カラオケボックスと信用取引
《私は自分の心に正直な道を選びたいですけどね》
池田の言葉がまた頭に浮かび、心を揺さぶる。
Twitterで知り合ったばかりの男に起業の話を持ちかけられ、返答に悩み、今に至る。
なにが『正直な道』だ。
死をリスクと思わないような人間に、自分の人生を預けられるものか。
表面ではそう毒づいたがしかし、池田の提案は今の自分にとってこの上なく魅力的なものだった。
14卒無い内定の学生が起業する――、「物語としては」面白いじゃないか。
そういえば、ニートがたくさん集まって会社を興したとかいうニュースもあったな……。
起業の誘いに乗るか否か、約束の期日ギリギリまで悩み続けた。
タロットカードを7枚引いて、ようやく決心を固めた。
《塔 THE TOWER》が最後に示されたカードであった。
塔――、世界の崩壊を予期する破滅のカード。すべてを捨てて、新たに創りなおすことを要求するタロット。
二月の終わり、約束の日。
池田はこの前に会ったときと同じく、ニット帽に黒のジャンパーを着ていた。
さらにこの日はPM2・5が猛威を振るったこともあり、彼はマスクを着用していた。
「やあ、いつにも増して重装備だな」
「不審者だと間違われなければいいんですけどね……」
そんなやり取りをしてボクたちは再び落ち合った。
近くにあったカラオケボックスに入り、話し合いを進めることにした。
イメージとしては「喫茶店で」と書きたいところだが、お互いに喫茶店のような洒落た場所に足を踏み入れる勇気を持ち合わせていなかったのだ。
「さあ、それじゃあ返事を聞かせてもらいましょうか」
カラオケボックスのこぢんまりとした個室のなか。
池田はマスクとニット帽を外してから、にやりと口を歪めた。
まるで初めから答えは知っていたとでも言いたげな、不敵な笑みで。
ボクは質問には答えず無言で、A4書類を綴じたファイルを渡した。
池田は受け取って、表紙を開いた最初のページで手が止まる。
そこにはこう書かれてある。
《2014年度 事業計画書 1.アフィリエイト事業『初年度売上目標:ゼロ』 》
ボクは反応を期待したが、池田は驚いた顔も見せず再びページを捲りはじめた。
そして事業計画書のファイルを最後まで読み終えると、静かに机に置いた。
「ありがとうございます。乗ってくれるんですね。では、この事業の件は五条さんにお任せしましょう」
と、あっさり言った。
あまりにもすんなりと受け入れられてしまったので、ボクの方が驚かされた。
「えっ、本当にいいのか。突っ込みどころとかあれば遠慮なく……」
「信頼してますから」
「どうして……」
どうしてこの男は、ボクのことが信じられるのだろう。
どうしてネット上でしか繋がりのなかったボクに対して、彼は心を開くのだろう。
どうして池田は、嘘を吐く仕事をしていた14卒無い内定のフリーターなんかを信用しようとするのだろう。
頭に疑問の渦が巻き、言葉に窮してしまったボクを見て、池田はぷっと噴き出した。
「ふっ、忘れたんですか? 私が信用取引を好む、……って」
※【信用取引】
株式投資などで、手持ち資金を超えて売買取引をするハイリスクな投資手法。
「株で○百万円の借金を背負った」という話はすべて信用取引によるもの。
通常の株式投資(現物取引)に借金リスクはない。[株主有限責任の原則]
「そうだった、相変わらずのリスク愛好家だな」
ボクは何故だか安心して返事をすることができた。
疑念に抱いていた何かが氷解した気持ちだった。
この世界は嘘に溢れている。
だが、何かを信じるその気持ちだけは、紛れもなく本当なのだ。
池田は、自分の信じることを信じていた。
一方のボクは、自分の何もかもが信じられなくなっていた。
ボクが今まで孤独を選んできたのは、他者だけでなく自分をも信じることができなかったからなんだ。
でも、これからは――。
「さ、それじゃあ、せっかくだから歌いましょうよ」
池田がマイクを手に取って言った。
そしてボクたちはアンパンマンの主題歌をうたった。
就職活動の終わりが近づいていた。
そして今のボクは《ぼっち》ではなかった。