未成年の飲酒は法律で禁止されています。
痺れるような痛みよりも、ずっと重く感じるのは眩暈だった。
浅はかだった、と思わないでもなく、変な罪悪感も胸を抜ける。
けれども、結局は、みんなやっていることだから、の一言でそれらの全てが虚しくなる。
世間一般のルールと言うものは、必ずしも守るべきものでもないが、それらを逸脱する行為をかっこいい、と思えるほど、子供では無い。そこまで不分別にはなれない。…と言う考えも、どこかの誰かにとって都合の良いものだと言われれば、酷く不本意ではあるのだけど。
とかく。
ルールと言うのは、それなりの理由があって、制定されるものなんだろう。
「大丈夫か?」
幼い頃に聴いたような声音だった。酷く甲高い声――けれど、そんなことはないはずだった。
目の前の幼馴染――中島の心配そうな顔に、俺は顔を顰めることで応えた。言葉を吐きだそうとすると、代わりに変なものを吐き出してしまいそうだった。せり上がってくる嫌悪感、胸を圧迫する熱っぽい何か。そこらへんを考慮すれば、それはいっそ吐き出してしまった方が良さそうなものだったのだけども。
「皆に乗せられたからって呑み過ぎだよ、馬鹿」
声は年相応の低いものに変わっていた。
いや、初めからそうだった。さっきのは、アルコールに狂わされた脳の見せた勘違いだろう。中島の端正な顔が無理矢理に作った笑顔に歪んだ――放っておいてくれて良いぞ、と言いたいが、先述の理由で言葉にすることは叶わない。掌をそれなりのジェスチャーになるのだろうか。それも変な勘違いをされないか不安にもなる。
と、そこでようやく、俺の傍にいるのが中島だけではないことに気づいた。
「大丈夫?」
心の底から心配しているのが解る声――けれども、心無い女子や、うがった見方をする男子にはとことん人気のないカオリちゃんが俺を見下ろしている。と、彼女と俺の間には、大きな障害物があった。鶯色のセーターを大きく盛り上げる彼女のそれは見ていると、ほっとする。
少し落ち着いてきた。大きく深呼吸をする。妙に弾む鼓動は、酒の所為か、それとも彼女の所為か、…恐らくは両方だろう。彼女の言葉に応えることが出来ないのは、申し訳なかった。中島に対する申し訳なさを1とすれば、100くらい申し訳なかった。
「調子いいな、お前は」
中島の声が聞こえる。流石親友だ。俺の心の中は御見通しなんだろう。
溜息を吐きつつ、優しくカオリちゃんに声を掛ける。
「カオリちゃん、もう気がついたみたいだし…」
こいつのことは俺が世話してやるからさ――次ぐ言葉が頭の中に浮かぶ。
そりゃ、いつまでも彼女に介抱をさせておくわけにはいかないだろうさ。
しかしだ、中島、お前、それでいいのか?
