第101話「金髪の悪魔は囁く」
北に行くにつれ肌寒さが呼び起こされ、暖かいと言うより明らかに熱い飲み物缶を両手に包み、ミカロが楽しくアイスを口にしている光景を前にすると気分が安らいだ。シェトランテの影はない。
「あー温かい。冷たいものと一緒に味わえるなんて幸せだなぁ。あれ、シオンってブラック飲めたっけ?」
「押す位置を間違えちゃって。挑戦するには良い機会なので飲もうかと」
ミカロは何かを言いかけたが、肯定を口にして僕に礼を言って外を眺め始めた。シェトランテの側にいれれば一番やりやすいが、現状維持をさせておく嫌味がなんとも彼女らしい。
こういうときのミカロの鋭さは天才だ。まるで耳が体を離れて動いているに違いない。けれど今回はその鋭利は姿を見せなかった。
「ふぁー……もう少し寝たかったなぁ」
まるで観光に来ているような言葉が緊張を安らかにしてゆく。それも彼女の魅力か。
けれどそれは鉄製のアタッシュケースを何かが運ぶ音ともに消えた。見ると吸盤付きの2輪タイヤを4つ並べたマジックハンドの両手を使う僕らの足ほどのミニロボットだった。
「シェトランテ、いたんだ」
「本当は行きたくなかったけど、仕方なくね。それよりエイビスがいないようだけど隊長でも崩したの?」
「それが……」
「お待ちしておりました」
翻すように僕は地面に座り込んだ。どこから現れたんですか、と驚嘆の声を上げたいところだったが話が進みそうにない、やめておこう。
黒いメイド服に全身を白い布で包んだ女性は謝罪することなく、バケットから花びらをひと掴みしては空に投げつつ口を開いた。風がないおかげでそれらは僕らの周りをひらひらと舞った。
「ようやく来ていただけたので少し安心いたしました」
「明日の朝までに集合でよかったはずですが?」
「それはあなたであり、あなたではありません。それに私はあなたのことなど知りませんから」
話が進まないのはどちらも同じような気にさせられる。彼女のペースに合わせるほかないか。
「誰かを待っていたのですか?」
「もちろん創造の一族である、シェトランテさんでございます。いつも通り問題ないとわかっていても、もしもに備えなければならないのが常ですので」
彼女はバケットの花びらを見せ、満足げに自信満々で言った。その姿を見ると、嫌々やらされていたような口ぶりだ。
「いつも通り平凡な日常が訪れるとわかっていても、万が一に備えなければならない意義と誇り。朝から待った甲斐がありました」
嬉しさを言葉にする割には何か不満があるように花びらを無造作に掴み、拳で握っていた。誇りというより埃に正しかった。
「このお花たち、あなたに託しても?」
「結構です。咲いている花が好きなので」
「そうですよね。訪れた全員に花吹雪を送ったのですが、目障りという顔のオンパレードでしたので」
誰かは知らないがおそらく目に入ったに違いない。これ以上話をしていたら言葉を発する気がうせてしまいそうだ。シェトランテは僕の右腕を掴み、身を寄せた。
「失礼ね、シオンは私の夫。つまりは創造の一族にとって一員と変わりないわよ?」
「そうでしたか、失礼いたしましたシオン様」
ようやく掌を返したようにではあるが、誠実な彼女メイドらしさを見られたものの、うれしいとは程遠い。何より顔を塞ぎたいくらいだった。ミカロが真相の解明迫る右拳に力込め、やれやれとした顔に変わってゆく。
外に体を振り、彼女はそっぽを向いた。今までにない溜息が僕の前に現れた。
「宿泊地までご案内いたします」
格調高く汚れ一つない真っ赤なカーペットが敷かれ、上空をいくつものシャンデリアが照らす宿泊地は当時僕らの住んでいた中央地とは比べものにならないほど、整備がゆき届いていた。
部屋の確認を待つ間、腰掛けた皮づくりの椅子に思わず睡魔が呼び起こされる。
