿を見せたのは。あのときは驚きを隠せなかった。いよいよ医術も面倒だと思っていたところだったからな」
心臓マッサージでもしたに違いない。とはいえエイビスと初めて出会った時に繋がる道は結局わからないか。彼女から聞くべきことを拒んでいる僕が悪いのだが。
「治療を終えてエイビスに食事を出したのだが、口にしてくれなくてな。毒でないと証明するまで食べてくれなかったよ。よほど恐ろしい環境にいたらしい」
「……」
あのときのエイビスの顔は今でも覚えている。両手を突然失ったようなブルーベリーを顔に受けたときに似ていた。だからこそ彼女から話を聞けずにいるただの弱虫だ。
「それから先、私はエイビスと暮らすようになった。最初は躊躇ったんだが、これが私より技術に長けていてな。医療から食事に至るまで感服したよ。あれが社会の女性だと思った瞬間だ」
あなたも女性ですよ、と言ったら両目をつぶされるだろうな。女性の話は聞くに限る。エイビスはやっぱり今と変わってはいないのか。どおりで手慣れているはずだ。
「ただ、彼女にはそれらしい目的がなかった。自由が頭から欠落しているみたいだった。彼女に言ったことはないが、まるで奴隷のようだった」
確かにシャルルフォーゼさんの着眼は正しい。エイビスのブルーベリー顔もそれで説明がつく。けれどそれより残酷なものがあるような気がする。
彼女は立ち上がり、ホテルの外へと進んでいく。深追いはやめておこう。その全てを貫いてきたかの眼を見ていると僕の過去も攻められるような気がする。
「話はしまいだ。後は本人に直接聞くといい」
「ありがとうございました。お互い頑張りましょう」
確かに彼女の目は僕を邪悪に見ていた。
静かにベッドに戻ると浮かんだのは非力な自分をなんだか殺したくなる衝動。枕に顔を埋めると、少しだけ気分が安らぐ。何も考えずよかったあの頃が思い出てくる。
ミカロと最初に会ったころが懐かしい。だからこそ、強欲にそれも伝えたい。
岩の一撃に似た衝撃は最悪の朝を招いた。気分が悪いのはなぜか僕だけではない。
「おはよう、ミカロ」
「……早くしないと遅れるよ」
足早に彼女は部屋を出ていった。ベッドの位置は昨日決めた位置と一緒だ。だとするといびきがうるさかったのかな。後で謝っておくか。
時計は30分前を示していた。久しぶりに自分が能天気だと気が付けた。まぁ変える気はないのだけど。セプタージュの始まりとは思えない怠惰だ。
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