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ある小説家志望の十二カ月

ある小説家志望と辻占い

作者: コーチャー

 辻占い、というものがある。


 町が黄昏に染まるころ、四つ角に立ってそこを通る人の言葉から自身の運勢を占うものである。古くは飛鳥時代からあった占いで、三十六歌仙の一人である柿本人麻呂も


『玉桙の道行き占に占なへば妹に逢はむと我れに告りつも』


と、歌っている。


 簡単に言えば、大路で辻占いをすれば、きっと愛しい君に逢えると告げられた、ということである。柿本人麻呂が本当に辻占いをしたかどうかは分からないが、この歌を贈った人麻呂は「愛しい君に会いたい」と単純に言いたかったに違いない。だが、この歌を貰った人物は、人麻呂が「逢いたい」、と言って直ぐに会えるような人ではなかった。おそらくは人麻呂よりもはるかに官位の高い一門の女性だったのだ。そうでなければ、わざわざ和歌を送るようなことをしたり、辻占いにかこつけることはないのである。


 とはいえ、現在を生きる僕達と人麻呂が生きた時代とでは占いに対するスタンスが大きく違う。かつて占いは神の言葉であり。それに反しようものならどんな災いが起こるか分からない、と考えられていた。しかし、今は十二星座占いから始まり、血液型占いや動物占い、変わったところではフルーツ占いまで幅広い占いが跳梁跋扈ちょうりょうばっこしている。おかげで「占いで君に逢えるって出たんだけど逢ってくれる?」とメールをしようものなら「この人、オカルトかぶれの痛い人なんじゃ」、と言われて嫌厭けんえんされるだろう。


「占いのカジュアル化というべきだろうけど、もの寂しくもあるね」

「俺からすれば男二人で占いの話をする方がよほどもの寂しい。それに話は辻占いじゃないだろ。お前がなにに引っかかっているか。それが分かればいいのだろう」


 阿部あべは椅子に腰をかけると、つまらないとばかりに足を広げて天を仰いだ。まったく他人の部室に上がり込んでおいて態度のでかい奴である。学園祭以来、彼の所属する映画製作サークル『眼の壁』では内ゲバが続いている。


そのせいか阿部は文芸サークル『あすなろ』の部室に顔を出すようになった。おそらく、学園祭であった一連のゴタゴタが解決するまでは顔を出しにくいのだろう。ただ、この件に関しては僕が彼に探偵役を押し付けてしまったことが原因であることを思えば、心が痛まない訳ではない。あるいはもっと優しい着地点があったのではないか、と夢想むそうしたりもするが明確な答えは出ない。それは阿部も同じらしく、表には出さないが悩んでいる様子である。高校以来の付き合いとはいえ、踏み込みづらい話題というものはやはりあるのである。


そんな気まずさから、僕は一つの話題を阿部に振った。それは、


『懐中電灯とDVDを買ってきた。明日までには仕上げるよ。だから明日は一番後ろ中央の席を用意してくれ』


 と、いう言葉である。この言葉を耳にしたのは昨日のことである。


 その日の授業を終えた僕は、部室で課題のレジュメを作成してから帰路についた。明日が今年最後の授業になるのでどうしても作らねばならなかったのだが、思いのほか手間取ってしまった。おかげで僕が下宿への帰路についたのは、午後十時を少し回ったころであった。僕の住む狐狸荘こりそうは大学から徒歩十分の距離にある。この帰り道の途中に阿子木屋あこぎやという居酒屋がある。食べ物も飲み物もすべて二百八十円という学生の懐に優しい店で僕もたま行くのである。唯一の欠点は、席数の少なさであるがそれは口にしないのが花というものだ。そして僕たち狐狸荘の住民が阿子木屋に行くのはおおよそ、恋破れんぱの宴と呼ばれる狐狸荘の伝統行事のためだ。狐狸荘では入居者の誰かが失恋すれば、ここで酒宴を開くのである。