ゆっくりしているのもつかの間、ミカロとシェトランテの前にポップアップが出現した。僕の前にはない。内容の知りたさはあっても、2人の真剣な視線がそれを塗りつぶす。メイドさんの顔はいつの間にか待ち人からセプタージュ側に変わっていた。
「問題なければ了承を」
シェトランテは彼女の話を聞く前に承認したようだが、後悔の顔は見えない。一方でミカロが躊躇っているところを見るに、器量が知れる。何か緊張の走る選択だろうと面白い話のひとつでもしようかと思ったが、殺気めいたメイドさんの鋭利な目つきに口を閉じた。
恐る恐るミカロがシェトランテと同じボタンを押すと、ポップアップが姿を消し同じような恰好をした女性が現れ、2人の荷物を鳥かごに似た台車に乗せた。よっぽど日焼けが天敵らしい。
「お先に女性からご案内いたします。この場でお待ちください」
4人の姿が見えなくなると同時に生の安堵が伸びをした。どんな内容にしろセプタージュには関係ないと見ていいだろう。潰すこともできない時間に対し、外の風景が目に入り歩こうと立ち上がったが、メイドさんの言葉から察するに短剣でも飛んできそうだ、おとなしく座っているのが正解だな。
暇を持て余していることを残念に思ってか受付のボーイがオレンジジュースを紳士めいた言葉とともに置くと、仕方なく口に進めた。味は悪くなくとも、不憫に思うことに変わりない。
ストローを口に話した瞬間、聞こえてきた女性の言葉は手を石のように固めた。体は石の如くに硬度を得ていた。その悪魔のように人の不幸を喜ぶ顔は子供のころから変わらない。
「久しぶりだねシオン君。待ち呆けみたいだけどその様子じゃ、大切な彼女を辛抱強く待っていられるか心配だよ」
もはや安堵の域を超えてため息をつくと、僕の背には金髪の彼女がいた。いつになく煌びやかで今でも見ていてまったく飽きない。まだ忘れられない。
「またShineに会えるとは思ってなかったよ。今回は運がよかった」
「んー、それはどうかな。私は今回で3回目だからシオン君が遅かったんだよ」
セインは迷いなく僕の隣に座り、ボーイにドリンクを頼んだ。ブラックコーヒーを頼んだらしいが飲めるとは到底思えない。
ベージュのワンピースに皮ジャンを羽織った黒のショートパンツ姿の彼女は、なんとも活発で考えの一足飛びが激しかった幼いころを思い出させる。後悔がなんだか懐かしい。何より本名を口にできないのが何とも悲しい。その理由を聞かされていないことも含めて。
彼女のようにセプタージュにそうそう何度も参加できる人物は限りなく少ないのだろう。それだけ信用も多いに違いない。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます。ほら来たよモキュ」
「モキュ!」
ボーイが持ってきたのは茶豆を挽き、お湯を注ぎ作ったブラックティー。悪魔のような笑顔のごとく砂糖すらない。
まさかと疑うまでもなくモキュは小さな口を開けて黒池の中に波紋を放ちそれを飲んでいた。みるみるうちに少なくなり、満足気に頬に残ったものを下で絡めとり、セインの肩に乗ると動かなくなった。
体に起こった身震いがまだ忘れきれない。セインはその様子に陰でクスリと笑った。
「そんなに意外だった?」
「もちろん、水しか飲まないと思っていたよ。それに寝ているのか?」
「なんかたまたまもらったものを勝手に飲んじゃったみたいで、それ以来これが好きになっちゃったみたいなの。体まで黒くなったらどうしよう」
そこじゃないだろ。といいたかったがまだ話したいことがある。東西南北どこの出身かわからないのも気に入らない。
口を開くより先、彼女は僕にほくそ笑みを見せた。
「そうだ、シオン君に会わせたい人がいるんだよ」
「会わせたい人?」
夫の紹介に違いない。さてどんな人なのか教えてもらおうじゃないか。まぁ何があっても否定しておく。僕は負けず嫌いでね。
Twitter「@misyero1」で更新情報を確認できます。