母とダイエット食品と摂食障害
また随分と昔の伏線を回収しなくてはならなくなった。
もしくは最初こそギャグコメディだったこの小説に、現実を持ち込んだことがそもそもの過ちであったかもしれない。
その日もゴーストライターのバイトをしていた。
書いているのはアフィリエイトではトレンドの『ダイエット関連商品』の記事である。
『この酵素サプリメントで痩せますよ』『置き換えダイエットにはこの健康食品がオススメですよ』
そんなあることないことを書き続けていた。
体験談も口コミも、すべて捏造である。効果など誇張すれば薬事法に触れるだろうが、サプリメント系のアフィリエイトサイトではそれが平然と行われている。
《嘘をつき、人の感情を操る》
言葉を紡ぐものとして、物書きとして、良心が悲鳴を上げていた。
《キミはいつまでこんなことを続けているんだい》
背後から声が聞こえた。
振り返ると、バイト監督の社員さんに睨まれたので、首をすくめて再びモニターに向き直った。
《違う、ボクだよ。ボクはここにいる》
聞き覚えのある声だった。
しかし心の内側から洩れいずる言音にボクは耳を塞ごうとしていた。
《ひどいなぁ。唯一の親友に、そんな態度を示すなんて》
江安恒一、かつてボクが生み出した架空の友人、人工精霊タルパ、イマジナリーフレンドの彼はそう言った。
《でも、キミが傷つけたのはボクじゃない。キミの、母親だよ》
彼はそれだけ言い残すと、心の奥へと姿を消した。
※※※※※ ※※※※※
バイトを終え、自宅に着き、夜九時をまわった頃。
玄関のドアを開ける。
床に、母が倒れていた。
またいつものことかと思ったが、その日は何故か胸騒ぎがしていた。
きっと良くないことが起こるのだと予感していた。
否、予想できたにも関わらず、それをしなかった。
自分は今まで母の病気から目を逸らして生きてきたのだ。
薄いピンクのパジャマを着けて、うつ伏せに臥せる母。左手にはウイスキーボトルが握られている。
「母さん……、大丈夫?」
ボクは母を仰向けにして呼吸があるのを確かめようとして、明らかに様子がおかしいことを悟った。
すぐに救急車を呼んだ。
まもなくして救急隊員が母を運んでいった。
サイレンの音が去ったあとも、ボクは玄関に立ち尽くすばかりだった。
ふつうは救急車に一緒に乗っていくのだろうが、自分自身がまともな精神状態ではなかったのだろう。
家から出ることができなかった。
しばらくして、ボクはとりあえず落ち着こうと台所へ向かった。
水でも飲もうと考えたのだろう。
そしてなんとなく戸棚を開けると、大量のダイエット食品が陳列されていた。
そのなかには下剤と同等の成分が配合されているダイエット専用茶もあった。
どのダイエット食品も、ボクがゴーストライターのバイトで紹介記事を書いた製品ばかりだった。
ダイエットに勤しんでいた母の体重はしかし、すでに36kgを切っていた。
――――摂食障害――――、それが母の病気だった。
前作『ぼっちの就活日記』 第四章~進路設計篇~ 《カウンター・アイデンティティ》の記事にて母の病については伏線を敷いていた。回収する予定のないものだった。
摂食障害、原因も治療法も未だに分かっていない難病のひとつである。
客観的にはダイエットのし過ぎで死に至る病だが、本質的には《愛》の情緒に関わる精神障害だ。
「ボクの……せいだ……」
そもそもこの小説は、ボクの物語は、こんな展開になるはずではなかった。
本来ならギャグ小説で、去年の六月頃には内定をゲットして完結しているはずだった。
どうして、こんなことに……。
《現実だからだよ。この世界は、小説ではない》
エア友だちの江安くんが言った。
いや、違う。
ボクは創作であってもほとんどの物語をバッドエンドにする。
主人公は多くの場合、作中で殺す。
言葉を弄んできた自分に、罰が当たったのかもしれない。
何を平気で、ダイエット食品の勧誘記事など書いていたのだろう。
ゴーストライターのバイトで精神が完全に麻痺していた。自分が恐ろしかった。
翌日、ボクはゴーストライターのバイトを本当に辞めた。
一身上の都合で辞めた。
母は一命を取り止めたが、入院を余儀なくされた。
起業の話を持ちかけてくれた池田は音信不通で、連絡が取れなくなっていた。
14卒無い内定で無職へと戻ったボクは、ただひとり何もない世界へと取り残された。