「私の何がダメって言うの!」

「なんで俺じゃダメんだ!」

「愛なんて一時の気の迷い。ユメ。マボロシ。狐狸妖怪の類だ!」


 怒号にも近い叫びとともに胸の内を開帳する。それがこの宴の骨子らしい。だが、実際には、なにかにつけて飲み会のネタにしているだけとも言えなくはない。阿部の所属する映画サークル『眼の壁』でも上映会の前日は阿子木屋で前祝いをするのが通例だという。そんな僕と浅からぬ縁のある阿子木屋の前で、僕はあの言葉を聞いたのである。


 話をしていたのは学生と思われる短髪の男性。話し相手は分からない。それは彼が携帯電話に向かって話していたからだ。家路へと足早に歩く僕と携帯を片手に阿子木屋から出てきた短髪の男性とがすれ違った時に発せられたのが先ほどの言葉だった。


「懐中電灯とDVDを買ってきた。明日までには仕上げるよ。だから明日は一番後ろ中央の席を用意してくれ」


 短髪の男性は念を押すように強い口調で、携帯の向こうにいる相手に言い含めると、大きな紙袋をもって僕とは反対方向へ歩き出した。この時からである。どうにも落ち着かない気分になったのは。普通なら聞いた端から抜けていくような言葉なのではあるが、どうにも頭にこびり着いてしまった。それは一日たったいまでも変わらず、阿部に問うてみたのである。


「この言葉からなにか連想することはあるか? 歯の奥に何かが引っかかったようで気持ちが悪い」


 阿部はあまり気が乗らないようだったが、何をするわけでもなかったのでこれに乗った。妙に時計を気にしているからこのあと何か約束があるのかもしれない。


「気になるって言われてもなぁ。森久保がどうして気になるのか、俺にはさっぱりわからん」


 それが分かれば僕だってこんなに悩まないのである。自分自身どうしてこの言葉が気になるのか分からない。だが、どうしても頭から離れないのである。これが辻占いであれば当たるも八卦当たらぬも八卦、として忘れ去ることもできるのかもいれないがコレはそうではない。


「森久保。まず、簡単に事実を整理しよう。事実だと思われるのは二つだ。一つ、これを話しているヤツは懐中電灯とDVDを買ってきた。二つ、明日。いや、お前が聞いて一日が過ぎているから今日だが、何らかのイベントに参加する、ということだな」

「そうだね。席を用意してくれ、というくらいだからライブとか講演会とかだ」

「なら、答えは簡単だ。これを言った男をA、電話の相手をBと呼ぶが、Aは今日、なんらかのイベントに参加することになった。そして、そのイベントはきっとライブだ。ライブではよく蛍光色の懐中電灯を振っている。だから、Aも懐中電灯を購入したんだ。そしてDVDはそのライブに出てくるアーティストのものだ。何も気にならないじゃないか?」


 阿部は「お前は何を悩んでいるんだ」、とばかりに呆れた顔で僕を見た。阿部の推理は、考えなしに聞けば、まぁそうか、と納得いくものであるのだが納得のいかないことが三つほどある。率直に言えば、まったくに納得できないのである。


「Aがライブに行くと仮定して、前日にそのアーティストのDVDを買ってくる、というのはおかしくないか? ライブに行くくらいなのだからそのアーティストの曲は持っている。あるいは聴いた事があると言うのが普通じゃないか?」

「それは……。そうだ。Aはそのアーティストのファンじゃないんだ。電話の相手――Bがファンで今度、一緒にライブに行こう。本当にいいアーティストなんだ。事前にDVDを見てればもっと楽しめるぞ、と言えばAは、そこまで言うのなら、という気でライブ前日にDVDを買ったんだ。これでどうだ?」


 なるほど、確かにそれならばありえるかもしれない。だが……。


「DVDはそれで解決するかもしれない。だが懐中電灯は無理がある。阿部みたいな朴念仁はライブにいった経験がないから知らないかもしれないが、会場でファンが振っているのは懐中電灯じゃない。サイリウムだ」


