第100話「科学の女はひたりと笑う」
揺られる電車中、長々と考えてはいるがインクのついた羽ペンは動かない。当然便箋は真っ白。本当は何も計画していないとはとてもじゃないが言えない。何かを書こうとするほど視界に闇がよぎる。
その中で冷静な自分の言葉が頭中に思い浮かぶ。
考え抜かなければならない
はっきりさせる必要がある
彼女だってそれを望んでいるはずだ
きっと僕の言葉を待っているに違いない
だから合鍵を渡してきたんだ。
本心ではきっと......
「何考えてるの?」
左右の端に2列ずつ並んだ席の隣、ミカロの唐突な僕への奇襲。その瞬間はまるで初めて書いた、見せるにはひどい絵を誰かにじっくり鑑賞されているかのような心に苦いものだった。彼女は疑問を投げかけたまま、僕から目線を逸らさない。
「少しワクワクしている自分がいるんだ。この今の環境や情景なんかを思い浮かべているとね」
「ワクワクかー。私も確かにちょっぴりそうかも。でも確かヒラユギもメンバーにいるんだっけ?」
困ったことに、といってもミカロが今のヒラユギを知らないことだけが問題なのだが、僕と立ち位置は変わらず話しかけづらい。2年前とはいえ数カ月の思い出はそう簡単に消えるものではない。彼女はうつむき顔だったものの両手だけはフルコースのメインディッシュを待つかのように小刻みに左右を移動していた。
「ええ。けど僕らを捕まえることはまだできないから、警戒する必要はないよ。むしろ彼女は嫌が応でも、僕らを捕らえる証拠を掴もうと接しようと行動してくるはずだよ」
「ヒラユギの実力って私と比べるとどれくらい?」
ミカロにしては考察を突いている言葉だった。彼女は自分がヒラユギにとって一番近い存在であることに気づいていたのだろう。とはいえそれは正解で、僕も忠誠心の厚いエイビスよりもミカロを狙うのが妥当だ。
「何か飲み物を買ってくるよ」
「それじゃ私の分もよろしくー」
手を振るミカロを後に、次号車への扉を開ける。自販機の前では見覚えのある茶色髪、対危険物用のゴーグルを頭に付けた女性が缶独特の開封音を鳴らしていた。
彼女の顔は嘘をかまされたような苦虫顔だったが、僕が買い物終えるまで口を開かなかった。反対側の扉裏で開封音が鳴り響く。
「同じ列車なんて奇遇ね。ちょうどよかったわ、私も話したいことがあったのよ」
「まさかシェトランテさんも参加しているとは思いませんでしたよ」
「興味本位とは言い切れないわ。確かに私は今回が初めてだけれど、創造の一族が知らないわけにはいかないのよ」
今の言葉は重すぎる肩荷よりもため息を隠しているような言葉に首を傾げた。
「セプタージュ自体に嫌味はなさそうですけど?」
「そう、それ自体は興味もないに等しいし楽しみたいという気持ちもない。けど早いうちに次の世代に移行しないと、何度参加することになることやら。おまけに毎回ごとに嫌味を言うやつも必ず現れるだろうしね」
僕に第二陣の機会は間違いなくないだろうが、シェトランテさんの不安要素は納得がいく。人の弱みにつけ込むことを好みとし、おまけに奇々怪界な発明を使う彼女を受け入れてくれる男性は少ないように思う。
本人に言うとまた格好の餌になるので言わないが。まさか、パートナーを同時に探し得ようと考えているのだろうか。
「けどちょうど良かったわ。来ないかと思っていたから」
シェトランテは遭遇した暗殺者のように僕との距離を詰めた。とっさの動きに背は壁、目の前には彼女がゆっくりと近づいてきた。
足音が聞こえると同時、彼女は僕に抱き寄った。胸が触れるも見境なく足を絡め腹に拳銃と似たものを挟み込み僕だけを見ていた。
足音の正体は僕らを見てか何度か化粧室の扉を開くことに失敗し、その場を後にしたような鉄とゴムが衝突したような音が聞こえると、彼女は口を開いた。
「よくも警戒なく近づいてきたものだわ。てっきり私は武装して戦闘になることを予感していたけれど、脇が甘くて助かったわ」
「本当にそうでしょうか?」
シェトランテさんの言うように僕に武装はない。けれど足の魔法だけは別だ。ミカロのオリジナルを仕込まれているのが少しばかり不安だが、逃走には役立つだろう。
「上出来よ。相討ちでないにしろ情報の開示に協力しているのだからね。けれどそれは正義の話。私はアンタに助言しているのではなく、拘束する立場にある。両手を掴まれる準備は整っているかしら?」
「それならやってみればどうですか」
「彼女が影響してか根拠のないハッタリがやけに多いわね。まぁ私も鬼ではないからある条件をクリアすれば救わなくもないわ」
「……いいでしょう。それで何をすれば?」
乗り気ではないが、彼女の行動を利用できることだけは確かだ。その考えがエイビスやミカロを動きやすくするというのならば、それを呑まない手はない。
「簡単よ、私のパートナーであればいい。たとえ如何なる障害が起きようともそれを貫く。そうすればあなたを捕らえたりはしないわ」
「わかった。けれどセプタージュの範囲内では無効、いや平等にする。構わないか?」
「いいわ、そこは勝手にしてもらえれば十分。後はコレね」
彼女は隙なく僕の右手に汚れ一つない真っ白な装飾の腕輪を付けた。試しに外してみたいものたが、きっと面倒な発明が仕掛けられているに違いない。安易に手を切り取るものならばまだ楽なのだが、それで終わるような発明家ではないだろう。
「それじゃまた後でね、私のお婿さん?」
シェトランテさんの顔は曇りのない眼差しのせいか、純粋に見えた。
「そうだな、シェトランテ」
「シェトでお願い、いつもそう言っているでしょ?」
「わかった」
恐ろしいほどの二十演技だが、論じてまた変な条件を付けられたら叶わない。ここは口を噤んで彼女のままに演じるほかない。
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