酷い奴だ。友達ポイントを減点してやろうか。
「こいつを家まで送ってやってくれない?」
+50000ポイントを進呈します。
中島はきっと現人神なのだろう。彼に視線を向ける。後光が差して見えた。
それにしても――。
俺はようやくに視線を遠くに向けることにした。
そこには大学生と言うものはそうすることが義務である、と言った赤ら顔をした先輩たちや同級生の姿があった。居酒屋の宴会場は混沌としている。俺はここに居たいとは思わないが、カオリちゃんはどうなんだろう。中島は、どうなんだろう。
いや、俺としては彼らをこの場に置いておくのは酷く不安だ。何しろ、中島は同年代よりも自分が大人だと思っている節がある。そんな危なっかしい奴だから、この場に置いておくと要らないトラブルなどを引き起こすのではなかろうか。カオリちゃんなら猶更だ。こんな飢狼の巣窟のようなところに置いておいたら、何をされるか解ったもんじゃない。友達として責任を持って家まで送り届けねば。
――とは言え、それらは俺の勝手な考えに過ぎない。あくまで、彼ら彼女らの自由意志に任せなければ…、って何か俺おっさんくさいなー。
と、そんなことを熱っぽい頭で考えたのも一瞬のこと。カオリちゃんの返事は割と早かった。
「うん」
そして淀み無かった。そんな俺たちの会話が耳に入ったのか、何人かの顔が不満げなものになったが、反論はどこからも出なかった。身を起こす――今、気がついた。俺が枕にしていたのは、どうやら、カオリちゃんの太ももだったらしい。
「ああ…ごめん」
「ううん」
彼女は頭を振って、照れくさそうに微笑んだ。可愛い。この子のことをぶりっこだなんだと言いふらしている女どもは死ねば良い。その評判を真に受けている馬鹿な野郎どもも死ねば良い。
そして俺はこの幸福感を抱えたまま死んでしまいたい。
思わず胸を抑えてキュンキュンとしていると、
「あ、起きたんだー!」
どたどたどた。と、宴会場中に響き渡る様な荒々しい音が響き渡り。
次いで、俺の身体が揺さぶられた。
あかん、吐きそう。てか、吐くぞ、これは。
誰だ、俺を物理的に殺しに掛かってるのは――
「お、おい、花沢さん、よせよ!」
「何よ~! 心配したんだからね!」
心配しているのならば、本来、傍にいるべきではないですか?
と、そんな疑問を口にはさむことも出来ないまま、体格の良い美人は俺を振り回し続ける。完全に出来上がってやがる。普段からも怪獣とかそこらへんに属する性質の生き物だと思ってはいたが、その認識を改める必要がありそうだ――怪獣だって分別あれば暴れない。けれども、猛獣はそうではない。彼女は猛獣だった。
止める中島のことなどまるで考慮もせずに、花沢さんは俺の身体を揺さぶり続けている。が、それも、カオリちゃんが止めるまでだった。
「やめて!」
猛獣を羽交い絞めにするカオリちゃん。どうやらこうでもしなければ止まらないと踏んだらしい。しかし、それでも彼女を止めることが出来たのは相当なもんだと思う。恐らく長年の友誼から、彼女の背中にある停止ボタンとか教えられてるのではなかろうか。俺も教えて欲しい。是非にも。
薄れゆく意識を無理矢理に手繰り寄せつつ、俺は居酒屋の天井の染みを眺めて、訪れる猛烈な吐き気をかみ殺した。と、その視界の中に花沢さんの顔が入り込む。彼女は唇の端を釣り上げ、男も女も魅了する味のある笑顔を俺に向けた。
俺は絶対に騙されない。
優しく俺の身を起こし、背中をさすってくれたとしても。
密着した身体が柔らかいやら、酒臭い筈なのに妙に甘くて良い匂いがしたりしても。
騙されない。絶対に、騙されない。
「カオリちゃんを庇って一気飲みをしたところまではかっこよかったんだけどねー。そのまま倒れてちゃざまあないわ!」
がはははは、と腕白少年のような笑い声をあげる彼女に、カオリちゃんは困った顔をしていたけれど、どこか嬉しそうだった。中島は頭を掻いて、苦笑している。
「ははは…」
釣られて笑ってしまう。てか、笑うよりしょうがない。騙されはしないが――花沢さんはカオリちゃんばりに良い子だ。中島の次くらいに信用出来る――友達だ。さっきは社会的に殺されかけたが、彼女のやることなすことに、全く嫌悪感なんてない。多分、吐いても彼女は笑ってるだろう。中島は文句をつけながら介抱してくれるだろう。カオリちゃんだって、花沢さんだって、そうだろう。
そんな想像をすると、何か楽になりたくなってきた。
「ごめん、限界」
――慌てて宴会場を出て、トイレに向かおうと襖を開いた、と。
「ねえ」
背中に声を投げかけられた。
「かっこよかったよ」
三人の笑顔が見えた。
おう、と手を振って応えて、襖を閉めた。