 阿部は怪訝な顔をして「一緒じゃないのか?」と僕を疑うような声をあげた。


「これだから田舎者は困るんだよ。懐中電灯は乾電池を使って電球を発光させる。サイリウムは別名ケミカルライトと言って特殊な溶液を混ぜ合わせることによって発光する。熱はほぼ発しないからライブ中ずっと持っていても安全だしなにより、電気がいらない。つまり、サイリウムは電気を使わないから懐中『電』灯とは呼べないのだよ」


「なるほど……。確かにそれなら懐中電灯とは言えない。しかし、Aが俺と同じライブ初心者であればサイリウムと懐中電灯の区別がつかずに購入してもおかしくないじゃないか? というかなんでお前がそんなにライブに詳しんだ? 音楽とか興味ないだろ、お前は」


 確かに、AがBに強引にライブに誘われただけのライブ初心者なら懐中電灯とサイリウムの違いを分からずに購入したとしてもおかしくはない。かく言う僕も姉に強引連れられて富士山麓で行われるロックフェスやドーム公演に行くまで知らなかった。いまでは姉に恋人が出来たおかげで僕が呼び出されることはない。その点については今度、よくよく姉の彼氏に感謝しなくてはならない。


「それはない。AはBにこう言っている。『明日までには仕上げるよ』、とつまり、AはBから明日までになにかを仕上げるように言われていた。それをするために懐中電灯とDVDが必要だった。きっとBからその二つがいると言われていたはずだ。つまり、サイリウムと懐中電灯を買い間違えるはずはないんだ」 

「懐中電灯とDVDで何を仕上げると言うんだ? カラスよけでも作るのか?」


 カラスよけとは、いらなくなったCDやDVDを紐に吊って田畑をカラスなどの害鳥が来ないようにするものであるが、その効果は眉唾物である。なんらかのイベント会場でDVDを懐中電灯でピカピカ照らしたところでちょっと眩しいくらいの光が起こせるだけである。


「流石にカラスよけはないだろ。それが分からないから悩んでいるのだ。最初は阿部と同じように考えてDVDを見ながらヲタ芸の練習でもするのだと思っていた。だけど、懐中電灯と言うのはどうにも腑に落ちないんだ」

「ヲタ芸ってなんだ?」

「普通、ライブとかならサイリウムをゆっくり左右に振ったり、手拍子をしたりといったものだけど、一部の人達は派手にサイリウウムを回転させたり、集団でマスゲーム的な動きをするんだ。それが妙に揃った調子でやるものだから芸として見られている」


「森久保先輩、お詳しいですね。意外です。されるのですか、ヲタ芸?」


 振り返れば、部室の入口に藤坂さんが立っていた。これはまた妙なところを聞かれたものだと僕は小さくため息をついた。藤阪さんは僕が所属する文芸サークル『あすなろ』の隣に居を構える占いサークル『千里眼』の一年生である。ひと月前の学園祭ではうちの姉が随分とお世話になったらしい。お世話の内容は聞いていないが、うちの姉のことであるさぞ藤坂さんを困惑させる言動を繰り返したに違いない。


 いずれ、藤阪さんにはお礼をしなければならないが、どのように切り出して良いか分からないままに月日が過ぎている。できれば年を越えるまでに済ませたいものだが、今日が授業最終日であることを思えば難しいと言わざるを得ない。


「しないしない。うちの姉が好きなのだ。その付き合いで僕もよく付き合わされていたから知っているだけだよ。僕みたいに文筆を志す白腕であんな激しい動きをしたら筋肉痛で死んでしまうよ」


「大丈夫ですよ。きっと。ほかに人も白い腕されていると思いますから。森久保先輩でも出来ると思いますよ」


 藤阪さんは励ましとも冗談ともつかないことをさらり、と述べると部室にいた阿部を見つけて首をかしげた。


「あれ? 阿部先輩。今日は『眼の壁』の上映会ですよね。校内にポスター掲示ありましたよ。授業最終日に上映会なんてとても酔狂です。他のサークルなんかは活動さえしていませんよ。こんなところで油を売っていて大丈夫ですか? あと一時間くらいで上映ですよね」

「あんな奴ら『眼の壁』ではない。人の褌で相撲を取るような真似をしておいていまだにいけしゃーしゃーと上映会をするなんてまともな神経を持っていない、としか言いようがない。あんな連中の作る映画なんて見れば眼が腐る。いや、奴らの方こそ眼を失うべきだ」


 阿部は憮然とした顔で述べると、上映会を行う部員をこき下ろした。かつて『眼の壁』には名脚本家がいた。その脚本家が書く物語は観た者を魅了し、さまざまな賞を受賞した。阿部もそれに魅了された一人であり、彼が映画サークルという高校時代の彼に似つかわしくないサークルに入部するきっかけを作った。


 しかし、その名脚本家が世に出してきた物語が盗作であることが、先月の学園祭で明るみになると『眼の壁』は二つに割れた。いままで手にしたすべての賞を返上し一からやり直そう、という人々とサークル内の不祥事をひた隠しにしてこれまで通りに映画を作り続けようという人々である。阿部は前者の筆頭というべきポジションにあり、後者の人々をよく思っていない。それにはいままで尊敬してきた脚本家の作品が盗作であったという失望もあるのだろう。そして、その脚本家がいまだに推し立てられていることが許せないのだ。


「森久保先輩……」


 少し怯えたような目で僕を見つめる藤阪さんを僕は努めて明るい笑顔で応対した。阿部が怒っているのは藤阪さんのせいでないことは彼女にもわかっているだろうが、目の前で怒気をあらわにしている人と接するというのは非常に体力を使うものだ。


「大丈夫。少し、虫の居所が悪いだけなのだ。それはそうと藤阪さんは懐中電灯とDVDで何が仕上げられると思う?」

「なぞなぞかなにかでしょうか?」


 僕は阿部に話した内容を掻い摘んで彼女に伝えた。藤阪さんは小さな手を口元に当てて考え込む。その様子を伺っていた阿部が横から茶々を入れる。


「そんな真面目に考える必要はないぞ。森久保が気にするようなこと、どうせ大したことじゃない」


 その大したことじゃないことに今さっきまで僕と頭を使っていたのはどこの誰だ。そもそも機嫌が悪いからといって後輩に当たるということ自体が大人気ない。とはいえ、阿部のやるせない気持ちはわからないではない。


「阿部、そう言うのだからお前はなにか思いついたのだろうな?」

「当然だ。俺はずっと気になっていたんだ。Aはどうしてわざわざ『一番後ろ中央の席を用意してくれ』と頼んだのか。それは壇上の誰かと通信するためだ。DVDに対して懐中電灯で光を当てれば円盤に反射した光が出る。これを使ってモールス信号のようにチカチカ点灯させれば壇上の人間に何かを伝えることができる。だが、前列の席や中程の席だと、懐中電灯を光らせる姿はどうしても目立ってしまう。だから一番後ろ中央の席にこだわったんだ」


 阿部にしてはまともな意見だと感心していると、藤阪さんがすまなさそうに小さく手を挙げた。僕は「どうぞ、藤坂さん」と言って発言を認めた。彼女はこくん、と頷くとずばっと言った。


「それだとDVDいらないのではじゃないでしょうか? 懐中電灯のオンオフだけでモールス信号できますよね」


 考えてみればそうだ。別にカラスよけの如くDVDを動かして光を反射させる必要はないのである。阿部もそれは考えていなかったらしく、しばし黙ると妙な笑顔で、「そろそろ、真打の登場だな。席は温めておいたぞ」、と言った。どうやら反論する『は』の字も見つからなかったのだろう。


「森久保先輩。ひとつ確認してもいいですか?」

「ああ、どうぞ。僕の知っていることならいくらでも」

「先輩とすれ違ったとき、Aは何か持っていませんでしたか?」


 阿子木屋から出てきた短髪の男性が持っていたもの。確かに彼は何やら大きな紙袋を持っていた。


「ああ、持っていた。大学の近くにあるレッド電気の紙袋だ。それも大きいタイプのものを」


 藤阪さんは、それを聞くと少し深刻そうな顔で、


「懐中電灯とDVDを足すと出来るのはレーザー銃です」


と、言った。僕と阿部は顔を見合わせると笑うべきなのか、どうするのか分からず藤阪さんの次の言葉を待った。レーザー銃なんてSF小説やSF映画の中でしか見たことがない代物である。それが懐中電灯とDVDで作れるとはとてもではないが思えない。藤坂さん流の新手の冗談なのだとしたら拍手ものである。


「先輩方はDVDと聞いて円盤の方ばかり考えていました。でも、Aが買ったのがDVDプレイヤーならどうでしょう?」

「それはいくらなんでも無理がないかい? DVDとDVDプレイヤーだよ」

「例えば私が新しいDVDを買いました、といったら二通りのことを考えないでしょうか。藤阪は新しいDVDを買ったのだ。なんていうタイトルだろう。あるいは、藤阪は新しいDVDを買ったのだ。どこのメーカーだろう。DVDと言う語はソフトもハードもどちらでも通用すると思うのです」


 なるほど、確かにそうだ。僕たちはDVDという時に映像ソフトのことを指すこともあれば、プレイヤー本体のハードを指すこともある。一つの語で二つの意味があるのだ。


「DVDがソフトでなくハードのことだとしてどうして懐中電灯と組み合わせるとレーザー銃になるのか? 俺にはそこがわからん」


「阿部先輩、DVDから映像データを読み取るときハードの中ではDVDに記録されたピットと呼ばれる凹凸をレーザー光線で読み取ることで再生をします。つまり、ハードの中にはレーザー発信機が搭載されています。これを取り出して懐中電灯の電球と交換します。すると簡易ではありますがレーザー銃ができます」


「そんな簡単にできるものなのか?」


 阿部が驚いたとばかりに尋ねると、藤阪さんは首を縦に振った。ただ、僕には疑問があった。いくら懐中電灯の先をレーザーに変えたといってもそこまで強力なものになるのだろうか。講義の発表などで使うレーザーポイントだって広義にはレーザー銃である。あれくらいのものなら当たってもどうということはないだろう。


「先ほどの阿部先輩の言を借りれば、眼を失わせることくらいならできます。漫画のように人の体を焼き切るとかは無理ですけど、眼のように繊細な部分なら簡単に焼く事ができると思います。そして、レーザーの恐ろしいところはその収束性です。普通の電球だと光は拡散して行くので光源を中心に明るい光が見えます。ですが、レーザーは収束された光なので光源の周囲でもさほど明るくなりません。明るいのは光の進む前方だけです。つまり、だれにも気づかれることなく狙い打つことができるのです」


「つまりAとBは共謀してライブの出演者をレーザー銃で狙撃すると?」


 阿子木屋の前で聴いた言葉がずいぶんきな臭いものになったと思う反面、僕はまずいことになったと思った。言葉を聞いたのは昨日なのである。そのなかでAがBに席の用意を頼んでいたイベントは今日なのである。しかも、僕らはそのイベントがライブなのか講演なのか演劇なのかさえ分かっていない。


「はい、間違いないと思います。ただ、どこで撃つのかまでは……」


 責任を感じているのか藤阪さんが目を伏せる。僕はもう一度最初から反芻する、阿子木屋ですれ違った短髪の男が言った言葉を。部室で阿部、藤阪さんと話したことを。


「藤阪さん。『眼の壁』の上映会は何時からだ?」

「午後五時から第二大講義室です。まさか……?!」

「あと、十分ある。止められるかもしれない。阿部は急いで第二講義室に行ってくれ!」

「分かった! もし間違っていたら晩飯でも奢れよ!」


 言うが早いか、阿部が部室を飛び出す。高校時代野球部で鳴らした阿部である。第二大講義室まで五分とかからないだろう。あとは僕の想像が正しいかどうかである。外れていれば、阿部とディナーをしなければならない。今日だけはいやでも避けたいものである。横を見れば藤阪さんが不思議そうにこちらを見つめている。


「どうして、『眼の壁』が狙撃されると思ったのですか?」


「ああそれはね。まずAはBに『一番後ろ中央の席を用意してくれ』、と頼んでいた。このイベントの座席をある程度自由に調整できることがわかる。つまり、座席が決まっているような有料のイベントとは違う。ならば、そのイベントは大学内で行われるものの可能性が高いと考えた」


「でも、それでは可能性が高いだけで違う可能性も高いと思います。『眼の壁』の上映会を狙っている、とするにはまだ足りないと思います」


 珍しく強固に反論する藤坂さんに僕は苦笑いをした。


「それにはちゃんと理由がある。僕がAとすれ違ったのはAが阿子木屋から出てきたときだった。藤阪さんは知らないかもしれないけど、『壁の眼』は上映会の前日に阿子木屋で前祝いをするのが通例なんだ。そして、阿子木屋の席数は少ない。『眼の壁』のメンバーが前祝いをしているのなら、とてもじゃないが他の客は入れない。そして、『眼の壁』はいま絶賛内紛中だ。上映会を狙うという不穏な話になることもあるさ」


 これは僕が阿子木屋のことと『眼の壁』のことを知っているからのアドバンテージである。今年入学した藤阪さんがまだ知らないのは仕方のないことである。とはいえ、僕らの前で華麗に懐中電灯とDVDの謎を解いた彼女に何かを教えられるというのはどことなく優越感を感じるものである。


「分かりました。Aが学生であるならイベントが学内のものである可能性が高いというのは理にかなっている、と思います。でも今日、学内でほかに行われているイベントがないとは言えないのではないでしょうか?」


「それに関してはとても簡単に否定できる。藤坂さん、君自身が部室を訪れたときに言ったじゃないか。『他のサークルなんかは活動さえしていませんよ』ってね。確かに授業最終日でかつクリスマスイブという最高の日だ。恋人がいるものは恋人と、いない者はいない者でそれぞれ過ごしたいだろう」


「……さて、正解ですかね? そろそろ五分経つんじゃないですか?」

「そうだね。阿部から連絡があるかどうかだけど……」


 阿部の噂をした途端、僕の携帯が鳴った。携帯を確認すれば簡素なメールが一通入っていた。


『狙撃は阻止した。そっちには戻らん』


 まったく、電報でももう少し愛想があるというものだ。

「どうやら正解のようだ。良かったと言っていいのだろうけど藤坂さんのおかげ、というべきだろうね。僕には懐中電灯とDVDの謎は解けなかった。ありがとう」

「本当に感謝しています? あまり嬉しそうじゃないですよ」

「そりゃ、良い謎じゃないからね。学園祭以来こんなのばっかりだ。年明けには初詣で厄払いでもするよ」


 なにが面白いのか藤阪さんは鈴が鳴るようにころころと笑うと、「私、良い厄払いの神社知っていますよ。一緒に行きます?」と僕を見つめた。さて、どうするべきかと思案していると部室のドアがものすごい勢いで開かれた。


「あれ!! 阿部は? 待ち合わせの時間ガン無視なんだけど……」


 怒りに任せて走ってきたのであろう泉さんは部室内に僕と藤阪さんしかいないことに気づくと、変な勘ぐりをしたのか小さな声で「お邪魔虫でしたか?」、と尋ねた。僕はこの急にしおらしくなった親友の恋人に親友の場所と事の顛末を簡単にを伝えた。


 泉さんは僕をしげしげと見つめると「なんか変よアンタ。学園祭のあとからなんか変。阿部も変だけど」と無礼な言葉を残して愛しの彼の元へと駆けていった。僕らはといえば、お互いに苦笑いをしたまま部室をあとにした。


 天気はあいにくの雪模様。今夜のディナーはどうしようか?

 ひとり飯とも言うのも味気ない。姉の無礼のお詫びも兼ねて藤阪さんを誘うおうか?

ある小説家志望シリーズとしては六作目になります。森久保の十二カ月を書こうとしている割には、四月から出発しない変速な形になっています。あと六作かけば一旦の終わりとなります。

更新も変速でして安定しませんが、最後までお付き合いして頂ければ嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 森久保君の、これだから田舎者は困るんだよ、に笑ってしまった。田舎関係ないやん! そして最近やっとこのシリーズの登場人物が分かってきてより一層面白くなってきました。 そしてトリックがいいです…
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